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68
肉じゃが長老
26
出発の時刻が近づいていた。輸送車のエンジンが低く唸る。
基地の照明が夜の闇を押し返し、その周囲に隊員たちの姿を浮かび上がらせていた。
天音は車両の脇に立っていた。
視察は終わった。
本来ならもう乗り込んでいてもおかしくない時間だった。
だが、なかなか解散にならない。
隊員たちが周囲に集まったままだからだ。
「本当に帰るんですね」
通信兵が言った。
「帰りますよ」
天音は苦笑する。
「ずっと居座るわけにもいかないでしょう」
「それもそうですけど」
周囲から小さな笑いが漏れる。
数日前まで張り詰めていた空気はない。
今いるのは視察官と兵士ではなく、同じ時間を過ごした仲間たちだった。
「少尉」
声がした。
整備班の若い隊員が一歩前に出る。
何かを差し出していた。
小さな筒だった。
不格好な作りだ。
塗装もされていない。
継ぎ目も見える。
明らかに手作りだった。
「これは?」
天音が受け取る。
軽い。
金属と樹脂の感触。
整備兵は少し照れ臭そうに頭を掻いた。
「万華鏡です」
「万華鏡?」
「廃材で作りました」
横から別の隊員が吹き出した。
「廃材って言うなよ」
「事実だろ」
「三日も工房に籠もってたくせに」
「うるさい」
笑いが起きる。
整備兵の顔が少し赤くなった。
天音は万華鏡を見つめる。
確かに新品には見えない。
だが丁寧に作られている。
指先で触れれば分かる。
雑に組まれたものではない。
「覗いてみてください」
天音はそっと片目を閉じた。
万華鏡を覗く。
光が広がった。
砕けたレンズ。
反射板の欠片。
不要になった機械部品。
本来なら捨てられるものばかりだ。
だが。
その欠片たちは幾重にも重なり合い、夜空の星のような模様を描いていた。
少し回す。
景色が変わる。
また回す。
別の星空になる。
同じものは二度と現れない。
「……綺麗」
自然と声が漏れた。
整備兵は視線を逸らした。
「そうでしょう」
少しだけ誇らしげだった。
天音は万華鏡を胸元で抱く。
「ありがとうございます」
心からの言葉だった。
整備兵は照れ臭そうに笑う。
周囲からも拍手が起きる。
冗談が飛び交う。
誰かが肩を叩く。
穏やかな時間だった。
だが――
その輪の少し外。
基地の照明が届く境界に、一人の男が立っていた。
黒い外套。
監視官。
誰も気にしていない。
視察団の責任者がそこにいる。
ただそれだけのことだった。
だが男だけは隊員たちを見ていなかった。
見ているのは天音だった。
感情の読めない目。
急かしもしない。
促しもしない。
ただ静かに立っている。
まるで時刻を待つ時計の針のように。
天音は一瞬だけその視線に気付く。
ほんの一瞬。
二人の目が合った。
監視官は何も言わない。
頷きもしない。
表情も変わらない。
だが、それだけで十分だった。
天音は静かに視線を戻す。
そして再び笑顔を作った。
隊員たちへ向けて。
「たまには隊のこと思い出してくださいよ」
誰かが言う。
天音は笑った。
「忘れませんよ」
その言葉に嘘はない。
忘れられるはずがない。
隊員たちの顔を見る。
笑っている者。
腕を組む者。
無言で立つ者。
兵士らしくない兵士たち。
問題児の集まり。
だが。
だからこそ好きだった。
だからこそ。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
「少尉?」
通信兵が首を傾げる。
天音はすぐに首を振った。
「何でもありません」
笑顔は崩れない。
誰も気付かない。
その奥にあるものには。
やがて運転手が車両の脇で待機姿勢を取る。
出発の時刻だった。
天音は万華鏡を握りしめる。
その時だった。
輪の外にいた監視官が口を開く。
「時間だ」
短い言葉だった。
感情はない。
命令でもない。
ただの事実。
それだけだった。
だが天音は小さく頷く。
「はい」
隊員たちは特に気にしない。
予定通りの出発だと思っている。
だが天音だけは知っていた。
その言葉の意味を。
その先に待つものを。
天音は車両へ向かう。
ドアの前で一度振り返った。
隊員たちはまだそこにいた。
誰も帰ろうとしない。
見えなくなるまで見送るつもりらしい。
「それでは」
敬礼する。
隊員たちも敬礼を返した。
天音は微笑む。
そして車両へ乗り込んだ。
ドアが閉まる。
膝の上には万華鏡。
指先が無意識にそれを握る。
車両がゆっくり動き始めた。
窓の向こうで隊員たちが小さくなっていく。
誰かが手を振っている。
誰かが敬礼を続けている。
ユウもそこにいた。
腕を組み、黙ったまま。
天音は目を離せなかった。
見えなくなる直前まで。
ずっと。
やがて基地の灯りが遠ざかる。
窓に映る自分の顔が見えた。
その腕の中には、小さな万華鏡。
壊れた部品の欠片で作られた、小さな星空。
天音は静かに目を閉じる。
そして誰にも聞こえない声で呟いた。
「……帰りたいな」
その言葉は車内の闇に溶けた。
誰にも届かないまま。
車両の赤い尾灯が、闇の向こうへ消えていった。
コメント
1件
うわ…第11話、すごくよかった…。出発前のあの温かいけど切ない空気、胸に刺さりました。廃材で作られた万華鏡に「綺麗」って漏らす天音の声が聞こえてきそうだったよ。隊員たちとの別れのシーン、ユウも腕組んで見送ってたんだね。それなのに監視官の「時間だ」の一言で現実に引き戻される感じがたまらなかった…。最後の「帰りたいな」が車内の闇に溶けて誰にも届かないのが、もう切なすぎる。この先どうなるんだろう…続きが気になりすぎる🔥