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「まぁ……」
アクチュアリティ女王は、目の前の銀貨を見つめていた。
白銀のテーブル。
その中央で。
コインは静かに「表」を示している。
「……私の負け……!?」
その言葉が。
白銀の空間にぽつりと落ちた。
「……」
「……」
「……」
女王は固まった。
マフィオソも固まった。
そして。
チャンスだけが。
笑っていた。
「フッ……」
サングラスの奥。
黒い瞳が。
かつてないほど生き生きと輝いている。
つい先ほどまで。
彼は壁にもたれ。
何もかもを諦め。
「世界には刺激なんて存在しない」とさえ思っていた。
幼い頃に逃げ出したはずの安全な箱庭へ。
また閉じ込められたと思っていた。
けれど。
今。
その箱庭の中で。
あり得ないものが起きた。
絶対的な不運。
そして。
本来なら絶対的な幸運をもたらすはずだった、自分自身の力。
正反対の二つがぶつかり合い。
勝敗すら決められない結果を生み出した。
コインが。
立った。
そして。
最後には。
表になった。
それだけ。
たったそれだけのことだった。
けれど。
チャンスにとっては。
それで十分だった。
「……ああ」
チャンスは、ゆっくりと息を吐いた。
「やっと分かった」
女王が顔を上げる。
「何がですの?」
チャンスは笑う。
「俺は、刺激がなくなったんじゃない」
「……?」
「俺が、刺激を見つけられなくなっていただけだ」
そして。
サングラスを指で押し上げる。
「だったら」
ニヤリ。
「自分で作ればいい」
女王の表情が変わる。
「……まあ」
その瞬間。
チャンスの中で。
何かが完全に戻った。
スリルを愛する狂気。
命を賭けることへの高揚。
失敗するかもしれないという恐怖。
勝てる保証などどこにもないという興奮。
そして。
それらすべてを。
心の底から楽しむ。
「フッ……」
チャンスは立ち上がった。
「約束通り」
女王へ視線を向ける。
「十倍にして回収させてもらうよ」
「……」
女王は。
少しだけ呆然としたあと。
ふっと笑った。
「なるほど」
「……?」
「やっと本来のお客様に戻りましたのね」
「そういうことだ」
チャンスは白銀のテーブルへ手を伸ばす。
まず。
自分の黒いフェドラ帽。
「俺の帽子」
ひょい。
鮮やかな手つきで拾い上げる。
そして。
頭へ。
スッ。
被る。
「……」
帽子の位置を整える。
つばを指で軽く押し下げる。
それだけで。
さっきまでの「何もかもどうでもいい男」が消えた。
戻ってきた。
いつものチャンス。
危険を楽しみ。
勝負を愛し。
何より。
予測不能な未来を楽しむギャンブラー。
「そして」
チャンスはテーブルの上に残された金時計を見る。
マフィオソの大切な懐中時計。
「これも」
ひょい。
拾い上げる。
「おい」
マフィオソが眉をひそめる。
「それは俺のだぞ」
「知ってる」
チャンスは無造作に。
ポイッ。
投げた。
「うおっ!?」
マフィオソが慌てて受け取る。
胸元へ抱き込む。
「危ねぇだろうが!!」
「ほらよ」
チャンスは笑う。
「借りだぞ、マフィオソ」
「……」
マフィオソは。
自分の手の中の金時計を見る。
傷はない。
ちゃんと戻ってきた。
「……ハンッ!」
照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「誰が頼んだ、このイカレたギャンブラーが!」
けれど。
その口元は。
ほんの少しだけ。
緩んでいた。
「……」
チャンスもそれを見逃さなかった。
「嬉しそうじゃないか」
「うるせぇ!」
「顔が笑ってるよ」
「笑ってねぇ!」
「笑ってる」
「笑ってねぇって言ってんだろうが!」
「フッ」
白銀の世界に。
久しぶりに。
二人の怒鳴り声と笑い声が響いた。
だが。
次の瞬間。
チャンスは。
ふと。
何かを思いついたように。
懐へ手を入れた。
「……そういえば」
「なんだ?」
チャンスが取り出したのは。
あのフリントロック銃だった。
「俺たち」
銃をクルリ。
一回転。
さらに。
クルリ。
もう一回転。
見事な手さばきで銃を回す。
「まだやることが残ってたな」
「……」
マフィオソの顔から。
血の気が引いた。
「おい」
チャンスは。
ゆっくり銃口を向ける。
「さあ、マフィオソ」
「……おい」
チャンスの瞳が。
ギラリと輝く。
「命懸けの第二ラウンドだ」
「待て」
「このヒーリング弾が」
「待て待て」
チャンスが笑う。
「君の頭をぶち抜くか」
「だから待て!」
「それとも」
銃を構えたまま。
さらに笑う。
「君が運良くかわして」
一拍。
「俺の首を跳ねるか」
マフィオソが叫んだ。
「だからその銃は当たっても肩こりが治るだけだろうがッ!!」
「……」
チャンスが止まる。
「……そうだった」
「忘れてたのかよ!!」
「いや」
チャンスは真顔になる。
「それも含めて面白い」
「どこがだ!!」
「殺すつもりで撃つ」
「うん」
「当たる」
「うん」
「治る」
「それを殺意と呼ぶな!!」
チャンスが笑った。
「最高じゃないか!」
「何がだよ!!」
マフィオソは慌てて椅子から飛び退く。
「来るな!」
「逃げるのか?」
「当たり前だ!」
「なら」
チャンスが銃を構える。
「追う」
「追うな!!」
マフィオソが走り出した。
「待てぇぇぇぇ!!」
白銀の廊下を。
マフィオソが全力疾走する。
その後ろを。
フェドラ帽を被り直したチャンスが。
満面の笑みで追いかける。
「ハハハハハ!」
「笑いながら追ってくるんじゃねぇ!!」
「楽しいな、マフィオソ!」
「俺は楽しくねぇ!!」
「じゃあ、もっと楽しもう!」
「嫌だ!!」
「一発だけ!」
「その一発で肩こりが治るだけだろうが!!」
「そうだ!」
「認めるな!!」
女王は。
白銀のテーブルの前に座ったまま。
二人が遠ざかっていく姿を眺めていた。
「……ふふ」
女王は口元を押さえる。
「やっと、賑やかになりましたわね」
遠くから。
「来るなぁぁぁ!!」
「逃げろ逃げろ!」
「お前、キラーだろうが!!」
「今さら気づいたのかい!?」
「銃を持って追いかけてくる奴が言う台詞じゃねぇ!!」
そんな声が聞こえてくる。
白銀の世界。
完璧で。
安全で。
退屈だったはずの世界。
けれど。
今は違う。
そこには。
予測不能な勝負があり。
意味不明な幸運と不運があり。
そして。
ヒーリング弾を撃ち込もうとする狂ったギャンブラーと。
それから逃げ回るマフィアがいる。
親が作った安全な箱庭も。
SWAPSAKENの反転の呪いも。
今のチャンスには関係なかった。
「安全?」
そんなもの。
もうどうでもいい。
「退屈?」
そんなもの。
自分で壊せばいい。
チャンスは走りながら笑った。
「最高だ!」
その声が。
白銀の空間いっぱいに響き渡る。
二人の狂乱のゲームは。
今度こそ。
本当の意味で。
始まった。