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拾った音、選び直す恋

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拾った音、選び直す恋

11 - 好きが、音になる前

♥

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2026年01月20日

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熱は、朝になると少しだけ下がっていた。


身体は重いままだけれど、

昨日の夜ほど、世界は揺れていない。


「…おはよう」


声を出すと、

少しだけ掠れていた。


ソファの横で、

彼が目を覚ます。


「…おはよう」


一瞬、

安心したように息を吐く。


「…調子、どうですか」


「…だいぶ、楽」


それは、

嘘じゃなかった。


でも、

完全でもなかった。


彼は、

私の額に手を当ててから、

静かに言った。


「…今日は、無理しないでください」


その言葉が、

もう“当たり前”になっている。


「…ありがとう」


それだけで、

胸が少し苦しい。


朝食は、

簡単な物にした。


彼が、

自然に手伝う。


トースターにパンを入れて、

カップにお湯を注ぐ。


2人で立つキッチンが、

当たり前の景色になっている。


(…このままじゃ、だめなのに)


パンをかじりながら、

彼がぽつりと言った。


「…昨日」


「…うん」


「…名前、呼びましたよね」


心臓が、

静かに強く鳴る。


「…熱で、ぼーっとしてたから」


言い訳が、

自分でも苦しい。


彼は、

少しだけ笑った。


「…そう、ですよね」


でも、

どこか納得していない。


「…嫌、でしたか」


私が聞くと、

彼は首を振った。


「…むしろ、嬉しかった」


その言葉が、

胸に落ちる。


(それ以上、言わないで)


沈黙が、

2人の間に落ちる。


破るのが、

怖かった。


昼過ぎ、

少しだけ外の空気を吸おうと、

窓を開けた。


風が、

カーテンを揺らす。


「…音」


彼が言う。


「…風の音、好きです」


「…どうして?」


「…言葉に、ならないから」


その答えが、

彼らしいと思ってしまう。


(あなたは、いつもそうだった)


でも、

それを知っている理由を、

私は言えない。


夕方。


彼が、

ピアノの前に座った。


でも、

弾かない。


ただ、

鍵盤に指を置いている。


「…弾かないんですか」


私が聞くと、

彼は首を振った。


「…今は、まだ」


「…まだ?」


「…音にしたら、戻れなくなりそうで」


胸が、

きゅっと締まる。


「…何から?」


「…この距離から」


その言葉に、

何も返せなかった。


夜。


電気を落とした部屋で、

2人並んで座る。


テレビは付いているけど、

音は頭に入らない。


彼が、

そっと私の手に触れた。


指先が、

触れるだけ。


でも、

それだけで、

全身が緊張する。


「…由莉」


名前を呼ばれる。


昨日とは違う。


意識が、

はっきりしている。


「…何?」


「…僕」


1拍、置いて。


「…言いたい事、ある気がします」


心臓が、

強く鳴る。


「…でも」


彼は、

少しだけ笑った。


「…今、言わない方が良い気もする」


その選択が、

優し過ぎて、

苦しい。


「…どうして?」


私が聞くと、

彼は、

静かに言った。


「…音になる前が、1番、壊れやすいから」


その言葉で、

全部、分かった。


これは、

“好き”だ。


でも、

まだ言葉にしてはいけない。


言葉にした瞬間、

選択が始まってしまう。


戻る世界。

離れる未来。

残る時間。


全部が、

現実になる。


彼は、

そっと手を離した。


「…今日は、ここまでにしましょう」


「…うん」


夜、

布団に入ってから、

眠れなかった。


(好き)


その2文字が、

何度も頭に浮かぶ。


でも、

声にはしない。


― “好き”は、

音になった瞬間、

もう戻せない。


だから今夜は、

まだ、

胸の奥にしまっておく。


この静けさが、

いつか壊れる事を知りながら。

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