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23 ◇知らぬが仏
あんなに諫めても出先に行くときは必ずといっていいほど、俺に付いて
来た篠原がバッタリと付いて来なくなっていた。
当初はアレっ? と思ったものの、自分の仕事が忙しいのかと
思った程度だった。
だが、流石に丸々1か月、俺と出掛けるどころか側にも寄り付かなくなった彼女に、
何かがおかしいと思い始めた矢先のこと……。
気にしていた篠原が、彼女の同期の仲村と一緒に並んで食堂に入って行く姿を
目で追っている時だった。
「あ~ぁ、見てらんないっ!」
何がなんだか狐につままれたような気持ちで呆然としていた俺の側で
アラフォーの松嶋女史が堪えきれないといった様子で声を荒げた。
もしかして……俺のこと?
松嶋女史といえば……
いつだったか、重い書類の山を抱えて倉庫部屋から出て来たところで
バランスを崩してファイルを落とした松嶋女史に、すぐに駆け寄り
落ちて散らばった書類を渡し、運ぶのを手伝ったことがあった。
声の主の方を見た俺に、彼女は続けた。
「天羽 くん、奥さんと何かあった? 」
「えっ、何かって?」
どうしてこんな質問をしてくるのだろうと、少しドギマギしたが
悟られぬよう、無難に質問に質問で返した。
「その返しってことは、知らぬが仏ってところかしら。
あなたまだ何も知らないみたいね」
「?」
「社内では、あなたと篠原さんのラブラブ振りで奥さんが怒って
家を出たっていう話がまことしやかに噂されてるわよ?」
「えーっ!」
驚きの第一声しか俺は言葉にすることができなかった。
まず誰が本人しか知らない話を社内に流したのか?
何の目的で……とかが、頭を過った。
「どんな理由、目的があるのか知らないけど、ほんとっ
あの子ったら既婚男性のっていうか、世の奥さま方の
敵だね、まったく。
こういうことは社内に親しくしている同僚がいないと、本人の耳には
なかなか届かないものなんだろうねぇ~。
私だってあなたがいつだったか助けてくれたことがあるから
話すんであって、普通だったら私も話さないんだけどね」
俺はそんな意味深な前振りをしてきた彼女の次の言葉を待った。
「天羽くんは最近転勤でこちらに来たばかりで、ここ数年の社内で
起きたことを知らないから、まんまと彼女の餌食になったてしまった
んだよねぇ~。
あの子、ぶっちゃけ転勤で来た既婚男子を次々と喰ってンの。
これはねぇ~、周りに隠そうともしない彼女の言動と修羅場った
奥さんたちの会社突撃があったせいで周知の事実になってるの。
篠原さんのターゲットになったのってあなたで3人目で、前のふたりの
場合は噂も何も、奥さんが怒って直々会社に乗り込んできちゃって
それで周囲にバレバレ。
あなたの奥さんは忍耐強い人なのか、腹は立つものの大人しくて
そこまでの行為に走れずにいるのか、はたまたできた人柄のせいなのか、
会社に突撃凸してきてないけど、何故か噂がねぇ~。
迂闊なことはできないものね」
◇ ◇ ◇ ◇
自分の忠告に……
なんとか惚けてここは切り抜けようとしているのが
天羽の様子から伺い知れた。
とぼけても、それは何の意味もないというのに。
松嶋は義理堅い人間だった。
松嶋が社内で天羽に助けられた頃、すでに彼は無防備に徐々に張り巡らされていた
篠原の蜘蛛の糸に絡められようとしていた。
落としたファイル、中から散らばった書類、それらを見てとるとすぐに
駆け寄って拾ってくれ、その上一緒に運んでもくれた。
若くもなく、奇麗でもない自分の落としてしまってバラ撒かれた書類を
丁寧に拾い上げ、親切に言葉をかけてくれて一緒に運んでくれた天羽。
松嶋はそんな彼のことがその日から気になって頭から離れずにいた。
もちろん彼が既婚者だというのは知ってる。
だから自分の想いは篠原のような不純なものではないのだと
松嶋は自分の心持を美化し、天羽のことを想い続けた。
だからといって天羽に『篠原には注意せよ』と言えるほど
自分たちの距離感があるはずもなく、イライラしながらふたりの様子を
見ているしかなかった。
そんなこんなで、天羽の家でもとうとう揉めて奥さんが家を出たようだと
まことしやかに社内に噂が流れ出した時、松嶋は迷うことなく噂の出所を
調べたのだった。
だから、もうすでに天羽の妻が家を出ていることは知っていての、
言葉かけだったのだ。
冬也は恥ずかしさのあまり、頭を抱えたくなった。
穴があったら入りたいとはまさにこういう時のことをいうのだろう。
そしてまさに知らぬが仏とはこういうことを……いうのだ。
それは俺のことに他ならなかった。
俺と篠原の行動なんて、誰も気に留めちゃあいないと思ってた。
そんな自分が滑稽だった。
何もどころか、先人達2人のことを社員全員が知っていたのだから
次のターゲットだった俺なんて、さぞかし皆から好奇の目で見られて
いたことだろう。
恥ずかし過ぎる。
妻に会社へ凸されなかったことだけが唯一の救いかもしれない。
誰が俺ン家のことをまるで見ていたかのように噂を流したのか
知らないが、間違ってはいない噂に誰もがそれみたことかと、俺をピエロ
のように思っているに違いない。
いろいろあれこれ考えているうちに、腹が痛くなってきた。
精神的ストレスが身体に出るタイプで、この上なく辛い。
松嶋女史が語ったあまりの内容に、俺はただ驚くしかなかった。
そしてここのところ不信に思っていた諸々のことが彼女の話で
一気に腑に落ちていった。
違和感を覚えた頃から篠原は俺に一切関わってこなくなってるし
現にさっき篠原が親し気に同期の仲村と一緒に食堂に入って行くところ
も見た。
今までの彼女なら、昼食時もよく俺にくっ付いて来ていたものを。
「何の目的で彼女は次々にこんなことを?」
◇ ◇ ◇ ◇
「ほんとにそこよね。彼女の一連のやり方を見てると、誰もが
首をかしげるところね」
そう天羽くんの質問に答えながら、私は噂の出所を探し最後に
行き着いた……その人の顔を思い浮かべた。