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市役所に行き、離婚届をもらってきた。
そんな書類をもらうことなんて、住民票をもらうより簡単だ。
考えてみれば、こんな書類一枚で人生が左右されるなんて、誰が作ったんだろ?こんな制度。
必要なところを書き込む。
証人の欄は、娘夫婦に書いてもらった。
「これでよし、と」
名前とハンコ。
あとは旦那の分と日付と。
これで気分だけはスッキリした。
クリアファイルに入れて、テーブルに置いておく。
にゃあーんとタロウがやってきた。
おやつを出してあげる。
旦那との間に子どもがいたら、もっと違ったのかなあとも思う。
「産んでおけばよかったのかなぁ」
結婚してすぐに、旦那の子どもを妊娠した。
でも、産まなかった。
胎児のすぐ横に筋腫が見つかったのと、またいちから子どもを育てるということに自信がなかったので、諦めた。
「筋腫は、少々妊娠継続に障害があるかもしれませんが特別に何かがおこるということもありません」
などと中途半端な医者の説明のせいにしたけど、内心、産みたくない、その一心だった。
「子ども一人育てるのも家を建てるのもかかる費用は変わらないって聞くよ」
そんな私の身勝手で家を建てた。
単純に自分の家というものが欲しかったのだ。
ちゃんとした入れ物としての家があれば、家族もちゃんと出来上がるなんて浅はかな考えだった。
その子どもがいたら今は中学生か。
でも、いたらいたでこうなっていたか、これよりも酷いことになっていたかもしれないとも思う。
こうやって思い返すと、私はとことんわがままな女だ。
最初の結婚で、何も満たされず終わったからその反動なのかもしれない。
そう思うと、今の旦那は私に振り回された被害者?って認めたくないけど。
それならそれで、自由にしてあげないといけないとも思う。
「お母さんは、自分をいっぱい好きでいてくれる人じゃないと、物足りないんだよね」
綾菜に言われた。
欲しがりさんだと。
子どもなのは私だ、それでも幸せを欲しがることはやめられない。
その日、旦那の帰りは遅くて私は先に寝てしまってた。
晩ご飯はテーブルに出しておいた。
「よく寝た!タロウ、ご飯あげようか?」
離婚届を書いただけで、気分がスッキリしたのか熟睡したようだ。
タロウのお茶碗にカリカリを入れる。
「あれ?」
思わず声が出た。
離婚届はキチンと記入されて、ハンコも押されている。
それと、晩ご飯の後片付けも全部できていた。
「やればできるじゃん!」
カリカリを食べてるタロウの頭をクシャクシャと撫でる。
タロウはご飯が食べにくそうだったけど気にしない。
それにしても、離婚届は何も言わずに記入したんだ…。
あとは提出の日付だけだった。
ゴホンと旦那の部屋から咳が聞こえた。
「ねぇ、ちょっと、起きてる?」
「ん、あぁ、起きた」
「離婚届って…」
「書いておいたから、好きな時に出していいよ」
「いいの?」
「いつ出すかわからないけど、まかせるよ」
ガラッと扉を開けた。
旦那は起きて座っていた。
「どうして?」
どうしてそんなにあっさりと書いたのか、聞きたかった。
好きだけじゃどうにもならないこともあるって言ってたから、絶対スムーズにはいかないと思ってた。
「それ、とりあえず書いておけば、未希ちゃんも落ち着くかなと思って」
「私が?」
「ずっとさ…まぁ、俺が悪いんだけど、ずっとイライラしてるというか、焦ってるような感じだったから」
「あー、まぁ、うん」
「お金のことは好きだけじゃどうにもならないけど、あれを書くくらいならすぐできる。それで未希ちゃんがイライラしなくなるなら」
「……」
何も言えなかった。
これを市役所に提出すれば、晴れて離婚できる。
記入された離婚届を見ながら考えてみた。
これで貴君と旅行しても不倫とは言われない。
堂々と歩ける。
「でもなぁ…」
思わず独り言が出る。
見た目は何も変わらないじゃないかと。
姓を同じにしてチェックインするなら、それは不倫だろうがなんだろうが関係ないし、外見上で私が独身になったとはわからない。
なにより、住むところがまだ決まってないから当分は同居になるし。
あんなにしたいと思ってた離婚なのに、いざ離婚できるとなったら二の足を踏んでいる私がいる。
「なに、ぼーっとしてるの?ちゃんと仕事して」
貴君に怒られた。
「はい、すみません」
そうだ、貴君にも聞いてみようかな?離婚のこと。
帰り道、カフェで待ち合わせた、旅行の話があるからと呼び出して。
「どこに行きたいか決めた?」
「うん、と、その前にこれ」
私は記入済みの離婚届を見せた。
「あ、とうとう離婚するんだ…」
「そう、もういつでもこれを出せば私は独身に戻るんだよ」
「ふーん…」
あれ?あまり興味がないらしい態度。
「一応さ、離婚してからのほうが旅行に行きやすいかなってことで、日程を決めてなかったから。これを出せば日程を決められるしね」
「まぁ、それはそうだけど。俺の気持ちとしてはどちらでもかまわないよ、旅行に行ったことが旦那さんにバレてそれで何か責められたりしなければ、結婚してても離婚してても同じ感じ。俺と結婚するというなら話は別だけどね」
ん?そうか、たしかにそうかもしれない。
「じゃあ、私が離婚してなくても旦那がごちゃごちゃ言わなければ構わないってこと?」
「簡単に言えばそうだよ、ただ…」
「ただ?」
少し話しづらそうな様子の貴君。
「気になるんだけど…、続き」
途中で言葉を切った貴君に続きをせがむ。
貴君は、ごくごくとアイスコーヒーを飲み干す。
「もしかすると、近いうちにお見合いするかもしれない。そしてその人と結婚するかもしれない、そうなったらもう一泊旅行とかはできないと思う、さすがに」
「それは…そうだね、やっぱり」
お見合い、するんだ…と頭の中で考えた。
いつかはそうなるかもしれないと思ってたけど、こんなにはっきり言われるとショックだった。
「友達としてのツーリングとかなら平気だし、俺は異性の友達もありだと思ってるから」
「じゃあさ、アレだね、私が離婚してもしなくてもセックスしてもしなくても、一泊旅行はこれが最初で最後ってことだね」
今度は私がアイスコーヒーをごくごくと飲み干す。
貴君といると楽しいけど、貴君との未来は、始めからないんだったと思い出した。
それでも、やっぱり旅行はしたい、一度だけで終わりだとしても。
「じゃあ、大事なのは貴君がお見合いする前に旅行しないといけないってことだね?」
「そうだね、そういうことになるね」
好きとか愛してるとか、そんなこと言ったことも言われたこともない、ただの異性の友達だったことを、いまさらながら思い出した。