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その週の終わり、近藤が定期訪問にやってきた。
「真理子さん、本当に馴染んでくれてよかったです。スタッフの子たちも、真理子さんのこと大好きみたいで」
「そうなんですか……。本当に、助かっています」
「朝倉さんも、少し顔色が良くなりましたね」
近藤がにっこりと笑う。言われてみれば、確かに最近は夜もちゃんと眠れている気がした。
「それで、今後のことなんですが」
近藤が手元の書類に視線を落とした。
「そろそろ、ショートステイの利用も検討してみませんか?」
「ショートステイ……」
「ええ。デイサービスは日帰りですが、ショートステイは数日間、施設に泊まっていただく形になります。真理子さんはもうすっかり『おひさま』に慣れていらっしゃいますし、スタッフとの関係も良好です。今なら無理なく移行できると思うんですよね」
突然の提案に、柊吾は思わず言葉を詰まらせた。
ショートステイ。母が自分のもとを離れて、何日間か施設に泊まる。
「あ! もちろん、すぐにどうこうとか強制ではありませんよ。朝倉さんの介護負担を減らすためでもありますし、いざというときにスムーズに利用するための練習、くらいの気持ちで考えていただければ」
気遣うようにそう付け加える近藤の言葉を聞きながら、柊吾の胸の中には、複雑な感情が渦巻き始めていた。
「でも……」
柊吾の口から、反射的に言葉が出かかった。「まだ早い」「必要ない」「母さんが嫌がるかもしれない」。いつもの言い訳が、喉の手前まで並んでいる。
「柊吾さん」
近藤が穏やかに、でもまっすぐに言った。
「介護者自身の休息も、大切なケアの一部なんです。柊吾さんが倒れてしまったら、真理子さんを支える人がいなくなってしまう。今いつ最後に、一人でゆっくり眠れましたか? 誰にも気を遣わずに、自分のためだけに使えた時間が、どれくらいありましたか?」
「……」
答えられなかった。デイの時間は確かに増えた。でも、頭の片隅ではいつも母のことを考えている。夜中に物音がするたびに目が覚める。「休んでいる」つもりでも、どこかでずっと緊張している。
「……考えてみます」
それが柊吾の精一杯だった。
その夜、いつものように『おひさま』からの連絡帳を開いてみると、食事の際に少し時間がかかるものの、レクリエーションにも積極的に参加し、とても穏やかに過ごせている様子が事細かに記されていた。
『今日は七夕のレクリエーションを行いました。真理子さんも短冊に「柊吾が元気に過ごせますように」と書いてくださり、笑顔で笹に飾られていましたよ』
添えられた写真を眺めながら、柊吾はそっと胸を撫でおろす。
真理子のいない日常なんて、考えたこともなかった。思えば物心ついた頃から、母は常に自分の側にいた。幼い頃も、そしてアイドルとして活動していた頃も、マネージャーとしてどこに行くにも一緒だった。自分にとって母と一緒にいることは当たり前すぎて、「離れる」という選択肢そのものが、そもそも自分の中には存在しなかったのかもしれない。
(……ショートステイ、か……)
ぐるぐると頭の中で答えを探すものの、どうしてもまとまらない。重くなった思考をすっきりさせたくて、柊吾は何気なくベランダへ出た。
夏の生ぬるい風が、火照った頬を撫でていく。
梅雨の真っ只中だというのに、今夜は奇跡的に雨が上がり、厚い雲の隙間から澄んだ夜空が覗いていた。目を凝らすと、街灯の灯りの向こう、雲の切れ間にうっすらと天の川が白く尾を引いているのが見えた。
(そうか、もう七夕の季節だったんだ……)
連絡帳に書かれていた七夕レクの写真を思い出し、柊吾は静かに空を見上げた。離れて過ごす時間、変わりゆく生活、そして自分が抱え始めた名付けようのない感情。
どこへ向かえばいいのか分からない自分を、夜空の星たちが優しく見下ろしている気がした。
コメント
1件
柊吾さんの胸の内がじんわり伝わってくるエピソードでしたね。近藤さんの「休息もケアの一部」という言葉、すごく胸に刺さりました。離れることへの戸惑いと、それでも一歩踏み出そうとする葛藤がリアルで…。最後の七夕の短冊と天の川の描写が、優しくて少し切なくて、とても印象に残っています🌙
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しゅぴ
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