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大阪出張の代休として今日一日休みをもらっていた俺の携帯にかかってきた電話は、おじさんからのものだった。
もしかして母さんに何かあったのかと、俺は慌てて電話に出た。
おじさんは普段からまめに連絡をしてくるような人ではないし、きっと何かあると嫌な予感しかしなかった。
「お前、今日は休みだそうだな」
「ええ」
「悪いがちょっと手伝ってくれないか?」
「手伝うって・・・」
言われている意味もさっぱり分からなかったが、おじさんの声が妙に暗くて不安になった。
「今日はアメリカからの視察があるんだ」
「ああ、例のプロジェクトの相手先ですよね」
「そうだ」
都心の再開発に合わせて複数のビルを建設し世界中の企業を誘致して新しい街を作り上げようという一大プロジェクト。
俺もHIRAISIに異動になる前は主要メンバーとして関わっていた。
今は遥が中心となって進めていて、順調だと聞いている。
今更俺の手伝いなんて必要ないように思えるが・・・
「遥の代わりに案内を頼めないか?」
「代わりって、」
そもそも田舎から出てきた友達に東京観光をさせるのとは訳が違うんだ。
相手もビジネスとしてやってきているし、遥だってきちんとプランをたててプレゼンしたいはずだ。
今回の来日ですぐに契約になるってことはないだろうが、相手の気持ちをつかむ絶好のチャンスになるのに。
「何があったんですか?」
今この状況で俺に頼むからにはよっぽどの事。
大体、遥はどうしたんだ。
「実は、萌夏ちゃんがいなくなった。遥たちも必死に探しているようだが、昨日の朝からの消息がつかめない」
「嘘、でしょ」
俺は持っていた電話を落としそうになった。
「本当だ」
おじさんの声が暗い理由がやっとわかった。
確かに、一大事だ。
「非常事態だ。とにかく来てくれ」
それだけ言っておじさんは電話を切ってしまった。
***
「ほら、行きますよ」
「ぅ、うん」
大地の学校の先生と面談をするため半休をとった礼さんに、とにかく非常事態だからと学校に電話をさせて、その間に身支度をした俺は自分の車に礼さんを乗せた。
「大地の学校、大丈夫ですか?」
「うん。電話で事情を説明したし、何かあればすぐに知らせますって言ってもらったから」
昨日初めて会った大地だが、年齢の割にはしっかりしていて頭のいい子だなという印象。
礼さんのことを気遣いながら自分の信念も曲げない、そんな芯の強さも感じて好感を持った。
まだ子供だから間違った選択をすることもあるだろうし、実際昨日のことだって現実逃避でしかない。
嘘をついて学校を休んだってすぐにばれるのに、そこが分からないのが子供らしくてかわいいとさえ思えた。
まあ、それだけ大地も悩んで追い詰められていたってことだろうが。
「大地のこと、怒ったらだめですよ」
まっすぐ前を見ながら、礼さんに声だけかけた。
「うん、わかってる」
「でも、悪いことは悪いと叱ってください」
「ずいぶん矛盾しているわね」
不満そうな口ぶりの礼さん。
はあぁー。
この人も、うちの母さんと同じか。
「いいですか、感情的に怒りをぶつければ大地は傷つきますし礼さん自身も後々後悔することになります」
「うん、そうね」
「でも、人に嘘をついたり、学校をさぼったり、心配をかけたり、やってはいけないことはいけないと伝えないとダメです。そこに、一人親で寂しい思いをさせているからとか、時間がなくてかまってやれない自分が悪いからってのは関係ありませんから」
礼さんからの返事は聞こえてこなかった。
どうやら、痛いところを言い当ててしまったようだ。
***
「おはようございます」
地下駐車場に車を止めて重役フロアまで直通のエレベーターで上がると、雪丸さんが俺たちを待っていた。
「「おはようございます」」
俺と礼さんの声が重なる。
「すみません、お休みのところ。礼も悪かったな」
休みのところを呼び出してしまったことを詫びながら、今日の資料を差し出した雪丸さん。
「先方とは昼食会場で合流するように調整しています。午後からは都内の現場を数ヶ所回って、夜は社長も交えて一席設けていますので今のうちに資料に目を通しておいてください」
「わかりました」
渡された資料はかなり大量ですべて見るのは時間もかかるだろう。しかし、重要なところには付箋やマーカーをかけてくれていてわかりやすくなっていた。
「これ、遥が準備したの?」
「ええ」
さすが遥。今は萌夏ちゃんのことで仕事どころじゃないはずなのに、抜かりがない。
***
「急に無理なお願いをして、すみません」
遥が普段使っている専務室に入った途端、雪丸さんが頭を下げた。
「何を言っているんですか。これは非常事態だし、誰が悪いわけでもない。ましてや雪丸さんが頭を下げるのはおかしいでしょう」
「しかし」
「それに、こう見えても俺は平石建設の取締役の肩書を持っているんでね。こんな時に役に立たないでどうするんですか」
「・・・ありがとうございます」
坂田雪丸。
俺より4つ年上の28歳。
もともと遥の友人で大学卒業後平石建設に入社。二浪して大学に入ったせいで勤務はまだ4年目だが、能力を買われこの春から営業課長の職に就いている切れ者だ。
昨年、身分を隠し一般入社した俺は営業部へ配属され彼の部下として働いていた。
当然『主任』と呼び、敬語を使い上司として従っていた。
本当はずっと、その関係を保っていたかったのだが・・・
***
俺の家は母一人子一人の母子家庭。
父さんも、兄弟もいない。
ただ、同じ家に暮らす同居人がいた。
物心ついた時からその人のことを『おじさん』と呼んで、いつも一緒にいた。
運動会や発表会には必ずおじさんが来てくれたし、夏になれば遥と一緒にキャンプに連れて行ってもらった。
俺自身その生活に不便を感じたことはなかったが、成長するにつれて外野の声が気になりだした。
『なんでおじさんって呼ぶんだよ』
『空のお母さんは愛人だって、うちのお母さんが言ってたぞ』
友人たちが何気なく言っている言葉でも、子供の俺には刃物のように突き刺さった。
だからと言って母さんに言えるはずもなく、悶々とした気持ちを抱えながら俺は成長した。
「もともとこの事業にかかわってらしたから細かい説明はいたしません。先方とも面識がおありでしたよね?」
「ええ」
「今年度に入ってからの変更点と進捗状況をまとめていますので目を通しておいてください」
「わかりました」
今や日本を代表する一大グループ企業となった平石財閥もその中心には平石の血族が多くを占めていて、だからこそ何かあれば助け合う。
今までもそうやって会社を守ってきたことをおじさんの側にいた俺は知っている。だから、今は俺が力を尽くすしかないんだ。
トントン。
「失礼します」
礼さんが入ってきた。
***
「お茶を入れました」
珍しく日本茶を入れてきた礼さん。
「ありがとう」
「課長も、どうぞ」
これから打ち合わせをすると読んだのか、雪丸さんの分のお茶も入れたようだ。
「ありがとう。え、お茶?」
普段ならコーヒーが出るタイミングだけに、雪丸さんは不思議そうにお茶を見ている。
「コーヒーは朝食の時に2杯も飲んだから、日本茶にしてくれたんですよ」
「ちょっと、」
俺が説明するのを、礼さんが真っ赤な顔で止めに入った。
「何で?事実だろう」
俺を睨みつける礼さんに素知らぬ顔で言ってみる。
こんな言い方をすれば誤解を生む。そんなことはわかっている。
わかったうえで、俺は雪丸さんに伝えたかった。
10代の頃から長い付き合いのある雪丸さんと礼さんの関係に、俺の入る隙は無いのかもしれない。
それでも、俺も本気なんだと言っておきたかった。
「わかりましたから、仕事の話をしてもいいですか?」
少しだけ口元を緩めながら、俺と礼さんを見る雪丸さん。
「すみません、失礼しました」
礼さんはお茶を置くと部屋を出ようとする。
「待って、礼さん。携帯は?」
俺は礼さんを呼び止めた。
「えっと、ロッカーの中に・・・」
「持ってきて」
「はあ?」
「いいから持ってきて」
「あの、おっしゃっている意味が」
「いいから持って来いよ」
ムッと俺を睨んだ後、礼さんは不満そうに部屋を出て行った。
「何をお考えですか?」
雪丸さんのあきれ顔。
「自分に素直に生きることにしたんですよ。今のところ失うものはなさそうなんでね」
「なるほど」
何がなるほどなのかはわからないが、これで雪丸さんに宣戦布告したことにはなるだろう。
このチャンスを逃す気はないんだ。
***
トントン。
「携帯をとってきましたが」
「ああ、貸してくれる」
「はぃ」
差し出された礼さんの携帯を受け取り、自分の携帯とともにデスクに並べた。
「あの、どうされるつもりですか?」
不安そうな顔の礼さん。
「預かっておくよ、君に預けていたら着信に気づかなそうだし」
「それは・・・」
昨日のこともあり強く言い返せない礼さんが困っている。
「もういいよ、仕事に戻ってください」
「しかし」
「大丈夫、覗いたりしないよ。大地の学校からの連絡があるんじゃないかと気になっているだけだ。何かあれば知らせるから」
「ですが・・・」
「まだこの話をしたい?雪丸さんにも聞いてもらおうか?」
ウッ。
一瞬、礼さんの息を飲む音が聞こえた。
「わかりました。失礼します」
これ以上何も言わないでくれとばかり、礼さんは部屋を出て行った。
***
「随分あからさまですね」
資料に目を落としながら雪丸さんが声だけ掛けてきた。
「そうですか?」
「あまり押しすぎると、逃げられますよ」
「それは、経験談ですか?」
「違います。私と礼はそんな関係では」
「知っています」
10年来の古い友人。
男女関係でないからこそ信頼し、何でも言いあえる親友。
雪丸さんと遥と礼さんはそんな間柄だ。
そのことを疑ったことはない。
「俺は、友人になりたいわけではありません」
「本気ですか?」
「ええ。彼女の過去も、大地の存在も、心に負った傷もすべてひっくるめてもらうつもりです」
「大きく出ましたね」
「若造が何を言っているんだって言いたいですか?」
「そう、ですね」
口先でどんなきれいなことを言っても、今は信じてもらえないだろう。
まずは彼女の心をつかむしかない。
いくら自信家の俺だって、不安がないわけじゃない。
だからこそ口に出して退路を断ち、行動に移すしかない。
「私も遥も、礼の幸せを望んでいます」
「わかっています。任せてください」
ククク。
ククク。
この非常時に、俺と雪丸さんの笑い声が重なってしまった。