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風の冷たさに、鎖を握る手が悴んだ。
「烏、降りろ。」
肩章から伸びる鎖の先には、黒い翼を広げた烏が、左右に1匹ずつ、首輪にはめられて飛んでいた。徇はその鎖を両手で握って、空中での移動ができる。逆に言ってしまえばそれしかできない……頭がいいとは言えど、所詮は飛ぶこととゴミを漁ることしかできないただの鳥だ、ウエポンとして戦闘能力を期待するなど言語道断。ウエポンを操る人間から言わせてもらえば、烏と烏以外の鳥の違いだなんて、色と大きさだけである。
アスモ大公国が、嫌いだ。
徇はその昔、この国で縷籟料理の飲食店を経営していた父親に、日常的に性的虐待を受けていた。自分に興奮する父親がとにかく気持ち悪くて、何度も自殺や逃走を試みたが、全てが失敗に終わり。結局、家に縷籟警軍が押し入って父親を殺すまで、徇はその身を穢され続けた。
父親の店がこの狭い国ではかなり有名だったこと、そして父親のしていた性犯罪はアスモ国外での件数も多い上に何処か異質で、その話題性を嗅ぎつけたメディアがこのことを大きく取り上げたこと。そのせいで広まってしまった父親の名前に、足を引っ張られてばかりの人生だ。縷籟警軍学校内に蔓延っている、“黒瀬 徇は性犯罪者である父の影響で、女癖の悪い遊び人だ”なんて噂も、完全に取っ払うのは、もう不可能だろう。
そもそも父親は男が好きなのだ、女遊びはしない。しかし徇にとっては、そこが、いちばん大きな問題だった。徇は蓮人のことが好きだからだ。
彼と出会ったのは、年齢が2桁に差し掛かった頃。父親が殺され身寄りのなかった徇は、取り敢えず孤児院に引き取られた。父親のせいで寝れず、夜中にこっそりと外出を繰り返していた時、偶然にも、同じく夜中に出歩いていた蓮人に遭遇した。夜中に同じような歳の奴にばったり会えたのが面白くて、少し話をしようということになった。その時、初対面なのにも関わらず蓮人は、自分が小城製薬の次期社長である事を、すらすらと徇に話した。「わかんないけどお前になら何でも話せる気がした」、そう言って笑う蓮人の顔は、やけに眩しかった。「今度はジュンの番、話したくなかったら別にいいけど」。そう振られて、言葉に詰まりながら何とか吐き出した身の上話を、彼は静かに聞いてくれた。
そこから具体的にどんな会話があったのか、もうよく覚えていないが、蓮人はずっと一貫して、徇に寄り添ってくれていた。仲良くなるにつれて接触が多くなっていき、言葉もなく抱き締め合える頃には、徇はもう、蓮人に惚れていたと思う。
誰かを好きになったのも、誰かに自分の苦悩を話せたのも、誰かとの体の接触を心地良く思えたのも。全部全部、蓮人が初めてだった。
ただ、徇はそんな自分が嫌いだ。男友達に恋情を向ける奴があるか?ただでさえ歳が増す毎に顔が似てきているのに、好みまで同じなど、冗談ではない。血は争えない、なんてよく言ったもので、徇がどれだけ望んで無かったとしても、血が繋がっていれば、勝手に好みや習性まで似通ってしまうものなのかも知れない。
アスモでは誰もが、自分の父親を軽蔑している。徇にはそれが、どうにも他人事とは思えず、居心地が悪い。色々思い出してしまうこともあり、体調だって悪くなる。
「……烏、戻れ。」
屋根の上にこつんと着地して、アスモの街並みを見下ろしながら、徇はため息をついた。
蓮人とは別行動をしている。犯人を探すにしても、おびき寄せるにしても、こちらの方が絶対に効率がいい。犯人は女で性犯罪者らしい、それを聞いた蓮人はしばらく徇から離れないと言って聞かなかった。結局は、携帯している端末の位置情報をオンにする事を条件に渋々許可してもらったが、今頃、蓮人は不服そうな顔をしながら街をぶらついているのだろうか。
(……オレ1人でアスモに行って性犯罪者を捕まえろ、って、縷籟警軍は何考えてんだ?)
悪意しかないように感じるのは、徇の気のせいだろうか。蓮人を連れてきて良かった。彼には申し訳ないが、徇はこのまま、屋根の上から動かないつもりでいる。動ける気がしない。
蓮人の元に犯人が現れ、殺すのを見届けてからではないと、安心して地面を踏めない。性犯罪者が今、自分たちを殺そうと必死になっているという事実自体、とても気持ち悪く感じる。
徇は屋根の上に座った。このまま蓮人から連絡が入るまで、ずっと、何も無い空を見上げていよう。蓮人ならきっと、許してくれる。徇の心とは対照的に、冬の空はひどく澄んでいて、頬を掠める冷たい空気が心地よかった。
その時だった。ふと肩に、何かが触れるような感覚がした。それは柔らかく、人の体温のように、優しい温かさで……徇は思わず振り返る。そして、目の前の景色に、絶句した。
「ハ〜イ、縷籟警軍見習いのガキんちょ。ワタシを探しているんじゃなくて?」
女だ。肩まで下ろした綺麗な髪に、長くて美しい脚を畳んで、濃すぎない化粧で彩られた顔が不敵で妖艶な笑みを浮かべている。肩に置かれた手がゆっくりと首をなぞったところで、徇は咄嗟にその手を払い除ける。
直後、徇の手足が固まった。心臓が高鳴って、呼吸が荒れて、その数秒後には今にも倒れてしまいそうな程の吐き気に襲われる。
「カワイイカワイイ坊や、残念ながら、ワタシはアンタを殺さなくちゃならないの。でもすごく勿体ない、アンタが縷籟警軍じゃなかったら、ワタシと遊べたのにね。」
そこまで言って、女は、徇の様子がおかしい事に気がついた。縷籟警軍特待生ならば、姿を捉えた瞬間、襲いにかかってくるような印象があるのにも関わらず……徇は、何もしてこない。
「……すっかりすくんでるじゃない。あっ、ちょっと!」
屋根から落ちかけた徇の肩を掴んで、自分の腕の中に引き上げた。そのまま抱き締めると、彼の顔色は更に悪くなり、小さく嗚咽し始める。
(……何かしら、このコ。)
徇の顔を覗き込んだ女は、いきなり何かを思い出したかのように、あぁ、と声をあげた。
「どこかで見たことある顔だと思ったら……もしやアンタ、クロセんとこの坊やかい?今はルフエ警軍にいるって、ボスが言ってたね。……ちょっと、何とか言ったらどうなの?」
「………」
「ハァ……。」
女はため息をつきながら、うんともすんとも言わない徇の頭を、相変わらずのいやらしい手つきでそっと撫でた。強烈な不快感に襲われながらも、徇は何とか、正気を保つ。
(……どうしてコイツは、オレを殺さないんだ?)
朦朧とする意識の中に、そんな疑問が駆け巡った。先程からこれでもかと言うほど隙まみれなのに、この女は一向に、徇を殺そうとしない。それどころか、やけにお喋りで、徇とのコミュニケーションを図っているように見える。
(単にお喋りなだけか……それとも、何かを聞き出そうとしているのか?もしくは、時間を稼ごうとしている?)
震える手で、トランシーバーの通信ボタンを押す。今の力ではこの女に抵抗する事もできない、これが限界だ。蓮人ならこの無言の無線で、こちらの危機を察してくれる、必ず。問題は……蓮人1人では屋根の上には登れないことだ。彼が到着するまでに、徇は何とか、この女諸共地面に戻らなければならない。
気持ちの悪い抱かれ心地だ。蓮人の腕が恋しい。頭を撫でるな、気持ちが悪い……そんなことを考えているうちに体の混乱が治まってきたことを感じて、徇は顔を上げて女の顔を見た。
「おっ。やっと会話する気になった?」
女は嬉しそうに微笑む。抱きしめる腕の力が少しだけ弱まったところで、徇は口を開けた。
「烏、屋根から降ろせ。」
その瞬間、鎖の先から急に姿を現した2羽の烏に、女は驚いて後ずさった。徇は鎖に腕を絡め体を固定して、ゆっくりと地面に降りる。急に屋根の上から烏を従えた縷籟人が降りてきたのだ、周辺の人々は危険を察知し、わらわらと逃げていった。
「ちょっと、何、それ!マジックの類かしら?……なんて、冗談よ。ボスから聞いてるわ、ウエポンってやつね。」
女は笑いながら、柔軟な身のこなしで、地上まで降りてくる。あとは蓮人を待つだけだが……せっかく女が戦闘に消極的なのだ、何か、オトギリについてのひとつやふたつ、聞き出してから殺したい。
「……オレに訊きてえことが、あるんじゃねえのか?」
「……あら。どうして?」
「殺さなくちゃ、とか言っておきながら、随分とお喋りだったからな。」
「どうせ今から死ぬなら、ワタシタチの役に立ってから死にたい……って事かしら?」
「好きに解釈してくれ。」
「訊きたいこと、無いと言ったら嘘になるわ。でもこれはボスからの命令じゃなくて……ワタシが、ワタシのタメに、したいことなのよ。」
それならば、オトギリについての情報は期待しない方が良いか……話題を振ってしまったのは徇なので、彼は女に、続きを促す。どうせ時間稼ぎをしなければならないことに違いはない。
女は少し恥ずかしそうにしながら、「そんなに気になるなら」と続ける。
「通称、“小さな虎”チャン……ヒナタチャン、だったかしら。あのコの殺し方が知りたいの。」
想定外の質問に、徇は思わず顔を上げた。そんな徇を見て、女は苦笑する。
「なーんて、正直に訊いても、オトモダチのアンタが教えてくれるワケないわよね。」
「……普通に銃で撃ったり、刃物で刺したりすれば、死ぬんじゃないか?」
「違うわよ、ソーユー物理的な殺し方じゃなくて……コウリャクホウ、と言うのかしら。」
「それは……オレも知らねえな。悪い。まあ、1つ、確かな助言をしてやれるとしたら、アイツに喧嘩を売るのはやめといた方がいいと思うが。どうして殺したいんだ?」
「ボスが喜ぶからよ!」
女は恍惚とした表情を浮かべた。ギョッとする徇を置いたまま、女は興奮したように、大きな声で言葉を並べる。
「今ワタシタチにとって最大の脅威である虎チャンを殺して、ボスに気に入られれば……こんなちっぽけな組織から、本部のほうに昇進できるかも知れないでしょう!」
「ちっぽけな組織……それは、オトギリの事か?」
「名前までダサいから、聞きたくもないわ。」
「お前がさっきから言ってる、ボスってのは、オトギリのボスか?それとも……」
「ボスがこんなシタッパ組織に所属しているワケないでしょう!」
「なるほど、つまりそのボスは、本部……オトギリを雇っている会社の方のボス、社長ってとこか。」
「……ええ、まあ、そうなるわね。少し話しすぎてしまったかしら……ショケイされないといいけど。まあ、アナタはどうせワタシが殺してしまうから、関係ないわね……小さな虎チャン程じゃないにしても、アンタも相当、喜ばれるはずよ!」
徇がこの場で死ぬか死なないかは置いておいて……とにかく、これでハッキリした。紺たちの予想の通り、どうやらオトギリは、オトギリを雇っている会社の指示で動いているらしい。もしこれが、任務の件と繋がっているならば、今の縷籟警軍学校の上に立つ人間の中に、裏切り者がいることになる。そんなことは疑いたくないが、いてもおかしい話ではない、縷籟警軍をよく思わない人間なんて、この世に沢山いるのだから。
幸いなことに、この会話は、トランシーバーで蓮人に垂れ流している。徇が死んでもこの情報は正しく縷籟警軍の方に伝わるだろう、距離も距離なので、女の声をしっかりと拾えているかは知らないが。
徇は祈るような気持ちで、目を瞑った……今からこの女は、恐らく、自分を殺しにかかってくる。そして蓮人もきっと、もうじき到着する。どちらが早いだろうか……蓮人が早いに、命をかける。
徇がそう簡単に諦めるような人物ではないと考えたのか、女は警戒しながら、ゆっくりと歩を進めた。何処から刺してやろうか、女が腰のナイフに手をかた、その瞬間。
女の体がふわっと暖かくなり、動かなくなる。誰かに、後ろから抱きつかれている……そう気がつくのに少し時間がかかる程、自分を今後ろから抱き締めている人物には、生きた気配というものが感じられなかった。
「ムカデ。」
ゆっくりと馴染むような心地の良い低音が、耳元でそう囁いた。それが聞こえてからすぐ、自分の体を抱き締めていた腕が消えて、女は後ろを振り返る……背が高くて隈の濃い青年の顔が見えた。
直後、足に強烈な違和感を抱いて、女は思わず自分の足元に視線を落とす。するとそこには、信じられない光景があった。百足だ……全長は、女の身長1つに、その半分を足した程度にはあろうか。信じられない程大きな百足が、足から、体に登ろうとしていた。
「イヤアアアアアアアアアアっっ!!」
女は叫びながら、百足を引き剥がそうと暴れた。しかし、女の脚の4倍程も太さがある百足を、そう簡単に引き剥がせる訳もなく。抵抗も虚しく、百足は巻き付くように女の体を這いながら、徐々に上に登っていき……首のあたりまで来たところで、その首の付け根に、容赦なく噛み付いた。
先程とは比べ物にならない、残酷で悲惨で痛々しい悲鳴が、街中に響き渡る。しかしいつの間にかそれは、有り得ない程大きな百足が、声も出なくなった女の体を捕食する音に代わっていた。
「俺のジュンに、何してくれたの?……あー、もう死んじまったか。」
「遅えよ、レント。」
「ジュン!」
百足にはお構い無しに、蓮人は覚束無い足で立っている徇に駆け寄って、抱きついた。
「またくだらないもんに抱きついちゃったから、ジュンで上書きさせて。」
「やめろ、あの女を抱き締めた体で抱きつくな……。」
蓮人が標的の背後から抱きつき、ウエポンの名前を呼べば、直後にはそのウエポン……巨大な百足が、その標的を骨の髄まで食い尽くす。非常に殺傷力のあるウエポンだが、唯一の欠点は、好きでもない犯罪者にわざわざ抱きつかなければならないところだ。
「……ジュンから、あの女の匂いがする。ガチで何された?変なことされてないよね?」
「抱き締められながら、頭を撫でられたな。」
「キモっ!早く帰って風呂入ろ。俺が5回くらい髪の毛洗ったげる。」
「禿げるからやめてくれ。」
徇はアスモの警官に電話をかけた。すぐにサイレンの音が聞こえる。いつの間にか百足は女を食い終わっていたようで、血溜まりしか残っていない現場を見て、警官たちはひどく混乱している様子だった。
アスモの言葉だろうか。聞いた事のない言語で警官とコミュニケーションを取る徇を見て、蓮人は心底嬉しそうに、そして安心したように、そっと微笑んだ。
「あ、ミズナくん。少しいいかな。」
廊下でかけられた声に、心臓がドクンと大きな音を立てた。全身に鳥肌が立ち、喉が乾き、変な汗の伝う感覚がする。
「君と話したいことがあるんだ。今晩11時過ぎに、3年寮のおもてまで、出てこれるかな?」
「えっ……。そんな時間に密会とか、何の用ですか。」
「………何の用だろうね。」
帽子から覗く海斗の目は、笑っていなかった。有無を言わさぬような威圧感に、みずなは思わず、頷いてしまう。
「うん、それで良し。ごめん、ササメくん。行こっか。」
「うん、平気。ナナセさん、じゃあね。」
待たせていたささめに向き直った彼は、先程とは打って変わった、いつもの笑顔に戻っていた。去っていく2人を見つめてから、みずなはそこから逃げ出すように、急ぎ足で教室に向かった。
バレた、バレた、バレた。どうしよう。なぜだ、どこから漏れた?いや、そんなことはどうでもいい……。みずなは深呼吸をして、自分を無理やり落ち着かせた。
平気だ。いじめの話題を振られた時には、知らぬ存ぜぬで突き通せば良い。逆にここで彼に会わなければ、こちらには、彼に会えない理由がある……つまり、3年生の過去を知っているという証明になってしまう。
(………ごめんなさい、コン先輩。約束……守れそうに、ないです。)
続く