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その日、父上の書斎に呼ばれた瞬間、嫌な予感がした。
あの部屋に呼ばれて、よい知らせだった試しは一度もない。
重い扉の向こうで、父は淡々と告げた。
「ジェーン、お前の婚約が決まった。相手はギルフォード・ダドリー卿だ」
言葉が理解できなかった。
数拍遅れて、その意味が胸の奥に落ちてきたとき、呼吸がうまくできなくなった。
「……わたくしは、まだ——」
「お前の“まだ”など関係ない。これは国のためだ」
父の声は硬く、私の心を踏みにじるように冷たかった。
その晩、部屋に戻ると、エレノオールが心配そうに迎えてくれた。
彼女の手が私の頬に触れる。
その温もりに、思わず涙があふれた。
「どうなさったのですか、ジェーン様……」
「わたくし……結婚するのですって。知らない方と。愛してもいないのに」
言葉が震えて、喉の奥でつまる。
エレノオールは何も言わず、ただ私を抱きしめた。
それは慰めではなく、共鳴だった。
静かに、耳元で囁くように言った。
「……愛していなくても、心は奪われません。ジェーン様の心は、誰にも渡せません」
その声があまりにも優しくて、
私はもう、抗うことができなかった。
「……ねぇ、エレノオール。
もしわたくしが誰かの妻になっても、あなたは——わたくしを忘れませんか?」
「忘れるものですか。
たとえお嬢様が女王になられても……私はずっと、お傍におります」
そう言って微笑んだ彼女の瞳が、燭台の灯を映して揺れた。
その光景が、後のすべての夜を照らし続けた。