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白い息と白い雪に嫌気がさす。 子供の頃ははしゃいでいたはずの雪は、今の俺にとって幾つもある憂鬱の原因の一つだ。
一番の原因は共通テストで失敗したこと。
思ったより点数が取れなかったとかそういうレベルじゃない。
時間割確認のため、休み時間触っていたスマホが、机の中で鳴り響き、カンニングの容疑がかけられている。
全力で否定したが試験監督は聞く耳を持たない。
「はぁぁ……」
国立志望の俺は共通テストの失敗により足を切られ、浪人が確定。
来年に向けて勉強しなくてはならないのに憂鬱だ。
ハッキリとした将来の夢はなく、幸せにしたい人は……あぁ彼女……か。
かつて俺には彼女がいた。高校1年の時、彼女は別れの言葉もなしに姿を消した。
彼女は今何をしているんだろう……
高校を卒業し、俺は勉強に専念したいところだが、成績が伸びずにやる気が出ない。
予備校には通っていない。人に教えるのは好きだけど、人から教わるのは嫌いだ。
高校時代勉強を頑張れた理由って確か……彼女だったなぁ……
遠くの大学を目指すというのも考えたが俺はこの町にいたい。
いつか彼女が現れるかもしれない。
いつか彼女が帰って来るかもしれない。
そう考えるとこの町から出たいという気持ちがすっかりなくなる。
重い足を動かし、いつもの図書館へと足を運ぶ。
机に教材を広げて、約2時間が経った。
勉強は捗らず、ノートが見開き2ページ埋まる程度。
たまには本でも読んでみようかなと立ち上がり、適当にぶらつく。
コツコツ……コツコツ……
杖が地面を突く音……
目が見えなくても本って読めるのかな……
コツコツ……コツコツ……
やがて音は近づいて来た。
どうやって本を読むのか……それが気になった俺は、音の方向に向かった。
「え?」
俺はその光景に釘付けになる。
「う……そ……」
そこには見たことがある女性……まさに彼女の姿があった。
待ち焦がれたその姿……
2年ぶりに見た顔……興奮のあまり、大声で彼女の名前を呼びそうになったが、図書館なので、近づいて声をかける。
「ねぇ、久しぶり!」
彼女はこちらを向くが、その瞳には光がなかった。
「いや〜2年ぶりなのにあんまり変わってないねぇ! 何してたんだよ今まで」
溢れる思いがどんどん言葉へと変わっていく。
返答はなかった。
不思議に思い彼女を探った。
彼女の右手にある物……白杖……
俺は目を疑った。
コツコツと音をたてていたのは彼女だったのだ。
「あの……誰……ですか?」
俺は彼女のその言葉に胸を切り裂かれた。
「いや、俺は君の彼氏だよ?」
「か、彼氏?! 知りませんあなたみたいな人」
彼女は俺のことを認識出来ていないのか、それとも記憶がないのか、分かってくれない。
証明をしたいところだが、彼女は目が見えない。
声で分かってくれないかな……
「俺のこと覚えてない? 俺だよ俺……遥だよ! 黒川 遥!」
「え? ハルくん?」
「そうだよ!」
ようやく思い出してくれたことにホッとする。
「私の名前は?」
いや、まだ信用されてないらしい。
突然話しかけてきた相手が、「かつての彼氏だった男だよ」とか言ってきたって簡単に信じてもらえるわけがない。
ましてや、彼女には俺の姿は見えていないのだから。
「えーと……朝比奈 澪……でしょ?」
「せ、正解……あなた本当に誰なの? 本当にハルくん?」
あまりに信用されていないことに傷つくばかりだ。
声とかで分からないかな……
「本当に遥だって!」
俺は強引に両肩を掴んだ。
「ちょ……やめてください!」
その声は震えていて、図書館内全体に響き渡った。
彼女の声を聞いた周りの人が集まってくる。
「おい!君! 離れなさい! 警察呼ぶよ?」
「違うんです!これは!」
どうしてこうなったんだ?
俺は自分の彼女と話しているだけなのに……
彼女には俺の姿が見えてないからか?
姿ってそんな大事?
「俺はこの子の彼氏だ!」
思い切って言ってやった。
「あ、そうなの?」
「違い……ます……」
「違うって言ってるけどどうなの?」
2年ぶりに再会した彼女との間を他人に邪魔されることを不快に感じる。
「友達……です」
「あ、そうなの……」
周りの人間はその言葉で引いてくれた。
「友達ならそうと先に言えよ……」
友達……その言葉に救われたの事実だが、胸がギュッと締め付けられた。
「ふぁ……」
安堵のため息とは違うような……彼女に認めてもらえないことが何より気が重い。
「いや〜ほんと久しぶりだよね!
今何してるの?大学生?
急にいなくなってどうしたんだよ」
俺は彼女と空っぽだった2年間分の会話がしたい……その一心で溢れる思いを言葉にした。
「あの……本当にハルくんですか?」
「いやいつまで言ってんだよ!」
「いえ……私の知ってるハルくんはそんなに喋りません……」
彼女はいつまでもよそよそしい様子に胸騒ぎがやまない。
話し方も、雰囲気も、あの頃とは全然違う。
もしかしたら別人なんじゃないか?と頭によぎる。
「証明してください。ハルくんってこと」
ミオは目が見えないので証明できることがほとんどない。
鮮明に脳に刻まれたミオが言っていたネタがあるので言ってみることにした。
「俺……”中等部の時からトロい”んです……」
「……え?、」
ミオは一瞬、口元をわずかに開き、唇が震えた。
まるで時が止まったかのように固まり、それからふっと、堪えきれずに笑った。
驚き、戸惑い、そして懐かしさ。
表情はそのどれとも言いきれないけれど、ぽつりと漏れた言葉がすべてを物語っていた。
「……ハルくんだ……ほんとに……」
「よかった……」
悪戦苦闘の末、なんとか俺が遥であることを認めてくれたようだ。
「今から時間ありますか?」
俺達は近くのカフェに向かう。
ゆっくり話したいことや、聞きたいことがたくさんあったので、俺としては好都合である。
2年間待ち焦がれたこの光景……
そこそこ賑やかな町の中で、ミオの隣を堂々と歩いている。
それでも2年ぶりに再会した彼女と話したいことはたくさんあり、移動中も話をしたいが、彼女の様子はそれどころじゃないくらい真っ直ぐ歩くのに必死だった。
初めてあった時は、メガネはしてなかったっよな……
だんだんと視力が低下して、今では光すら感じられないらしい。
人間って意外と簡単に全盲になるんだな……
コツコツ……コツコツ……
彼女は白杖で地面を探りながら歩く。
その様子は、目が見えない状態で歩くことに慣れている人とは思えない様子。
少しでも彼女の助けになりたい……そんな思いで、俺は彼女の手を取る。
「……ひゃっ!」
反射的に拒絶された。
「あ……いや、ごめん! えーと……あれ、なんか……歩きづらいかな〜と」
見苦しい言い訳をするが、決して下心があったわけじゃない。
「あの……お願いします……」
「はい、喜んで!」
昔のミオの面影は全くなかった。
まるで別の人格がミオの身体に宿ったかのように……
あの頃のミオとどうしても重ならない。
複雑な気持ちだ。
「あ、着いたよ!」
ミオとよく寄ったカフェ……たまに勉強でも使ったことあったっけ……
チャリチャリン……
扉の鈴が鳴り響く。
「いらっしゃいま……おぉ!遥じゃん!」
店員にしては馴れ馴れしい挨拶……顔に目を向けると高1の頃からの友達がいた。
「おぉ! お前ここでバイトしてんの?」
コミュ症の俺は、極々普通の台本通りの言葉を発する。
「そーなんよぉ……まじ仕送りだけじゃ足りんくてさ!
割とここ時給いいしな!」
「あはは、そうなんだ……」
わざとらしく軽く笑う。
「お前なんか彼女作って楽しそうじゃんかよ!」
「彼女……彼女って言えるんかな……」
「ん?じゃあこれからかぁ?」
正直今会いたくないヤツナンバーワンだったのかもしれない。
「あれ? 朝比奈じゃね?
2年ぶりに見たわ!
てか復縁?! 復縁なわけぇ?!」
「うっせえな……ミオは実は人見知りなんだ!」
「朝比奈が人見知りって……意味不明だろ!
なんの冗談……いや、本当にそうっぽいな……」
ミオに目線をやった陽斗はすぐに納得した。
ミオの様子を見ると俺の影に隠れ、うつむいている。
「あーうるさいうるさい!お前には関係ないだろ?
てか仕事しろよお前は!」
「はいはい」
面倒くさそうに俺達を案内をする陽斗が気に入らない。
「さっきの方は誰ですか?」
「さっきのは陽斗だよ。覚えてない?」
「えーと……ごめんなさい……」
「え? タブルハルくんとか言ってたじゃん!」
「あーえーと……そうでしたね……」
なんだかずっとぎこちない。
「えーと……話って?」
俺がそう切り出すと、ミオは手元のマグカップに軽く指を沿わせたまま、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
「私……実は……刺されて入院してたんです……」
『ノビスタドール』
スペイン語で見えない者を指す。
僕にとって彼女は”見づらい者”。
彼女にとって僕は”見えない者”。
高校1年の春、僕は中高一貫の高校に高校生から入学した。
僕は周りと馴染むチャンスを逃し……孤立した。
学校という王国の中で、僕は平民以下の、えたか、ひにん。
「おい……お前いつも一人でいて寂しくねーの?」
「誰ですか?」
「おいおい同じクラスだろぉ
名前くらい覚えとけよ!陽斗だよ!
でさ、お前さぁ……今朝比奈のこと見てただろ?」
「別に……」
朝比奈さんはクラスでの太陽のような存在……歩く光源……つまり王だ。
直視すると眼球が焼けそうになる。
本当に焼けるわけではないが、太陽に関われば、光を受け、他人から見えるようになり、攻撃(ひなん)を受ける。
対して、彼女からすると僕は月なんだろう。
他人(ちきゅう)に隠れて見えない月。
ある日席替えをし、彼女が僕の隣になった。
「よろしくね! 黒川くん!」
「よ、よろしく……です……」
「ふふ、何それ!」
僕は彼女の目を見ることが出来なかった。
視界の端でチラッと見える彼女の笑顔を見て、『関わりづらい人』と僕は判断する。
「君に興味あるな〜」
僕はその言葉にゾッとした。
僕は家までの近道として使っている商店街をいつものように通る。
「よ!」
誰かに背中を叩かれた。
聞き覚えのある声だが、あまり関わりたくない人の物だ。
僕は短く深い溜息を吐いた。
「何ですか?」
「つれないなぁ!
こっち側に北高の生徒なんてほとんどいないのに、これは偶然……いや運命!!」
「意味不明ですね……」
「ちょっと買い物付き合ってよ!」
僕の嫌そうな感情をフル無視して、僕の手を引っ張る。
彼女は買い物というより、食べ歩きを強いってきた。
クレープやタピオカなど、極々普通の女子高生の食べ歩き……そしてそれが結構高い。さらに、半分くらい奢らされた……もうこれ恐喝だよね?
「今度はスーパーでアイス買おうよ」
「まだ食べるんですか……」
この細身の身体のどこに食べ物が入ってるのか不思議だ。
太陽というよりもはやブラックホール……食べ物を体内で、重量によって潰して小さくしてるだろ!
カゴの中はアイスでもお菓子でもなく、一人暮らしをしている人の中身だった。
先程の行動からは考えられないような買い物だ。
「アイスは買わないんですか?」
「アイスは最後!
そんなにアイス食べたいの?」
「いや……別に……」
「はっ!」
全身汗だらけの俺は、夢を見ていたらしい。
春と夏の間のこの時期、店内では冷房は入っていなかった。
妙にリアルな夢だった……
ミオは空のカップを見えない目で眺めながら、俺の反応があるまで待っていたらしい。
コーヒー飲みながら寝るって意味不明だろ。
「ごめん寝てた!」
「あ、そうなんですか……」
寝てしまったが、ミオの話は最後までちゃんと聞いている。
超簡単に言うと、家出をして刺されて、今まで入院して昏睡状態だったらしい。
3年前スーパーで、「一人暮らししてるの?」とか聞いておけば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
たった少しの勇気で、守られる明日が……変えられる明日があるってこと……今なら分かっているのに……
「出よっか」
「うん……」
店を出た俺は、寝ていたことで固まった身体を背伸びで伸ばす。
「おひっ!」
脇腹を突き刺された感覚がくすぐったくて、声が裏返ってしまった。
こんなことをするヤツは一人しかいないのですぐに誰か分かった。
「お前バイト終わったのかよ」
「あぁそうだが?
てかお前は寝すぎなんだよ!
お前彼女放って寝るとか……さすがに引くわ〜」
「はぁ……お前帰んの?」
「あぁそうだな」
「じゃあミオ一人で帰れる?……いって!」
俺は陽斗に耳を引っ張られた。
「こんな暗いのに女の子一人で帰すってなんだよ!
お前頭いいのにそういうことには疎いよな?」
前のミオなら、ナンパくらいボコボコにしてそうだが、今のミオには確かに無理だ。
「分かった……送ってくるよ」
「おう! じゃあな!」
「ナンパには気を付けろよ〜」
「なんで俺がナンパにあうんだよ!」
キレのいいツッコミを入れながら、手を振って去る陽斗を見送ると、俺はミオの手を取って「行こっか」と歩きだす。
「あの……家には帰りたくないんです……」
「え?」
「一人暮らしじゃないの?」
「ううん……」
「じゃあどうよっか……」
俺は一人暮らしをしているわけじゃないので、自分の家に勝手に招くことは簡単に出来ない。かといって、ホテル代だけ出して一人で泊まらせることも出来ない。
二人でホテルに泊まればいいじゃないか!って思うかもしれない……が、それは、母さんがブチギレるからやめておく。
結局母親から許可を取り、家に招くことにした。
そういえば、ミオを家に招くのは初めてだ。
母さんに彼女がいることは伝えていなかった……いや、彼女と言えるのか?まずそこが怪しい。
「ごめんミオ……母さんには彼女ってことになってるから」
「分かりました」
前のミオなら「何言ってんの?付き合ってんじゃ―ん!」とか言うけど、今のミオは、敬語が抜けず、ずっとよそよそしい。
「ただいまー」
玄関扉を開けると同時に、家中に声は響いた。
それに気付いた母はドタドタと玄関までやってくる。
「おかえりハル! えーと……その子は何ちゃん?」
「あ、えーと……こちらは……」
「朝比奈 澪です。夜分に失礼します……」
俺が喋るより先にミオが挨拶をする。
なんで俺の方が緊張してんだよ……
ミオは緊張した様子はなく、男の人の家に入る不安の方が大きのかもしれない。
「手繋いで来たの? あらもうそんな関係?」
母が俺をからかいながらイタズラに笑う。
まぁこれ自体はどこの親でも普通だろう。問題なのはここからだ。
「あんたもうヤッたの? 金も碌に稼いでない男が……」
廊下に立ちはだかる大きな壁(はは)の横を、抜けるように、適当に「はいはい」と言って、ミオを自分の部屋へ案内する。
「階段あるから気を付けてね」
全盲の人とお家で遊ぶって何したらいいんだ?
母が夕飯を作り終えるまで、もう少しかかる。
母さんの言葉から一瞬だけ体を重ねる妄想をしてしまったが、目が見えないことをいいことに襲うとか最低すぎるな……
「ねぇ、何して遊ぶ?」
なんじゃそりゃ……
いや、小学生かよ!……と自分の中でツッコミを入れておく。
「あ! 小説読む……じゃなかった。
俺が朗読するよ!」
人生の中で初めて買った小説……
「……読んでいい?」
「うん……お願いします」
俺は机の上にあった文庫本を手に取り、表紙の手触りを確かめるように指でなぞった。
ページをめくる音が部屋の静けさに溶け込む。
「第一夜。こんな夢を見た……」
声を出して読み始めると、ミオはベッドの端で、目を閉じたままじっと耳を傾けていた。
その横顔には、かすかに微笑みのようなものが浮かんでいた。
目が見えない代わりに、きっと想像している。俺の声で描かれた世界を。
「……すると女は静かに『百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい』と言った……」
朗読は、俺自身にも沁みてくる。
彼女がどんな気持ちでこの話を聞いているのかは分からない。でも、たしかに今、俺とミオの間にはひとつの景色があった。
「ありがとう……ごさいます」
ミオはぽつりとそう言って、そっと俺の腕に顔を寄せた。
バーン!と破裂音のように扉が開く。
「ご飯出来たわよ!……あら邪魔しちゃったかしら……」
「もうちょい静かに入って来てよ」
「あら……ノックくらいしろやババア!とか言われるかと思ったけど意外といい子なのね」
「意外とってなんだよ……バアさん」
「まだ40なんですけど?!」
「40はバアさんだろ……」
口ではこう言っているが、実際はかなり若い方だと思う。
18歳の息子がいる親は大抵、50前後だろうが……あれ?
「母さん? もしかしてデキ婚?!」
「そんなわけあるでしょ?」
そんなわけあるのかよ……
まぁ幸せだし、いっか!
ミオと母とともに食卓を囲む。
父は夜遅くまで仕事をしていて、帰って来るのが遅いので先に頂くことがほとんどだ。
今までのミオの様子から、目が見えなくなったのは最近だと推測する。
俺はミオが目が見えないことに慣れるまで全力でサポートしようと思う。
しばらくはこの家に置いておきたいと思っている。
ご飯も一人で食べられない状態だ。
両親には養う人が一人増えて、迷惑極まりないと思うので、俺もバイトとか始めようかな……
俺はミオの箸を取り、唐揚げを彼女の口へと運んだ。
「あーん」
ミオは小さめに口を開く。
そんなんで入るわけねーだろ!と思ったが、女の子は大きく口を開きたがらないものだと、勝手に頭の中で解釈しておく。
「堂々とイチャつくわね」
「ちげーよ! ミオは目が見えないんだよ」
「あらそうなの?」
「いや、白杖持ってるだろ
あと母さん、しばらくミオを泊めていい?」
「え?なんで?」
「いや、大丈夫ですよ……」
ミオは困った様子で止めようとするが、俺はミオが家庭的な問題で家に帰りたくないこと、今まで入院していたことを簡潔に説明した。
「あらそうだったの……」
「あの!本当に大丈夫ですから!明日には出ますから!」
「いいのよ別に……
ずっっっと娘が欲しかったのよね!」
かなりミオを歓迎している様子。なんならもう、うちの娘になれ!と言わんばかりの喜びようだ。
これ俺の居場所がなくなるんじゃね……
「あ、母さん今日はミオと一緒に風呂入ってよ。
ジャンプーとかトリートメントとか分からんやろうし……」
「分かったわ!」
前のミオなら「私抜きで話を進めないでくださいよ!」とか絶対言うはずなのに、今のミオは言わない。
食事を終え、母とミオは風呂に入り、俺はというと睡魔に襲われている。
最近、なぜか夜よりも昼や夕方に眠気が襲ってくる。
そして夜中は眠れないという。
陽斗はうるさいヤツだが、悪いヤツじゃない。
親友とも言える関係性になった僕と陽斗はよく話すようになった……というよりコイツが話しかけてくるんだけどな。
「なぁクラスで一番可愛いと思うの誰だと思う?
河野とかめっちゃ可愛いよな?」
「そうか?」
「朝比奈もかなり可愛いけどな〜」
こういう男子高校生っぽい会話は嫌いじゃないが、他人を格付けするようなマネはあまり好きじゃない。
そこで僕はこの会話を一瞬で冷めさせ、かつ嫌われない言い方を思いついた。
「いやいや……僕が一番可愛いだろ?」
「おほほい!もう黙れよ!」
陽斗は吹き出すように笑った。
「おい!遥がさぁ……」
「おい!あんまチクるなよ!」
てか、ミオが可愛いってまじかよ……あの恐喝野郎が可愛いって?
僕は友達と喋っているミオの方を見た。
そして、彼女の美貌に気付いてしまった。
僕は……あんなのと今までずっと遊んでたのかよ!
商店街で見つかって以来、彼女によく捕まっていた。その度に金をゴッソリと持っていかれるけど……
それでも彼女といる時間は苦ではなかった。むしろ、明るく振る舞ってくれる彼女といるのは楽しかった。
北高の奴らにバレたことはない。商店街側が北高の生徒が少なく、会うことがないし、会いたくない。
学校という王国で、王族(ミオ)と差別種族の僕の関わりがバレると、ミオも僕もタダではすまないだろう。
僕は帰り道の商店街でいつも通り、ミオに捕まった。
「よ!ハルくん!」
「うわ……またミオ……」
そう……僕は彼女の美貌を間近で見る恐ろしさを知ってしまった。
「あれ?どうしたの?
もしかして、ミオの美貌にやられちゃった?」
「……っ!」
図星すぎて何かがグサッと刺さった。
「いや別に……」
「ハルくんなんでこっち見てくれないの?」
何十回と一緒に遊んだこの顔……最近ようやく目を合わせられるようになってきたというのに、フリダシに戻ってしまった。
いや、てかなんでこんな意識してんだよ! いつも仲良くしてたヤツが可愛いかっただけじゃーん! そう!ミオはタダの友達だから!
自分に言い聞かせるが全く意味はない。
「今日のハルくんなんかつまんない……」
ボソっと彼女は呟いた。
今日もスーパーに寄るらしい。
今更だけど料理のバリエーションが凄い。ほぼ毎日違う料理を作っているのに、メニューが被ったことがない。
女子力高すぎじゃありません?
「マグロめっちゃ安くね?」
「あ、えーと……そうだね」
ミオの目線の先には『本マグロ 赤身 特価』の文字。
「中トロ!」
何言ってんだコイツと思ったが、心の内に留めておく。
「中トロにしか見えないのです。
”中等部からトロい”んです私」
僕は思わずクスっと笑った。
「あーやっと笑った!!」
「ご、ごめん……ちょっとそれはしょうもなすぎふ……」
「それは笑いすぎ!」
通路を通る主婦の人達に見られるのは恥ずかしかったけど、魚のパックでしょうもないことが言える彼女と過ごす時間が好きだった。
「たまには送ってくれても……」
急にミオの顔が暗くなる。
「えーと……いいけど……」
「ううん……大丈夫
でも……途中までお願ーい!」
ミオは僕の腕にしがみついてくる。
「おい、やめろよ……」
「え?……」
驚いたこともあって拒絶しているようなトーンで言ってしまったので、ミオは少し離れていく。
「ごめん……今日は帰るね……」
「あぁ……」
ミオは急ぐように帰ってしまった。
なんだかずっとモヤモヤする……
夜も罪悪感と不安感で眠れず、そのまま登校し、人がそこそこ集まっている教室に空気のように入っていく。
「おいおい寝不足か?」
いつものように陽斗が話しかけてきた。
「いや〜ちょっとね……」
「もしかして振られた?!」
「まぁ……そんなとこ」
「おい……まじかよ……」
「なんでちょっと引いてんだよ!
お前が訊いたんだろ?!」
「引いてはねーよ。
ただお前も恋愛するんだな〜と」
「恋愛っていうか友達なんだけどな……
昨日急に腕にしがみつかれてさ……
それでちょっと拒絶してしまったというか……」
「それもう!……っ!! お前のこと好きだぞ!!」
「うるさいな朝から……」
「いやもう告れよそれは!!
てか相手は誰なんだよ!」
「教えるかよ……」
告るという考えは全くなかった。というか、今までずっとミオは友達だから!と自分に言い聞かせて、自分の欲を抑えていた。
けど僕は昨日自分の気持ちに気付いた。
欲ではなく、心から彼女が好きなんだと……
ただ、僕は怖い。
告白して、振られたらこの関係すらなくなるんじゃないか……と。
何より、陽斗はこう言っているが、ミオが僕のことを好きになる理由が一つもない。
ミオへの告白……これは僕にとって、二階から目薬どころか、肩甲骨を使って空を飛ぶくらい難しい挑戦だ。
「失敗したらどうしようか……」
「覚悟決めろよ!
失敗したら死ぬくらいの覚悟で行って来いよ!
一緒に死んでやるぜ?」
「誰がお前と心中したいんだよ。
まぁそうだな……
死ぬぐらいじゃ生温い……」
「おっと!」
「失敗したら……全裸で逆立ちして廊下往復してやるよ!」
「おお?! 絶対やれよ!」
実際そのくらいの覚悟じゃないと無理だと思う。
ミオに……告白しよう!!
「…………か ……おい、遥!」
「はい!」
ダイニングで寝ていた俺を揺さぶりながら起こしたのは父だった。
「おかえり父さん」
「ただいま
そんなとこで寝てたら風邪ひくぞ?」
「この時期風邪とか引かんだろ」
「クルミは風呂?」
「そうだけど……まだ上がってないの?」
母からすれば、自分含め二人分の世話をしてるのだから時間がかかって当然だ。
「溺れてるんじゃないか?
見に行って……」
「行ったら殺すぞ」
風呂から上がった母とミオがリビングに来た。
ダイニングとリビングが繋がっているため、食事中の父さんは知らない女性が入って来たことに驚く。
「誰だその子は?!」
「聞いて驚け!俺の彼女だ!」
「かなりのベッピンさんだな〜」
「あんま舐め回すように見るのはやめてくれ」
「わーてるよ」
「俺入っていくるわ」
あまりケアをしない俺は、10分くらいで風呂を出た。いつもならゆっくり浸かるところだが、両親にミオが何かされていないか心配だったので速攻で上がってやった。
父は何もしてなかったが、母はミオの困惑する様子を気に止めることなく、愛でていた。
悪かったな息子(おとこ)で……
「母さん、ミオ困ってるから程々にね」
自分の意場所が取られたとは思っていない。
ミオも困ってはいるが嫌そうではなかったし、見ていて微笑ましかった。
それでも、ミオを母に奪われているのは癪なので奪い返すことにした。
ミオの手を握って引き剥がす。
ミオの腕がピーンと伸ばされると、母はアッサリ拘束を解いてくれた。
「盗られたのが悔しかった?」
「うっせぇなぁ」
「はいはい」
母は俺とミオを俺の部屋に閉じ込めた。別に扉を板で押さえているとかそういうことではなくて「一緒に寝なさいよ〜」だってさ。
母は俺がミオを襲ってしまうのを恐れているんじゃないか、と思っていたが、むしろ促すようにしているのに違和感を覚える。
「ごめんねミオ……」
「大丈夫です……」
ミオをベットで寝るように促し、俺は布団を敷いて、掛け布団で身を包むと少し暑苦しさを感じる。
一番気になっていることを訊くかどうかを1日中迷っていた。
訊くチャンスが到来したのでそれを掴もうと声を出す。
「あ、えーと……ミオ?」
「はい?」
「えーと……その……いや、なんでもない」
訊く勇気が出なかった。
内容は『なぜ変わってしまったのか』だ。
このことに触れるのはまずい気がするのが直感で分かっていた。
俺にはミオが、猛獣が辺りに配置されている檻に閉じ込められているように見える。
近づいて触れることができても、生きて帰れなそうだし、ミオを檻から出せても二人で死にそうだ。
昔話でもすれば話してくれるんじゃないかと思い、卑怯にも遠距離攻撃をしかけるが如く、3年前の話をし始める。
「俺さ……ミオへの告白成功すると思ってなかったんだよね」
当時の僕……じゃなくて俺は、告白は一か八かでやるものではないことは理解していた。本来、いい感じになった男女が、自分達の想いを確かめるためにするものだし、下手すると相手への冒涜になりかねない。
それでも俺が、ミオに告白した理由は自分でも未だに分からないが、ミオのことは好きだったし、ミオも少なからず好意はあったと思う。
「ミオがオッケーくれたときもう本ッッッ当に嬉しくてさ、それと同時に釣り合ってない自分に反吐がでたよ」
後々自分の気まぐれを後悔することってよくあるじゃないか。なんで俺こんなことしたんだろうって、しない方がよかったんじゃないかって。それがたまたま成功しただけであって、悪い点なんて幾らでもある。
俺がミオと釣り合ってないこととか、周りからバカにされることとか。
俺の気まぐれで俺だけが傷つくのならそれでいいけど、ミオにまで迷惑をかけていたと思うと、今更だけど心が痛む。
『心因性視覚障害』っていうのを聞いたことがある。過度なストレスによって、視力が奪われていく病。
ミオは家庭の問題だって言ってたけど実は俺のせいなんじゃないか?
だから俺の目の前から消えたんじゃないか?
ミオを幸せにするって無責任な発言しておいて傷つけてたのって俺なんじゃないか?
俺の中で自問はされるが、自答はなかった。
「ミオ……ごめんね……」
また俺は無責任な言葉を無意識的に出してしまった。
涙腺から溢れる想いはミオに届かないように枕に染み込ませた。
付き合ってから初めてのデートの日。
駅前で待ち合わせをしていた僕は急ぎ足で待っているだろうミオのもとに向かった。
初デートで遅刻とかシャレになんねーよ……
下校の際に捕まるのとは違い、昼前からのデートを約束していたこともあって、準備に苦戦していた。
どんな髪型がいいのかなとか、服装これでいいのかなとか、僕臭くないよなとか色々。
時間をかけた割には、結局イキってるとか思われたくないので、いつも通りの髪型に、父の服を盗み少しだけオシャレをする。時計を見た時には大惨事だった。
「ごめんお待たせ」
「おせーよバカ!」
「ごめん……」
スマホを開き、時間を確認すると、待ち合わせの時間より、5分程早かった。
僕の中では間に合ったという安堵よりも、無駄な体力を使ってしまったという謎の後悔の方が大きかった。
「間に合ってるじゃねーか」
「いいから早く行くよ?」
「うん……あ、切符買ってくる」
「ミオも行く〜」
片道540円……この中途半端な金額に苛立ちを覚える。
500円か、1000円か、2000円のチャージが可能だが、1000円チャージしても460円捨てた気分だし、どちらにせよ往復しないといけないので2000円を買わないといけない。2000円チャージしても920円捨てることになる。1000円と500円チャージしても、420円捨てるのであまり変わらない。
つまり何がいいたいかというと、中途半端な値段にすんな!オラァ!てこと。
「ね、チャージじゃないの?」
「チャージするわけねーだろ」
電車に乗ると、電車の走行音だけが響いていた。
11時代の微妙な時間帯だったので人は多くもなく、少なくもない感じで、席はそこそこ空いているが、意外にもミオは「座らん?」とかは言ってこなかった。
僕からすれば好都合ではある。
座るとなると、ミオと隣に座るだろうし、そうなると緊張しすぎて気まずい。
僕は切符を買ったが、ミオはチャージをした。
ミオは面倒くさいのを避ける代わりに金を払えるような、詐欺に遭うタイプで、僕は遠回りしてでも金を守るタイプ。僕とミオは真反対らしい。
元々それは思っていた。誰にでも明るくてうらさいくらい個性豊かな彼女と、慣れている相手しか話せないような陰キャでコミュ症の僕。
ミオの「君に興味あるな〜」は自分と真反対の僕に興味があったのだろう。
僕は僕でミオの明るい性格に惹かれている。
外の景色を眺めるミオの様子を眺めてみる。
10月というこの季節、思えば一瞬だった暑い夏が終わり、寒さすら感じる気温の中、生足で寒くないのかな?と思いつつミオの生足を堪能する。
もうそろそろ絶滅危惧種となる生足JKに感謝感謝。
「えっち……」
ミオは恥ずかしがる様子はなく、むしろ悪戯な笑みをこちらに向ける。
「あ!いや……寒くないのかな?と」
「寒くなくはないけど……せっかくのハルくんとのデートだもん!
可愛いくしたいじゃん……」
ミオがこちらに寄ってくる。
「……ちょっ!」
「いいじゃん付き合ってるんだし!」
ミオが僕の手を包む。
胸がうるさく高鳴り、僕は勃っていることがバレないように腰を少し後ろに下げる。
ミオの手は柔らかく、モチモチしていて、僕の手とは全然違うんだなと思いつつ、ガサガサしていることに申し訳なく思う。
握り返した方がいいよな。
でもまだ付き合って数日だしな。
数日って言っても一応は彼氏だし。
でも僕みたいなのがこんなの握っていいのかな……
握っていい決定打を自分の中で探していると、ミオは指を絡ませるように握ってくる。
「……あっ」
「変な声だすなよ〜」
「ごめん……」
積極的に詰めてくるミオだが、実は勇気を振り絞ってしているのだとしたら?……そう考えると自分の葛藤が情けなく思えた。
僕はミオの手の甲に指を伸ばすように握り返した。
ミオが話題を振ってくれていたが、何も入ってこなかった。
ミオの手を堪能しつつ、一人反省会をしていると、いつの間にか車内は人で溢れかえっていた。
僕達の目的地はかなり都会らしく、人の乗り降りもかなり激しい。
僕とミオは手を繋いだまま、人混みに流されるように電車を降りた。流れるままに進み、振り返ると、降り口から掘り当てた温泉のように溢れ出していた。
もうすぐ冬だからってミオもこんな汚い温泉選ばなくてもよかったのに。
駅を出た時の景色は凄かった。
馬鹿みたいに高いデパートやビルが並び、馬鹿みたいに横幅の広い車道を流れるように通る車、そして何よりこの辺の人間全員ミオくらいうるさい。
「アクア何とか水族館ってどこ?」
「アクアサンシャイン水族館ね。
ちょっと歩くからね」
「え〜」
「歩くぞ運動不足め」
「はいはい」
別に歩くのが嫌なわけじゃないが、不規則に動く人混みの波の中動くのが嫌だ。
ミオが考えてきてくれたデートコース……こういうのは男の方が考えるべきだろうが、残念ながらそういうことには疎い。
しばらく……っても数分程度歩くと、馬鹿みたいに大きい水族館の入り口に着いた。
「ここって本当に水族館?」
「水族館……らしいよ?」
「水族館って魚を見るところじゃないの?」
「いや? 水族館はイルカショーとか、カフェで食事とか出来るとこ!……らしいよ?」
「なんで自信なくした?」
「水族館とか行ったことないもん!」
「ないのかよ!」
恋愛とか結構してそうなミオだけど、初めてなことを一緒に出来るのは嬉しいし、何より僕が誰かとデートをするのは初めてなので少しだけ緊張感が解けた。
僕とミオはイルカショーの会場に来ていた。
「めっちゃ前の方空いてるね」
「濡れるからじゃない?」
「あ、そういうこと?!」
それ以外はなにがあるんだよとは言わないでおく。
「けど前の方しか空いてないね」
「そうだね。次のイルカショーまで待つ?」
「いや、いいよ。そこ座ろ?」
濡れるのは嫌だけどミオがそうしたいなら尊重する。
これ着替え持ってくるべきだったな……
「皆さん!こんにちは!
アクアサンシャイン水族館へお越し頂きありがとうございます!……」
マイクを通してトレーナーの人の声が響き渡る。
「うわ〜!始まるよ!始まる!」
会場の照明が変わり、イルカショーが始まるのを感じる。
正直僕にとってイルカショーはどうでもよかった。
イルカショーで無邪気にはしゃげるミオを見る方が好きだったから。
僕がこの笑顔を守りたいと思うのは無責任なことだろうか。
告白が成功した時は本ッッッ当に嬉しかったが、今では告白が成功したことの嬉しさよりも、この先上手くやっていけるかなという不安の方が大きい。
「ねぇミオ?」
「ん?」
「これから上手くやれるかな……
今回も……ていっても今回が初めてだけど、ミオがエスコートしてるみたいだしさ……えーと……」
「ふふふ、そんなことで悩んでたの?」
僕の悩みを嘲笑うように微笑んだ。
「そんなことって……」
「大丈夫だよ」
「え?」
「ミオが何回でもエスコートして上げるから」
「え? いや!
いつかは僕が出来るようにするから!」
「ん! 待ってるね!」
『いつかは』なのが自分で情けなく思う。
ミオを幸せにしたい!を綺麗事で終わらせずに、有言実行すると心に決めた。
バシャーン!
イルカが飛ばした洪水に、綺麗に僕だけがかかった。
濡れた僕を見てミオがケタケタと笑う。
「絶対こうなると思ったんだよな」
「ハルくん可哀想だな〜」
「おい!まじふざけんなよ!」
次の瞬間……バシャーンとミオにも水が飛んでくる。
笑い声は一瞬で止み、ミオはキョトンとしている。
そして僕はやり返すように笑ってやった。
「服、買いに行こっか!」
「そうだね!」
僕達は服屋に来ていた。
靴が濡れているので店の人に申し訳ないなと思うがミオはあまり気にしてないらしい。
「濡れてるから申し訳ないな」
「なんで? 他にも濡れてる人いるじゃん!」
辺りを見渡すと確かに濡れてるカップがいた。
「あ、本当だ。
てかなんか店員がこっち見てニヤけてるんだけど……」
「微笑んでるが正しいでしょ絶対」
「そう思っとくか」
ミオはなんでもプラスに考えられるような前向きかつ、ポジティブな人で、今を全力で生きる!みたいなところが好きだ。
着替えたミオが試着室のカーテンをパーンと開けてやって来た。
「じゃじゃーん!ミオ可愛いでしょ!
どう? まぁ褒めないと許さないけどね〜」
「か、可愛い……」
「そんな本気で褒められると照れるんだけど……」
「だって可愛いもん……」
「やめい!」
その後、ミオに着せ替えされ、昼食を終えると、デカい水槽を二人でゆったり歩きながら眺めていた。
「あ、中トロ」
「いや、マグロですらないし、クマノミだろ!これ!」
「え!そうなの?!」
「なんで驚けるんだよ!」
「中等部からトロいんです〜」
「もうそれいいよ」
中等部からトロいってミオは言っているけど、ミオのどこがトロいのかあまり分からない。むしろ、トロいのは僕の方でミオのハイペースに引っ張られているような感じだ。
もしかしたらトロい=マイペースってことなのかな?
僕は唐突な尿意に襲われた。
「あーごめんミオ、トイレ行ってくる」
「いってらっしゃーい」
用を足した僕は、丁寧に手を洗い、ハンカチを忘れたことに気づき、内心うんざりしながらハンドドライヤーに手をかざす。
ミオを待たせているので少しだけ早歩きしてミオのもとへ向かうと、ミオがそこそこ背の高い男性と話しているのが見えた。
なんかトラブルかなと思ったが、少し遠くから聞き耳を立てると、ナンパをミオが断わっているのが聞こえた。
水族館でナンパって頭悪いだろと思いつつ、ミオのもとへ向かう。
「あ!彼氏来たんでミオもう行きますね!」
ナンパ男に見せつけるように、僕の腕にしがみつく。
「ねぇハルくん、ミオ水族館でナンパされる人NO.1の称号頂きました!
表彰式はどこでありますか?」
「おみ上げ屋さんとかにあるんじゃない?」
ノリの悪い僕は、とりあえず表彰=なんか買って欲しいと解釈しておみ上げ屋に促す。
「なんか買ってくれるの?」
「いいけど……今日は恐喝はしないんだね」
「恐喝って人聞きの悪い……
いつもハルくん奢りたくて奢ってるんでしょ?」
「なわけあるか!」
さっきの男は学校の廊下で見覚えがあるので同級生だろう。名前すら知らないので問題はないと思うけど一応は警戒しておく。
ミオと再会してから昔の夢を見ることが多くなった。そのせいでどうしても、今のミオと前のミオを比べてしまう。今のミオを見てると昔の自分を見ているようで冷たい感触が胸を刺す。
窓から太陽光が差し込み、自分が汗だらけのことに気がつく。布団と自分の肌が張り付いていて気持ち悪い。
よく眠れたのに朝から不快だ。
ミオはもう起きていたようで、ベットに座ったままボーっとしている。
「ミオおはよ」
「おはようございます」
相変わらず敬語で話すとこを見ると、もう前のミオはいないのかと寂しく思う。
今日はミオを連れ回すと決めていたので水族館に連れて行く。
目が見えないのに水族館行っても楽しくないかもしれないが、昔のミオに戻ってくれないかなと期待を込めた判断だ。
「今日は昔行った水族館行こっか」
「えーと……はい」
ミオの手を引っ張り部屋を出る。
自分で言うのもなんだけど、割と裕福な家庭で、リビングとダイニングの他に、一階に物置になっている部屋と、二階に親の寝室、俺の部屋と、書斎まである。
階段は真っ直ぐだけど、階段までの道のりがミオにとって少し複雑だと思うので、丁寧にミオの手を引っ張り誘導する。
「階段あるから気をつけてね」
「はい」
キッチンから料理をする音が聞こえているので、母が朝ご飯を作っているのだろう。
ベーコンの香ばしい匂いが鼻をくすぐり、さっきまで気づかなかった食欲がうるさく主張する。
「母さんおはよう」
「おはよう。ミオちゃんもおはよう」
「おはようございます」
「母さん、朝ご飯食べたら出かけるから」
「あらそう……デート?」
「まぁそんなとこ」
「何時くらい帰って来るの?
ホテルには連れ込んだらだめよ」
「うっせぇな。分かってるから」
その後父も降りてきて、4人で朝ご飯を食べる。
母はいつものように、どうでもいいニュースや、近所付き合いの話をするので俺と父は適当に頷く。
昨日と同様にミオの口に食事を運び、いつもとは違う朝の食卓の時間を終える。
電車の540円の切符に少し苛立ちを感じるが前も思ったような気がして、なんだか懐かしい。
手を繋いだまま改札を通り、電車を待つためホームに向かう。
改札を通ってから、ホームに行くまで、長い階段があるので丁寧に誘導する。
昨日再会して丸一日経ったというのに一度も恋人繋ぎはしていない。
なんというか、2年ぶりに会って恋人と言えるかどうかも怪しい関係だし、俺がミオと手を繋ぐ理由はあくまで、目が見えない彼女の補助に過ぎない。下心というか、そういう気持ちでやるのは違う気がする。
ミオの服は、ファッション関係の仕事をしていた母からパクった物だ。
今は主婦に専念しているが、俺が生まれるまではしていたらしい。俺を妊娠したのが22くらいだったので3、4年しかしていないのだろうが、今の俺達からするとそれが有り難い。
ミオの服装を褒めたいところだが、母の服を着ているので、似合ってるって言うのもなんか違う気がする。
電車がゆっくりと走り出すと、車内には心地いい揺れと、窓の外を流れる風景が広がっていた。
電車の中では昔とは逆で、俺が話しかけ続けたが返事は素っ気なかった。
「そういえば、ここから何駅か先にさ、でっかい本屋あったよな。まだあるかな……」
「うん……あったと思います……」
「高校の時、あそこ寄って立ち読みしてたよな。
ミオが、恋愛漫画ばっか読んでたから、俺も一冊だけ読んでみたけど……あれ、なんか主人公の男がチャラくて苦手だったな」
「そんなんですね……」
「あのさ、ミオの服、なんか雰囲気変わったよな。似合ってるって言おうとしたけど……それ母さんのだったなって思い出してちょっと複雑」
ミオの顔はいつも通り伏せ気味で、電車の揺れに身を任せている。
「てかさ、母さんも昔はオシャレだったんだな……いや、今もちゃんとしてるけどさ。あの人が選んだ服がミオに似合ってるの、なんか不思議な感じ」
2年前より言葉を発せられるようになったけど、ただの昔話とか、思ってることを言語化しただけのつまらない話。
昔のミオみたいに人を楽しませられるように上手く話せない。
その後、俺とミオは駅に着くまで沈黙だった。
昔と変わらず、アクアサンシャイン水族館の最寄り駅は人口密度が高すぎる。夏前と言っても6月中旬で、エアコンが効いていた車内から出た瞬間モワーっと暑さが伝わってくる。
「暑いね」
「うん……」
前回と全く同じ道を辿り、水族館に到着する。
プールのようなケモノのような匂いが嗅覚をくすぐる。
この匂いで一番に思い出すのはイルカショーだ。前に来た時はイルカショーなんて全く見てなかったので、覚えているのはミオがはしゃいでいたことぐらいだ。
「イルカショー久しぶりだね!」
「そうですね」
「今回は後ろの方空いてるね!」
「……」
ミオに聞こえないように鼻で溜息を吐く。
再会した時よりも口数が減っているので気に障ることしたのかなとか、もう嫌いになったのかなとか、色々な考えがよぎる。
なんかもう辛いよ……
なんでもいいから言って欲しいな……
『皆さんこんにちは!
アクアサンシャイン水族館へお越しくださりありがとうございます!』
聞き覚えのある懐かしいアナウンスが流れる。
明るく振る舞われるアナウンスの口調が余計に俺の気を障る。
イルカショーを見終えた俺達は暗いけど青の光に照らされるデカい水槽を眺める。まぁミオは見えないだろうけど……
「うわぁあの人目ぇ見えないんじゃね?」
クソガキ殺すぞと内心思いながら、怒りを抑える。
「ごめんね……白杖見えにくいかな」
ミオがボソッ呟いた。
その言葉に俺は希望を感じた。
昔のミオのように皮肉たっぷりとはいかないが、地味に皮肉を込めているのがミオらしい。優しさというか、聞いているこちら側の胸が痛くなるような言い方は今のミオの対応の仕方なのだろう。
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