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翌朝。

私は久しぶりにゆっくり眠り気持ちよく目覚めた。

完全防音って言うだけあって部屋はとっても静かだったし、ベットのスプリングも絶妙な硬さで一度も目が覚めることなく朝を迎えた。

それは登生も同じだったみたいで、珍しく朝まで眠ってくれた。


「りこちゃん、おなかすいた」


朝、6時半。

昨日の夜あんなに泣いていた登生が、何もなかったかのように朝食の催促をする。


「はいはい、帰りにパン屋さんへ行こうね」

「えー」

ぷっと頬を膨らませる登生。


「じゃあお家に帰ったら美味しいフレンチトーストを作ってあげるから」

それでいいでしょと顔を覗くと、

「うん」

ニコニコ笑顔に戻っている。


そうと決まれば早く帰ろう。

中野さんはまだ眠っているかもしれないから、とりあえずお礼だけ伝えよう。

帰ったら保育園へ行く支度もしなければいけないし、部屋も昨日出てきたときのまま。やらないといけないことはたくさんある。

そんな事を考えながら、登生の手を引いてリビングへ向かった。


***


「おはよう」

「お、はようございます」


まさか、起きているとは思わなかった。

てっきりまだ眠っているものとばかり・・・


「朝食、注文するけれど?」

何がいいかとメニューを差し出される。


えっと・・・

これはどこかのホテルのモーニングかしら。

すごくきれいでおしゃれで、高そう。


「私は結構ですので」

中野さんだけどうぞと言ったつもりなのに、

「じゃあ僕が勝手に決めるよ」

そう言ってスマホを取り出している。


「ちょ、ちょっと待ってください」

このままじゃとんでもない朝食が届きそうで慌てた。


綺麗な顔をして、一見すごく優しそうなのに、時々押しが強くなる。

それが人の上に立つ者の持つ威圧感みたいなものかもしれない。

なんだかんだと言って、この人はお金持ち。私とは住む世界の違う人。

できれば早くここから消えたいのだが・・・


「僕たち大人はともかく、登生くんには食事を食べさせないといけないだろ?」

「ええ」

そんなことわかっている。

でも、だからってこんな高そうなモーニングはありえない。


「わかりました。ご迷惑でなければキッチンを貸してください。私があるもので作ります」

「君が?」

「ええ」


さすがにこれ以上はひけない。

急に泊めてもらって、高級モーニングまでごちそうになる訳にはいかない。


***


1人暮らしの中野さんのお家には週二回の家事代行サービスが入っているらしい。

どおりで家の中もピカピカで、どこにも散らかった痕跡がなかった。

当然キッチンもきれいに片付いてて、冷蔵庫の中には食材や作り置きの総菜が詰まっている。


「これって、何を使ってもいいんですか?」

「ああ」


正直、パンと卵と牛乳があればうれしいなと思っていたのに、美味しそうなハムソーセージや自分ではなかなか買うことのない南国のフルーツ、常備菜として入れられているサラダにマリネまで美味しそうなものがいっぱい。


「りこちゃん、ふれんちとーすと」

「はいはい」


どうやら登生はフレンチトーストが食べたいらしい。

それじゃあ、キッチンの隅に置いてあったバケットを切って卵液に付け冷蔵庫にあった高そうなバターで焼いてみよう。

付け合わせは作り置きのマリネとぷりぷりのソーセージ。あとは新鮮なフルーツにヨーグルトをかければ十分でしょう。


***


「できましたよ、さあどうぞ」


結局火を使ったのはフレンチトーストとソーセージのグリルだけ。15分ほどで朝食が完成した。


「うわ、美味そっ」

「うまそ」


中野さんの真似をして登生まで言っている。


「材料がいいから大丈夫だと思うけれど、味のクレームは受け付けませんからね」


こんなマンションに住むほどのお金持ちなら、普段から美味しい物は食べ慣れているはず。私なんかが作る庶民の味が受け入れられるのだろうかと不安になりながら、私は中野さんが食べるのを見つめた。


「うん、美味いよ」

一口食べて、中野さんが誉めてくれた。


「うん、うまい」

登生もおいしそうに頬張っている。


よかったお口にあったみたいね。

普段あまり食べない登生も、いつも以上に食べてくれた。

きっと、一緒に食べる中野さんに触発されたんだろうと思う。


「璃子さんも食べないと、無くなるよ」

「え?」


たくさん食べてほしいと思い、テーブル中央に大皿で出していたフレンチトーストはあと数切れになっている。


「さあどうぞ」

登生から守るように中野さんが最後の二切れをお皿に乗せてくれた。

「ありがとうございます」


目の前には綺麗に平らげられたお皿たち。

凄いな、そして幸せだなと思いながら私もフレンチトーストを口にした。


***


「りこちゃん」

「ん?」

「またあそびにいこうね」


中野さんの家がよほど気に入ったのか、アパートに帰る途中も登生はご機嫌だった。


「また今度ね」

「いつ?」


うーん、それは・・・


「また聞いておくわ」

「やったー」


きっと、もう中野さんのマンションにお邪魔する事はないと思う。でもそれを登生に言うのもかわいそうでごまかしてしまった。


「さあ、帰ったらお着替えして保育園に行く準備をしましょう」

「はーい」


ぐっすりと眠ったからだろうか、朝食をしっかり食べたからだろうか、今日の登生はとてもご機嫌だ。

毎日こんな調子なら子育ても楽勝なんだけれどね。


「あ、りこちゃんおてがみだよ」

「えっ」


登生と手をつなぎ帰ってきたアパート。

その部屋の前まで着いたとき、玄関ドアに貼られた張り紙に足が止まった。


どこで拾ってきたのかわからないチラシの裏に書かれた真っ赤な文字。

『うるさい、いい加減にしろ』

『出て行け』

殴り書きのように乱暴に描かれた張り紙がその怒りを表しているようで恐怖を感じた。

急いではがし丸めてカバンにしまう私を、字の読めない登生が不思議そうに見ている。


この時私は決心した。

もう、ここにはいられない。


***


マスターに無理を言って1日お休みをもらい、登生を保育園に送った私は急いで身の回りの整理をはじめた。

ここに住んでまだ半年。そんなに荷物が多いわけではないけれど、子供が一緒にいればそこそこの量にはなる。

さすがにすべてを持って歩くのは大変だからとりあえず必要なものはカバンに詰めて、今すぐ使わないものは実家にでも送ろう。

管理会社にはアパートを出ることを連絡したから、後は次のアパートを探して早く住むところを決めるだけ。

家賃や地理的な条件でなかなかいい物件はないけれど、いくらか妥協してでも住む所を決めなければいけない。

それまではビジネスホテルにでも泊まるしかないだろう。

自分1人ならネットカフェでも構わないけれど、登生が一緒にいる以上そんなこともできない。

痛い出費ではあるけれど、仕方がない。


ブブブ。

スマホの着信。


あれ、中野さんからだ。


そういえば、昨日の夜連絡先を交換したんだった。

嫌だなこのタイミング。と思いながら無視することもできず、私は電話に出るしかなかった。


***


「どうしたの?何があった?」

「えっと・・・」


マスターから私が休んでいることを知らされ、電話で異変を聞いてアパートの部屋に駆けこんできた中野さんに、すごい勢いで詰め寄られてたじろいでしまった。


「これは、酷いな」

私のカバンから出た張り紙を見て、中野さんの眉間にしわが寄る。


「もともとは私が悪いんです。単身用のワンルームに黙って登生と住んでいたんですから」

非難されるべきは私の方だと思う。


突然登生と暮らすことになった私は、何をどうしたらいいのかわからなかった。

意図的な悪意があった訳ではないけれど、そのことで周囲の人に迷惑をかけたのは事実だろう。

それでも、顔も知らない人から向けられる憎悪の気持ちに恐怖を感じた。

子供と2人で生きていくんだからこんなことで負けてはダメ。強くならなくちゃと頭でわかっていても、体の方がいうことをきかない。


***


「で、これからどうするの?」


一息つこうとコーヒーを淹れ、腰を下ろした瞬間に聞かれた。


「それは・・・」


すぐにでも住めるアパートを探すしかない。

それまではビジネスホテルにでも泊まることになると思う。


ブブブ ブブブ。

中野さんのスマホに着信。


チラッと画面を見たものの、中野さんは電話に出る気がないいらしい。


「もうここには住めないよ」

「わかっています」

さすがにここに住み続けようとは思わない。


ブブブ ブブブ。


「電話、いいんですか?」

急ぎかもしれないのに。


「無理言って出てきたから、戻って来いって催促だよ」

「それじゃあすぐに戻らないと」

仕事をおろそかにするなんてよくない。


「じゃあ、僕が戻るまでマンションで待っていてくれる?」

「え?」


確かに話は途中だけれど、そもそも中野さんにここまで心配してもらう理由はない。

それも、留守のマンションで待っていろなんて・・・


ブブブ ブブブ。

鳴り続けるスマホと私を交互に見ながら、「さあどうする」と言いたそうな顔。


「中野さんって意地悪ですね」

「今気づいたの?」


中野さんは、事故にもならなかった交通事故のせいで登生が夜泣きをしていると責任を感じてくれたんだろうか。

もしそうなら、不本意ではあるけれど私が引くしかない。じゃないとスマホは鳴り続けることになるだろうから。


***


結局、アパートの荷物をまとめて私は中野さんのマンションへやってきた。

別れ際に部屋の鍵を渡され逃げることのできない状況を作られたから仕方がない。なんて言い訳をしながら夕方には登生を迎えに行き、夕食の用意までして中野さんの帰りを待つ。


「きょうのごはんはなに?」

昨日に続き中野さんのマンションにやってきたことで登生はご機嫌。


「豚の生姜焼きとマカロニサラダ、登生の大好きなオムレツも作ったからね」

「ヤッター」


3歳の登生はほぼ大人と同じものを食べてくれる。

お肉も野菜も好き嫌いはない。

さすがに味付けは薄めになるように意識するけれど、お吸い物を少し薄めてやってサラダのドレッシングをやめるくらいで、後は私の食べる物と何も変わらない。


「りこちゃん、おふろは?」

「うん、そうねえ」


普段から、登生の寝る時間を考えて早めにお風呂に入るようにしている。

でも今日は話だけしたらホテルを取るつもりでいるから、お風呂までいただくわけにはいかない。


「お風呂は後にしましょう。もう少ししたら中野さんが帰ってくるから一緒にご飯を食べましょうね」


少し前に会社を出ると連絡が入った。

夕食を作りましたと伝えるとうれしそうだったから、きっと喜んでくれると思う。


***


「ただいま」

「おかえりなさーい」

嬉しそうに飛び出していった登生。


私は料理を運びながら二人を待つ。


「ただいま」

「おかえりなさい。お仕事、大丈夫でした?」


私のせいで途中抜けしたのを知っていて、気になった。


「心配ないよ」

「そう、よかった」


少し疲れが見えるものの、優しげな表情から困った状況でないのは見て取れる。

私も少しホッとした。


「アパートの方は片付いた?」

「ええ」


今すぐに必要でないものは段ボールに詰めて実家に送り、ごみの処分も業者に依頼した。元々家具家電付きのアパートだったから粗大ゴミが出ることもなかったし、あっという間にきれいになってしまった。


「ねえおじちゃん、おなかすいた」

「え?」

「登生、失礼よ。お兄さんって呼びなさい」

確か28歳だと言っていた中野さんに『おじさん』はかわいそう。


「なあ登生、俺は淳之介って言うんだ」

「じゅんのすけ?」

「そう。だからジュンでいいよ」

「ダメです」

「どうして?」「何で?」

「だって・・・」


3歳の子供に名前で呼べなんて、ダメに決まっている。


「じゃあボスにしよう」

はあ?

「わかった、ボス」


登生も気に入ったようで、すんなり決まってしまった。

なぜボスなのかは正直わからない。

それでも、ジュンと呼ばれるよりはいいか。


「璃子さんもボスって呼ぶ?」

意地悪い顔。


「いいえ。私は・・・」

「中野さんは、なし」


えぇー。

それじゃあ・・・


「・・淳之介さんで」

そう言うしかなかった。


***


「りこちゃん、おいしいね」

「そう、よかった」


そんなに食が進む方でない登生が、今日はもりもりと食べている。

もちろんその横にはさらに勢いよく食べている淳之介さん。

私は見ているだけで気持ちよくて、2人を眺めていた。


凄いな、こんなにきれいに美味しそうに食べてもらったら、作った甲斐がある。


「ねえボス、おふろはいる?」


え?


「登生、一緒に入るか?」

「うん」

「いや、待って。お風呂は帰ってから」


こうやってマンションにお邪魔しておいてなんだけれど、さすがに二晩続けてここに泊るつもりはない。

ご飯だけ食べたら失礼するつもりでいたのに。


「どこに帰るの?」

淳之介さんにしては冷たい声。


「それは・・・」


「こんな小さな子を連れてネットカフェにでも行くつもり?」

「まさかそんなこと」

そこまで非常識じゃない。


「友達の家とか?」

「いいえ」

残念ながらいきなり子ずれで押しかけていけるような友人はいない。


「まさかいつまでつずくかわからないアパート探しをホテル生活で乗り切ろうって思っていないよね?」

「それは・・・」


はあぁー。

淳之介さんから聞こえてきた深いため息。


「ねえ、璃子さん」

「は、はい」


なんだかとても真剣な口調になった淳之介さんに、私も姿勢を正した。


***


「子供にとって帰れる家と居場所があることがどれだけ大切なことかわかっている?」

「ええ、まあ」


理解はしているつもりでいる。

大人のように自由に行動できるわけではない登生には、安心できて安らげる場所が必要だとも思う。

でも、私にだって私の事情があって、理想論ばかり言っていることもできない。


「次に住む所が決まるまでここにいたらいいだろ?」

「それはできません」

これ以上、淳之介さんに迷惑はかけられない。


「今この状況で二人を放り出すことができるようなら、最初からここに連れてきたりはしないよ」

それは、帰す気はないという宣言に聞こえる。


なぜ淳之介さんがこんなに親切にしてくれるのかはわからない。

登生の夜泣きに責任を感じているのかもしれないし、ただ単に同情されているのかもしれない。

どちらにしても、淳之介さんの本心が私には読み取れない。


「どうしても僕と一緒が嫌なら、ここの同じフロアにもう一部屋うちの所有してる物件があるからそこにする?」

「えええー」

無理、無理無理、絶対に無理。


こんな超高級マンションを借りるようなお金もないし、もちろん好意で住ませてもらうことなんてできない。


「じゃあ、おとなしくここにいなさい」

「・・・」

返事ができなかった。

でも、それは決定事項だと感じていた。


***


お金持ちや地位のある家に生まれた子は『帝王学』なるものを学ぶんだと聞いたことがある。

それは人の上に立つための学問。

きっと、淳之介さんもそんな環境の中で育った人なのだろう。

ただ口がうまいだけではなく、たとえ嘘でも本当に聞こえさせてしまうような説得力とある種の威圧感。

数日前に知り合ったばかりの男性のマンションに住むなんてありえない行動を当然のことのように言う淳之介さんに私は説得され、最終的には「じゃあアパートが決まるまで」と頷いてしまった。


私たちの同居の中で決めたルールは3つだけ。

嘘をつかないこと。

登生の前では喧嘩をしないこと。

今まで家事代行サービスに依頼していた家事を私がすること。これは私が希望して条件に入れてもらった。


「登生の世話だけでも大変なのに、家事までできるの?」

心配そうに淳之介さんが言う。


「大丈夫です。世間のお母さんたちはみんなやっていることです」

「ふーん」


いくら気にしなくてもいいと言われても、こんな素敵なマンションにタダで泊めてもらうには抵抗がある。

せめて家事くらいして住み込みの家政婦のつもりにでもならないと、やっていられない。


「じゃあそう言うことで、僕は登生とお風呂に入ってくるよ」

「え、ああ、すみません」

早速登生の世話をさせてしまった。

訳あり子育て中は 御曹司からの猛攻にご注意下さい

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