テラーノベル
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冬だった。
音を吸い込むように雪が降っている。
縁側の屋根はうっすらと白く染まり、積もった雪がときおり小さく崩れては、さらさらと音もなく落ちていく。
外の世界は、すでに輪郭を失っていた。
村の屋根も、木々の枝も、遠くの山の稜線さえも、すべてが白に溶けていく。
月明かりは雲に滲み、淡い銀色の光だけが雪面に反射して、ぼんやりと縁側を照らしていた。
冷たいはずの夜なのに、その光はどこか柔らかく、触れれば壊れてしまいそうな静けさを持っている。
「寒ぅ……」
元貴は縁側で毛布にくるまっていた。
吐いた息が白くほどけて、すぐに夜へ消える。
木の板は冷え切っていて、座っているだけでじわじわと体温を奪っていくのがわかった。
その隣には、涼架が腰を下ろしている。
屋根の端から落ちる雪が、時折ふわりと風に乗って二人の間を通り過ぎていく。
音はない。
ただ、空気だけが動いていた。
真っ赤な長い髪に、雪が静かに積もる。
白の中に混じるその赤は、夜の淡い光を受けてわずかに艶を帯び、まるで雪景色の中に咲いた一輪の花のようだった。
冷たさの中で、そこだけが確かに“生きている色”に見える。
思わず息を呑むほど、静かで、綺麗だった。
「涼ちゃん、頭真っ白になってる」
「……ん?」
涼架がゆっくりと自分の髪に触れる。
指先に触れた雪が、ぱらりと肩へ落ちた。
その音さえも、やけに遠く感じるほど静かだった。
少しだけ雪を見つめてから、涼架は小さく呟く。
「……雪、あんまり好きじゃないかも」
声は夜の冷気に溶けるように低く、淡かった。
元貴は少しだけ目を瞬く。
「珍しいね」
「昔のこと、思い出すから」
その一言で、縁側の空気がわずかに変わった。
風の音が止まったわけでもないのに、世界が一段深く沈んだような静けさになる。
元貴は何も聞かず、ただ毛布を少し広げた。
「こっち、おいで」
「……ん」
涼架がわずかに身を寄せる。
肩が触れた瞬間、冷たさがはっきりと伝わった。
外と同じ温度。
まるで、雪そのものが隣に座っているみたいだった。
それでも不思議と、嫌ではなかった。
しばらく二人は何も話さなかった。
ただ、雪が降っていた。
屋根を撫でる音。
遠くで枝がしなる微かな音。
そして、時折落ちる雪のかすかな気配だけが、世界のすべてだった。
やがて涼架が、小さく口を開く。
「……ボク、小さい頃は山で暮らしてたんだ」
元貴は黙っている。
急かさない。
言葉を挟まない。
ただ、隣にいる。
その沈黙が、今は何よりも優しかった。
「その頃は、人間のこと嫌いじゃなかった」
赤い瞳が、雪の向こうのどこか遠くを見つめる。
「お祭りとか、好きだった」
夜のどこかで、記憶の中の光が揺れる。
提灯の橙色の灯り。
笑い声。
湯気の立つ屋台。
そのすべてが、今の白い世界とはまるで別の季節のようだった。
鬼の子どもだった涼架は、木陰に隠れてそれを見ていた。
あの光の中に入れたら。
あの声の中に混ざれたら。
そんなことばかり考えていた。
「でも、ある日……人間に見つかった」
その言葉と同時に、雪の音が少しだけ遠のいた気がした。
赤い角。
赤い髪。
人とは違う姿。
それだけで、十分だった。
『鬼だ!!』
『化け物!!』
怒鳴り声が、雪山に鋭く突き刺さる。
空気が震える。
白い世界に、恐怖だけが色を持って広がっていく。
石が飛ぶ。
冷えた空気を裂いて、肩に当たる。
額をかすめる。
小さな身体がよろめくたび、雪が舞い上がってはすぐに地面へ落ちた。
「来るな!」
「近寄るな!」
声は遠くからではなく、すぐ目の前から降ってくる。
逃げ場のない音だった。
痛みよりも先に、胸の奥が冷えていく。
痛かった。
だけどそれ以上に。
その目が怖かった。
ただ“恐怖”だけを映す、人間の目。
「……必死で逃げたんだ」
雪の中を。
裸足で。
白い世界に足を取られながら、何度も転び、それでも立ち上がって走った。
息を吸うたびに喉が痛い。
吐くたびに白い霧が散る。
それでも止まれなかった。
「でも、追いかけてきた」
涼架の指先が、わずかに震える。
寒さとは違う震えだった。
「怖くて……嫌で……」
その瞬間。
胸の奥で、何かが弾けた。
音はしなかった。
ただ、世界の温度だけが変わった。
止めようとした。
でも、止まらなかった。
紅い炎が、白い世界を飲み込んだ。
凄まじい轟音。
辺りを全て溶かす熱。
視界を埋め尽くす紅。
雪が一瞬で蒸発していく。
白が消えていく。
気づいたときには。
村は、もうなかった。
家も。
灯りも。
人の声も。
すべてが、静かに消えていた。
ただ、雪だけが降っていた。
何もなかったことにするみたいに。
「……いっぱい壊した」
小さな声だった。
「人も、傷つけた」
雪は変わらず降り続ける。
優しさも、怒りも関係ないまま。
ただ、世界を覆っていく。
涼架は少しだけ笑った。
諦めの形をした笑いだった。
「ボクは悪くないって言うやつもいたけど」
少し間を置いて。
「壊したのは本当だから」
人間が怖かった。
この力が怖かった。
何より、自分が怖かった。
「だから思ったんだ」
赤い瞳が細くなる。
「近づかれる前に、ボクから離れたほうが楽だって」
「怖がらせたほうが…いいって」
「鬼と人間は違うって…見せつけたほうがいいって」
あの日から。
誰かに近づかれるたびに、胸が締め付けられた。
逃げたくなる。
でも逃げられない。
だから。
「鬼だっ!鬼が出た!!」
ほら。
みんな怖がってる。
ボクがいるから。
『……そうだ』
『ボクは鬼だ』
震える声を押し殺して、顔を上げる。
初めて。
“鬼らしく”笑った。
怖がられるために。
近づかれないために。
もう誰も傷つけないために。
「それからかな」
涼架は自分の袖を見つめる。
「変な喋り方するようになったの」
“妾”。
“〜じゃ”。
派手な着物。
大きく見せる仕草。
全部。
全部。
弱さを隠すための殻だった。
「本当は、普通に話したかったんだけどね」
その笑みは、降りしきる雪よりも静かで、少しだけ冷たかった。
元貴は最後まで何も遮らなかった。
否定しない。
慰めすぎない。
ただ、隣にいる。
その距離が、今の涼架には救いだった。
「……変だよね」
「全然」
即答だった。
涼架が目を瞬く。
「怖かったんでしょ」
「……うん」
「なら、仕方ないじゃん」
「でもボク、人を傷つけた」
「わざと?」
涼架は首を横に振る。
「じゃあ、悪いやつじゃない」
迷いのない声だった。
まっすぐで、温かくて。
その言葉が、胸の奥にゆっくりと沈んでいく。
「元貴って、本当に変な人」
「そう?」
「普通は鬼なんか怖がる」
元貴は少しだけ考えてから、小さく笑った。
「……怖いよ」
涼架の肩が、わずかに揺れる。
「だって涼ちゃん、すっごく強いし」
そして元貴は、まっすぐに涼架を見た。
「でもさ」
「怖いより、好きの方が大きいから」
その一言で。
縁側に積もっていた冷たさが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
救いではない。
過去は消えない。
それでも。
「一緒にいる」
その意味だけは、確かにそこにあった。
「……ねぇ、元貴」
「ん?」
少しだけ迷って。
涼架は、そっと元貴の袖を掴んだ。
昔はできなかった。
誰かに触れることも。
助けを求めることも。
怖かったから。
でも今は。
掴める。
元貴は何も言わない。
振り払わない。
ただ、そこにいる。
その事実が、何よりも温かかった。
「……変な桃太郎」
「よく言われる」
元貴が笑う。
涼架も、少しだけ笑った。
雪はまだ降っていた。
あの夜と同じように。
それでももう、縁側は冷たくなかった。
隣にいる温度が、確かにそこにあったから。
涼架はそっと目を閉じる。
そして、小さく笑った。
コメント
1件
みぅ🤍🥀だよ〜 このエピソード、すごくよかった……。涼架の過去が明かされるシーン、胸が締め付けられた。弱さを隠すために「鬼らしく」振る舞ってきたんだね。でも元貴の「怖いより、好きの方が大きい」って言葉が、雪の冷たさを溶かしていくみたいで……。あの縁側の空気、二人だけの温度がちゃんと伝わってきたよ。庵野さんの描く「闇」は、ちゃんと救いへの道筋があるから、読み終わった後に温かい余韻が残るね。続きも静かに待ってるね🌙
kurara
5,039
かめちょん
3,196
#ご本人様とは一切関係ありません
kua
1,988