「なあ、アカリ。あいつ大丈夫かな」
つま先に触れた石ころは、アスファルトを転がり草陰へと消えていった。夕焼けを跳ねるカーブミラーに映るのは二人の男女。雲一つ無い天では赤と紺が混じり合っていた。朝とは違い烏の姿はどこにも無く、変わりに猫なんかが見える。
「ん、何の事?」
「ほら、サナだよ。たぶん今ちょうど、不知火さんに会っているところだろ」
「ああ。確かにそっかぁ」
「確かにって……。心配じゃないのか?」
「いや、まあ。でも大丈夫でしょ……たぶん」
「うーん、まあ。確かに……?」
リュウトには理解できても、納得だけはどうしても出来なかった。これは理屈などでは無いが、一生物としての本能が告げていた。異常なる事態を。まるで悪魔を前にしているような、そんな感覚があったのだ。具体的な事は何一つとしてわからない。こんな事は今まで生きてきて一度も無い。それでも、身体の震えが止まらなかった。何かが実際に起こっている訳でもないというのに、鼓動が煩くて仕方なかった。夢の中にでもいるかのような気分だった。
刹那。背後で光が飛んだ。爆発のように雷鳴が、音無く轟いた。白と黒の光。それが突如として何も無い天から生まれたのだ。赤と紺の狭間から降ってきたのだ。気付けば震えは大きくなっていた。口を閉じる事が出来なかった。雷の先、そこは――。勘違いかもしれない。勘違いであってほしい。だが、そこはちょうど学校のある場所のように。少なくともリュウトには見えた。
「なんだ、今の……」
***
ーー黒。黒い。深淵。悪魔の肉体を見た時、私の意識はある場所へと移った。いや、『想い出した』という言い方が正しいのかもしれない。夢の中へ、異次元的空間へと。走馬灯とはまた違う。記憶とも違う。これは今だ。今を私は想い出している。ここには何も無い。あるのは闇と光のみ。実体を持たない私をその光が抱き締める。温かい。不思議な事にそう感じた。身体も何も無いのに。魂が確かに、日の光に当てられたように優しく包まれた。そしてそこから、音が流れてくる。
『聞こえますか。応答願います』
それは女性の声であった。とても綺麗で透き通った神々しい。そんな声だった。そうだ。私はこの言葉を何度も、何度も聞いている。夢の先でいつも永遠と聞いていた。何故忘れてしまっていたのだろう。
ああ――「あなたは誰?」自然とそんな想いが溢れた。
『やっと、応えてくれた……。
――あなた方は選ばれし者。魔王が復活する。さあ、抗いなさい。闘いなさい。少女よ、勇者よ。』
***
「『オワリにしようか』」そう呟いた悪魔は、三本の内の一つの右手を握り締めた。左含めた全ての腕が芋虫のようにヌメヌメと動き出す。それらは肉塊となり肩の方へ潜った。間もなくして握り締めた腕が沸騰し始め、各所で膨れ上がった。最後には一つの巨大な腕に完成し、猛烈な存在感を放つ。だが、それでも佐藤サナも不知火レモンも。動き出す気配は無い。それどころか既に彼女らの意識は遥か遠くにある。二人とも身体に巨大な穴が開いていて生きられる状態では無い。息も残ってはいない。終わらせるも何も、既に終わっている。
それはその、遥か彼方での事だった。雲の上などでは無い。空、地球、宇宙、銀河。それら全てよりも先、彼方にある異次元的空間。そこから一筋。いや、二筋の。白と黒。二つの輝きが光の如く。超越的速度で銀河を巡り、宇宙を疾走り、地球へと突入し、空を破り。二人の肉体を突き刺した。まさに神業。砂煙が高く舞い上がり龍の形を成した。
痛みも熱も、傷すらも消えていた。力が溢れるというよりも、力が宿った。潜在能力――セクトとは別の、人間を超越した能力を得たのだ。夢から覚めたというのに、あの闇での記憶は消えていなかった。彼女の言葉を一言一句忘れてはいない。魔王の復活。私が勇者である事。当然、未だ理解は出来ていない。だが、実感はある。この力が世界を救う為の、それほどの大きなものであるという実感が。
「佐藤さん。無事?」
「うん、不知火さんこそ大丈夫?」
「ちょっとお腹空いてきたかも」
私に宿ったのは黒い光。彼女には白い光。どちらも”らしい色”であった。悪魔を前にして恐れはある。だが負ける気は一切無い。今であれば世界だって滅ぼせる自信がある。何か怖いものがあるとすれば、一年以上消費期限の切れた鯖缶とデカチチ先生ぐらいだろうか。それほどまでに無敵感というか、急激な変化を私は覚えていた。そして、それはきっと彼女も同じである。私たちはこれから強くなるのでは無い。この力の使い方を学ばなくてはならないのだ。いつか来る、魔王復活に備えて。
そのためにも――この悪魔は今ここで倒さなくてはならない。
「さあ、行きましょうか」
コメント
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激アツ。 戦闘シーンで日常シーンの台詞を入れるの良いよね。