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パラにて
「あ、またやってる」
山川——あだ名、りばー——は、自室のゲーミングチェアに深く沈み込み、マルチモニターの一枚を見つめて呟いた。
彼が「りばー(川)」と呼ばれるのは、名字の直訳以上に、彼の中を流れる莫大な情報量と、それに伴う「散財」の勢いが急流のごときだからだ。ネットの海で掘り出した限定版フィギュアや、まとめ買いした電子コミック。彼の部屋は現世の娯楽が堆積した地層のようだった。
だが、彼が愛してやまないのは「考えること」そのものだ。
今、画面に映っているのは、あるフリマアプリの出品画面。
『【訳あり】絶対に中身が開かない宝箱。ただし、重さだけは毎日変わる』
価格は五万。送料別。
「普通なら詐欺だけど、この出品者の過去ログを洗うと、物理法則を無視したガジェットばかり売ってるんだよね」
りばーは迷わず購入ボタンを叩いた。彼にとって散財は、非日常をこの部屋に召喚するための儀式だ。
数日後。届いたのは、掌サイズの古びた木箱だった。
振ってみると、今日はやけに重い。鉄球でも入っているかのようだ。しかし翌朝、手に取ると羽毛のように軽い。
りばーは顎をさすり、考える。
「この箱、もしかして『別の世界線の僕』と繋がってるんじゃないか?」
彼が漫画を読むとき、自分を主人公に投影する。だがこの箱は、投影ではなく「干渉」だった。
彼がネットで高額な買い物をした日は、箱が重くなる。逆に、節約して静かに過ごすと、箱は空っぽのように軽くなる。
「つまり、僕がこの現世で消費した『エネルギー』が、別次元のこの箱に物質として転送されている……とか?」
そんな仮説を立てていたある夜。
箱の中から、微かに音がした。カリカリと、ペンで何かを書くような音。
りばーは息を呑んだ。自分は今、非日常を鑑賞しているのではない。この箱を通じて、非日常の一部に組み込まれている。
彼はキーボードを叩き、ネットの掲示板に書き込んだ。
『例の箱から音がした。今から、こっちの現世にある「一番高いお菓子」を箱の上に置いてみる。もしこれが消えたら、あっち側も散財好きってことだ』
箱の上に、奮発して買った高級トリュフを置く。
まばたきをした瞬間、チョコは消え、代わりに見たこともない意匠の「銀貨」がポツンと置かれていた。
「……最高だな」
りばーはニヤリと笑い、スマホを取り出した。次なる散財のターゲットを探すために。
銀貨を手に取ると、現世のものとは思えないほど冷たく、そして心地よい重さがあった。
彼の日常は、もうただの日常ではない。
モニターの光と、開かない箱。その境界線で、りばーは今日も楽しそうに、自分だけの非日常を買い漁っている。
「ちょっと、りばー! また得体の知れないもん買って……部屋の床、抜けるわよ!」
ドアを蹴破らんばかりの勢いで入ってきたのは、志村——あだ名、ままむだった。
彼女は世話焼きな性格ゆえに、りばーの自堕落な生活を放っておけない。一方で、機嫌を損ねると手が早いことから、りばーからは「カイリキー」と恐れられている。
「あ、ままむ。見てよこれ、例の箱から出てきた銀貨」
「はあ? 銀貨? ……アンタ、またネット詐欺に遭ったんじゃないの?」
ままむは不機嫌そうに鼻を鳴らし、ドカッとベッドの上に座り込んだ。そのままゴロゴロと寝転がり、りばーが買ったばかりの新刊漫画を手に取る。「だらけること」に関しては、彼女も人のことは言えないのだ。
「これ、ただの銀貨じゃないよ。僕がチョコを供えたら、代わりにこれが出てきたんだ」
「……等価交換のつもり? 浪漫主義もいいけど、数学的に考えなさいよ」
ままむは漫画から目を離さず、空いた方の手で計算機を叩くような仕草をした。彼女は数学の天才だ。
「この箱の体積と、消えたチョコの質量。そしてこの銀貨の密度……ちょっと貸して」
ままむはりばーの手から銀貨をひったくると、じっと見つめた。その瞳が、解析モードに切り替わる。
「……おかしいわね。この銀貨、質量が『虚数』を含んでる気がするんだけど」
「えっ、虚数?」
「計算が合わないのよ。手に持っている感覚と、視覚的な大きさが。ねえ、これ『あっち側』では通貨じゃないかもしれないわよ」
ままむは短気な手つきで銀貨を机に叩きつけた。すると、銀貨がまるで液体のように溶け出し、空中に数式のような幾何学模様を映し出した。
「うわっ、ホログラム!?」
「違う。これは……座標よ」
ままむが眉間にシワを寄せ、空中の幾何学模様を指で弾く。
「りばー、アンタが散財すればするほど、この箱の『向こう側』との距離が縮まってる。このままだと、次の給料日に何かデカいもん買ったら、アンタ自身が箱に吸い込まれるわよ」
「ええっ、それは困る。でも、非日常を体験できるなら……」
「バカ言わないの! アンタがいなくなったら、誰が私に漫画を貸すのよ!」
ままむは「カイリキー」の異名に恥じぬ握力で、りばーの首根っこを掴んだ。
「いい? 次の買い物は私が検閲するわ。数学的に安全な散財ルートを割り出してあげる。……その代わり、この限定版のフィギュア、予約特典付きで私にも買いなさいよね」
結局、ままむも散財の誘惑には勝てない。
非日常の扉を前にして、二人の奇妙な共同生活(兼・散財監視)が始まった。
「おいおい、なんだよその『物理法則をボコボコに殴ってる数式』は。ジョジョのスタンド攻撃でも食らったか?」
部屋の窓から、まるで不法侵入のような軽やかさで現れたのは、遠藤——あだ名、えんどーだ。
「えんどー! 窓から入るなって言ってるでしょ!」
「まあまあ、ままむ。細かいことは気にするな。それよりこれ、『クッキークリッカー』の秒間生産量(CpS)がカンストした瞬間に見えるバグの挙動に似てるな……。あ、豆知識だけど、クッキーを焼きすぎると宇宙が崩壊するって説があるんだぜ」
えんどーはそう言って、りばーのデスクにある「開かない箱」をのぞき込んだ。彼は好きなことにはとことん打ち込むタイプで、ゲームの効率化のために株のチャート分析までマスターした、偏った天才だ。
「えんどー、助けてよ。ままむが『次の買い物は検閲する』とか言って、僕の自由な散財を奪おうとするんだ」
「りばー、お前のそれは『散財』じゃない、『投資』だろ? 非日常へのな」
えんどーはニヤリと笑い、懐から使い古された麻雀牌を一つ取り出した。「中」の牌だ。
「いいか、麻雀も人生も『押し時』が肝心なんだよ。この箱、ネットで調べたら面白いことが分かった。『シュレディンガーのポチ袋』って呼ばれてる都市伝説のアイテムだ。中身は確定していない。開けようとした瞬間に、観測者の『欲望の総量』に応じた何かが実体化する」
「欲望の総量……?」
「そう。だからりばーが漫画やグッズを買って、脳内物質をドバドバ出せば出すほど、箱の中身はヤバいものに進化していく。ままむの言う数学的なアプローチも正しいが、ここは『期待値』で攻めるべきだ」
えんどーは、りばーのPCを勝手に操作し始めた。
「俺の株の知識とクッキークリッカーで鍛えたクリック技術を駆使して、一秒間に一億回の少額決済を繰り返すプログラムを組んだ。これで箱の『欲望カウンター』をバグらせる」
「ちょっと待ちなさいよ、爆裂パンチをお見舞いするわよ!」
ままむが拳を振り上げるが、えんどーは止まらない。
「いいか、これはギャンブルじゃない。確定演出だ! ――ポチッとな」
実行キーが押された瞬間、部屋中のモニターが真っ白に発光した。箱がガタガタと激しく震え、中から「声」が響く。
『……クッキー……焼ケ……モット……買エ……』
「……え、今の、箱が喋った?」
「おい、えんどー! アンタ何を引き当てたのよ!」
えんどーは冷や汗をかきながらも、満足げに笑った。
「やれやれだぜ。どうやら『あっち側』のネット通販サイトと直通回線が繋がっちまったみたいだ。しかも、支払い通貨は『りばーの所持金』じゃなくて、俺たちの『知識と記憶』らしいぞ」
りばーは震える手で、新たに画面に表示された「非現世限定・特製フィギュア」の予約ボタンを見つめた。
「知識を売って、非日常を買う……。最高の散財じゃないか」
「うおー! 何これ、めっちゃ光ってんじゃん! ゲーミング宝箱!?」
静寂をぶち破って現れたのは、陸上部のエース、宮川——あだ名、みやがわだった。
練習帰りなのか、爽やかな石鹸の香りと共に、彼は窓から身を乗り出していたえんどーを強引に押し退けて部屋に乱入した。
「みやがわ! 土足で入るな! ヘビーボンバーの刑にするわよ!」
「まあまあままむ、固いこと言うなよ! それよりこれ、新しいゲームの演出? 画面の文字、見たことないフォントだけど超カッコいい!」
みやがわは、えんどーがバグらせた「あっち側」のカタログ画面を、キラキラした子供のような瞳で見つめた。
彼には、ままむのような数学的解析も、えんどーのような裏読みも必要ない。ただ直感で「ワクワクするかどうか」を判別している。
「あ、これいいな。アイテム名『瞬足の泥靴』。履くと音速で走れるけど、地面が全部泥に変わる。超面白そう!」
「おい、みやがわ。それは『知識』を売らないと買えないんだぜ」
えんどーが諭すが、みやがわは「えー?」と首を傾げた。
「知識? 勉強のこと? なら俺の『因数分解のやり方』とか全部あげるよ。どうせ使わねーし!」
「ダメよ、そんな低価値な知識じゃ、その泥靴は買えないわよ!」
ままむのツッコミが飛ぶ中、りばーはふと気づいた。
みやがわの「子供の視点」は、時としてこの世界の理不尽なルールを無視する。
「……ねえ、みやがわ。この箱、何に見える?」
「ん? タイムカプセル。それも、『昨日と明日が混ざったやつ』。ほら、ここ触ると昨日走った時の心拍数みたいなリズムで動いてるもん」
みやがわが適当に箱の角をポーンと叩いた。すると、箱の震えがピタッと止まり、画面の支払い要求が書き換わった。
『支払い:昨日、全力で走った時の「爽快感」』
「それだけでいいの? 安っ! 走ればまた手に入るし、いいよ。あげる!」
みやがわが快諾した瞬間、彼の体から一筋の光が箱に吸い込まれた。
次の瞬間、箱の蓋が「パカッ」と軽い音を立てて開く。
「開いた……」
りばーが息を呑んで中を覗き込む。
そこに入っていたのは、限定フィギュアでも銀貨でもなく、一通の**「招待状」**だった。
「これ……放課後の校庭に来いって書いてある。ただし、世界線が『5センチ浮いてる方』の校庭に」
「5センチ浮いてる校庭……? 数学的に意味不明なんだけど」
ままむが頭を抱える横で、みやがわは「面白そう!」と既に窓から飛び降りる準備をしていた。
「よし、みんなで行こうぜ! 走れば追いつけるだろ、非日常なんて!」
「おーい、みんな早すぎ。置いてかないでよー」
5センチ浮いた校庭へと向かう廊下、ひょろりと長い影が伸びた。バレー部所属の高身長低体重男子、小市——あだ名、あさまろが、長い手足を「ふわっと」させながら現れた。
「あ、まろ! お前も来たのか」
「りばー、その呼び方やめてって。……ていうか何これ、廊下が『綿あめ』みたいにフカフカしてる。これ、膝に優しいね。ジャンプし放題じゃん」
あさまろは「爪楊枝」と称される細い体で、文字通り地面から5センチ浮いた空間を軽やかにステップした。彼の大雑把な感性は、この非日常的な違和感を「ふわっとした何か」として即座に受け入れている。
「まろ、気をつけなさいよ。ここは数学的整合性がログアウトしてる場所なんだから」
ままむの警告を背に、一行はついに校庭へ。
そこには、奇妙な光景が広がっていた。
校庭の土がすべて銀色の砂に変わり、バレーネットが雲のように空中に浮いている。そして、マウンドには誰もいないはずなのに、グローブが勝手に宙を舞っていた。
「うわ、野球観戦の特等席じゃん。……あ、違うか、これ『自分が見る側』じゃなくて『見られる側』のやつだ」
あさまろは空を見上げ、目を細めた。
空には巨大なモニターのような亀裂が走り、そこには「あっち側」の住人たちが、ポップコーンを食べながらこちらの様子を鑑賞している姿が映っていた。
「なるほど。僕たちが『非日常』を鑑賞していたつもりが、あっち側にとっては僕たちの足掻きが『最高のエンタメ』ってわけか」
りばーは合点がいったように呟いた。散財の果てに辿り着いたのは、観客席ではなく、舞台の上だったのだ。
「面白そうじゃん! 観られてるなら、最高のプレー見せてやろうぜ!」
みやがわが銀の砂を蹴り、宙に浮いたバレーボール——のような、光り輝く球体——を追いかける。
「まろ、トス! えんどー、データ解析! ままむは……怒鳴って気合入れてくれ!」
「誰が応援団よ! ……もう、こうなったらヤケよ。あさまろ、その球の放物線、虚数回転かかってるから気をつけて!」
「おっけー。ふわっと、ガツンと打ってくるわ。……よし、この『非日常』、俺たちが一番楽しんでやろうぜ」
あさまろが長い腕をしならせ、光の球を叩く。その瞬間、空の観客たちから地鳴りのような歓声が上がった。
あさまろが跳躍した。
「爪楊枝」と称されるその細長い体が、重力を無視してさらに高く、空中の亀裂に届きそうなほど「ふわっ」と舞い上がる。
「いくよ……はい、エレクトリカル・パレード!」
あさまろが放ったのは、スパイクではなかった。指先で光の球に回転をかけると、球体は空中で分裂。麻雀牌の形や、クッキーの形、そしてりばーが今まで散財してきたフィギュアの形へと次々に姿を変え、万華鏡のように校庭を埋め尽くした。
「すごい……! 全部僕が買ったものだ!」
りばーが叫ぶ。あさまろの「大雑把な語彙」と「バレーの指先」が、この空間に溢れる情報の激流を完璧にハンドリングしていた。
空の観客たちは総立ちだ。
『素晴らしい!』
『あの長い少年、最高にエキサイティングだ!』
異次元の言語が、なぜか脳内に直接流れ込んでくる。
「っし、次は俺の番だ!」
みやがわが銀の砂を巻き上げて疾走する。彼の足跡からは、陸上競技のトラックではなく、野球のダイヤモンドが黄金色に輝きながら出現した。
「えんどー、計算通りに打てよ! ままむ、ストライクの判定よろしく!」
「勝手なこと言わないでよ! ……九回裏二死満塁、逆転サヨナラの期待値は九割九分九厘……いっけぇぇぇ!」
ままむの咆哮に合わせて、えんどーが「中」の牌をバット代わりに構える。
「この勝負、乗らせてもらうぜ。……役満全自動バッティングだ!」
えんどーが振り抜いた一撃は、光の球を「あっち側」のモニターの向こう側までかっ飛ばした。
その瞬間、校庭全体が大きな振動と共に、現実の夕焼け色に染まり始める。
「……あ、終わっちゃう」
あさまろが着地する。いつのまにか足元の土は元の茶色に戻り、5センチの浮遊感も消えていた。
気づけば、5人はいつもの校庭に立っていた。
手元には、あさまろが打った「光の球」の破片。それは、りばーがずっと欲しがっていた「超激レア・シークレット仕様」のカードに変わっていた。
「……夢、じゃないよね?」
りばーがカードを掲げると、4人がニヤリと笑った。
「最高に楽しい散財だったな。知識も記憶も使ったけど、まあ、明日走れば取り戻せるだろ」
みやがわが笑い、えんどーは株のチャートを確認するふりをして隠れてガッツポーズをしている。ままむは「次はテスト勉強よ!」と早くもカイリキーモードに戻りつつある。
あさまろは一人、空を見上げて呟いた。
「ねえ、またあの『ふわっとした世界』、買い物ついでに遊びに行こうよ。次はさ、もっと大人数で」
りばーはスマホを取り出した。
画面には、フリマアプリの通知が一件。
『【新着】異次元の観客が落とした、絶対に負けない麻雀卓。ただし、笑い声がうるさいです』
「……みんな、次の軍資金、準備できてる?」
りばーの問いかけに、放課後の校庭で、5人の笑い声が重なった。
非日常は終わらない。彼らが「考えること」と「遊ぶこと」を止めない限り。
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