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✧≡≡ FILE_028: 赤の他人 ≡≡✧
[5年後──ロンドン郊外の一軒家]
──元・発明家フラッシュと、名もなき少年。
冷たい朝。
雨が降りそうな空の下、ロンドン郊外のレンガ造りの一軒家には、古びたソファと、積まれた論文、そして、その空間には似合わない様々な子供用のおもちゃがあった。フラッシュはソファに蹲り、冷えた紅茶を飲みかけたまま、動かない。
テレビはつけられているが、音は出ていない。
針の止まった時計の下で、時間だけが、彼らを置き去りにしていた。
奥の部屋から、小さな足音がする。
パジャマ姿の少年──“ローライト”が、両手をこすりながら歩いてきた。
「……おはよう……とお、さん……」
その声に、フラッシュは顔だけ向けた。
「………おは……よ、う。……お、と……さん」
目の下には深いクマ。
返事は、なかった。
「……おとう……さん」
ローライトがもう一度、少し躊躇って呼ぶ。
「……おとぉ……さん……?」
その言葉に、フラッシュはようやく、言葉を返した。
「──その呼び方は、やめなさい」
ローライトは小さく首をかしげた。
意味が分からない顔をしている。
「どうして……?」
「俺は……お前の父親じゃないからだ」
「おとうさん……じゃ、ないの……?」
「ああ。俺はお前の父ではない」
「……じゃあ、だれ……?」
「…………」
「…………」
「誰でもない。……“赤の他人”だ」
「あかのたにんって……なに?」
「関係ない人って事だ」
「かんけい、ないの?」
「関係ない。──関係ない人には敬語を使いなさい」
「けいご……? けいごって、わからない」
「分からなければ学びなさい」
「…………はい」
「…………」
「…………おとうさんは、さ」
「キリス『さん』でいい」
「……キリス、さん?」
「そうだ。私のことはキリス『さん』でいい」
「………キリス……さん」
「なんだ?」
「どうして……わたしには──“おやがいない”のですか?」
「……死んだからだ」
「なぜ、“しんだ”のですか?」
「……俺が殺したんだ」
「……“ころした”って、なんですか?」
「この世から……いなくさせることだ」
「わたしには、“おやがいない”、ですか?」
「いない」
「……どうやったら……“いなくならない”、ですか?」
「いなくなったらもう戻らない」
「“もどってこない”、ですか?」
「……戻ってこない」
「じゃあ、どうしたら──“おかあさんのところにいけますか”?」
「…………」
「…………キリスさん」
「行けない。もう母には会えない」
「どうしても、ですか?」
「どうしてもだ」
「…………」
「…………」
「…………」
「父と母が恋しいのか?」
「……こいしいって、なんですか?」
「……分からないのならいい。子供にはまだ早い言葉だ……大きくなったら教えてもらいなさい」
「…………はい」
「…………」
「…………あの……」
「ご飯にしよう」
「…………はい」
「どうして、わたしには、なまえがないんですか?」
「…………」
「なまえは、いらないですか?」
「…………」
「……なまえはなくても、いいんですか?」
「構わない」
「…………じぶんでつけても、いいんですか?」
「駄目だ」
「なぜ、だめなんですか……?」
「自分で自分の名前を付けたら、自分で自分を定義することになる。それは自分で自分の頭を撫でるのと同じだ。哀れだからやめなさい」
「あわれって、なんですか?」
「目も当てられないほど酷いってことだ」
「じぶんであたまをなでることは、ひどいことですか?」
「他人から頭を撫でられることは立派なことだ。しかし、自分の頭を撫でるのは哀れだからやめなさい」
「……はい」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ローライト」
「…………はい」
「──“やめなさい”」
「……はい」
「…………」
「…………」
少年は膝を椅子の上に立てると、手をそこに置いた。まるで自分で頭を撫でないように縮こまるみたいに。
「…………」
「……何か欲しいものはあるか?」
「……ふくが……ほしいです」
「どんなのがいい?」
「…………しろいふくがいいです」
「……なぜ、白色を選ぶんだ?」
「しろいろがいちばんすきだから、です」
「白色は眩しくないか?」
「まぶしくないです。あかるいです」
「そうか……」
「……だめ、ですか?」
「いや、いい。私がその色を好まないだけだ」
「……ごめんなさい」
「なぜ謝る?」
「おこられたきが、しました」
「俺は怒ってない」
「…………」
「…………服、分かった。今度見ておこう」
「……!ありがとう……キリスさん」
「……………」
「……………」
「……………」
「……ねえ、キリスさん」
「なんだ?」
「どうして、わたしには、なまえがないんですか?」
「まだ気になるのか?」
「はい……きになります」
「…………」
「…………」
「──俺はお前に名前は、つけない。いや──つけたくない」
「…………なんでですか?」
「名前は与えた瞬間に……意味が生まれる。俺がお前に名前を与えたら、俺はお前を愛さなくてはいけなくなる」
「あいするのは、いや、ですか?」
「嫌じゃない。しかし──“愛おしいと思ってないものは愛せない”」
「……………」
「家畜に名前をつけないのと同じだ。名を呼べば、情が湧く。情が湧けば、失う時にまた傷つく。その後の処理が、手に負えなくなる。だからお前には名前を付けない」
「…………」
「お前を愛おしい存在だと思いたくない」
「いとおしいってなんですか?」
「一生を背負うほど好きということだ」
「わたしは“いっしょうすきにならない”、ですか?」
「ならない。“愛おしくない”。……その感情はわかる必要もない。おまえにはまだ……いや、一生理解しなくていい」
「…………」
「名前を持つというのは、幸福じゃない。その名を呼ぶ誰かを……失う恐怖と、必ず対になる」
「…………」
「ローライト、覚えておけ」
「…………はい」
「名を貰うとは贅沢なことだ。当たり前のことではない。何の役にも立たない人間に初めて誰かが『無償の愛』を授ける行為だ。だから、名を与える側は覚悟がいる。責任がいる。……愛情がいる」
「“かくご”も、“せきにん”も、“あいじょう”も、キリスさんにはないんですか?」
「ない。そのどれも持ち合わせてない……そういう人間を“赤の他人”と呼ぶ。すまなかったな──俺が“赤の他人”で」
「なぜ、あやまるのですか」
「大人としての礼儀だ」
「わたしは、あやまられるようなこと、してないです」
「俺にはあるんだ」
「わたしにはないです」
「お前になくとも、俺にあったら謝るのが大人だ。己の罪を認め、反省する。それが出来るのは大人だけだ。だから、大人は犯罪を犯すんだ」
「おとなははんざいをおかすんですか?」
「そうだ。罪を死と同じように許されないものだと思っていれば犯罪は起こさない。しかし、罪を認め、身近にあるうちに“人は犯罪を犯す”ことに慣れる」
「……わからない、です」
「分からなくていい。罪を理解できる大人にはなるな」
「つみはりかいできない、ですか?」
「そうだ。罪は己の心だ。心を完全に理解できる人間はいない」
「…………」
「だからこそ、人は“罪悪感”という幻で自分を縛る。罰よりも重いものは“後悔”だ。痛みを知る者だけが、変わろうとする」
「……いたいの、きらいです」
「みんなそうだ。だが、痛みを知らずに育った者は──優しくない」
「やさしくない?」
「ああ。優しさとは、“痛みを避ける”ことじゃない。“痛みを知っているからこそ、他人に同じものを与えない”。賢い者にしか出来ない判断だ」
「…………」
「優しさというのは、目の前の誰かの痛みを、自分のものに変える強さだ」
「つよさ……?」
「そう。自分が傷ついても構わないと、前に出ることだ」
「…………」
「……お前の父親も、そうだった」
「……おとうさん、も?」
「ああ。愛するものの為に己を犠牲にした父を──世間では『正義』と呼ぶ」
「せいぎ?」
「そうだ。──父親に近づきたければ正義を見つけろ──母親に近づきたければ愛情を見つけろ──そこに“答え”がある」
「こたえ……それはぱずる、ですか?」
「そうだ。この世で最も難しいパズル──優しい人にしか解けないパズルだ」
「わたしにも、とけますか?」
「ああ。解ける──それを、解ける者にならなくてはならない。そこに、“父と母はいる”」