廊下から文也が逃げ込んだ場所は、当然と言えば当然で教室だった。ただ、その教室の趣は、やはり普通ではなかった。
この教室は、廊下と同じように果てが見えない広大な教室だった。整然と並べられた机は、新しい物から古い物まであり、いくつかの机には黒いもやのような物が漂っていた。よく見ると、黒い靄は人の輪郭をしている。
「幽霊だ……幽霊だ……俺も、死んでこの世界に漂う幽霊みたいになるんだ……!」
「文也!」
ドアの前で立ち尽くしている文也の肩を叩いた典晶は、彼の顔を見てゾッとした。呆然とした文也は、魂が抜かれたように生気が無く、目から涙が止めどなく流れていた。
「おい、文也……」
「典晶……」
ハラハラと涙を流しながら、文也はその場に座り込み、声を上げて泣き出した。
「なんなんだよ! 此処は! 怖いよ! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!」
「文也! 大丈夫だ! 外でイナリもハロさんも戦ってる! 大丈夫だ!」
文也の体を揺らすようにして元気づけるが、典晶の言葉がどれほど文也に届いているだろうか。こうして声を張り上げていても、典晶の足は細かく震えている。
「大丈夫なわけあるか! 那由多さんだって来ないし! 美穂子だってどこにいるか分からない……! どうしてこんな所に……なんで、命を賭けてまで、お前の嫁入りを手伝わなきゃいけないんだ……」
文也は床を叩いた。何度も何度も、声を押し殺して床を叩いた。
典晶は膝をついて、震える文也の背中に手を当てることしかできなかった。
「大丈夫だ。絶対に、助かるから。大丈夫」
典晶が気丈に振る舞っているのは、自分が当事者であったからだ。もしも、自分が逆で文也の立場だとしたら、同じように取り乱していたかもしれない。
「無理だ……無理だ……死んじゃうよ。みんな、死んじゃう……」
「死なないよ。死なせない……! 俺は、誰も死なせない。誰もいなくなって欲しくない」
文也の腕を掴んだ典晶は、文也を何とか立たせると、抱えるようにして教室の中へ進んでいく。幽霊のような物はいるが、こちらを襲ってくる気配はない。典晶は入り口から五十メートルほど離れた場所に来ると、机の影に隠れた。
「文也、俺たちは、美穂子と三人で一緒だっただろう? これから先も、俺は幼馴染み三人だけは失いたくないんだ。みんな戦ってくれている。信じて待とう」
「……俺もだ……。さっきはごめん」
静かな場所に来て少しは落ち着いたのだろう。文也は涙を袖で拭うと、大きく息を吐き出した。
「少し動転した」
「あれで少しかよ、びびりすぎだっつーの!」
「マジで怖かったんだよ」
典晶が笑うと、文也も答えるように笑みを浮かべた。
「イナリちゃん達は大丈夫かな?」
恐る恐る、文也は机の影から顔を出し、入ってきたドアを見た。
「ここは、別の空間なのかもな」
イナリとハロがグールと戦っている物音一つ聞こえない。通常空間なら、壁で仕切られていようが、あれだけ大きな音が立てばすぐに分かるだろう。
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