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「どうしたの?」
廊下にでてそっと話しかける。
「資料室、来れる?」
「え?」
「俺、トイレ行くふりして時間差で資料室はいるから、先に行ってて」「うん、へ、変なことしないでね?」
「なに、この前よりもっとすごいことしてほしいの?」
「バカッ!」
そういわれてぼんっと顔から火が出そうなくらい熱くなる。
ここ会社だよ!? というツッコミをしようと思ったけれど、篤人はニコニコしながらお手洗いに入っていった。
小さく息を吐いて、階段を上る。資料室のドアを開けようとしたところで誰かの話す声がした。
ドアノブにかけようとしていた手をすっと下ろす。廊下は誰もいなくて静かだ。中から聞こえる話し声に耳を傾ける。
『この前、廊下で永井と親しそうに話してたって聞いたんだけど』
『違うの伊吹、その日は永井さんに聞きたいことがあるって言われて……』
『なに、燎子。今度は永井に乗り換えんの?』
『そんな言い方、ひどいわ』
『いまさら止めるなんて許さない』
私はすっとその場を離れた。
これ以上聞かない方がいいような気がしてもと来た道を戻る。
階段を降り始めたところで、篤人が上がってくるのが見えた。
「あれ、どした?」
「資料室、先客がいるみたいで……」
急いで階段を降りてエレベーターに乗り、屋上へ篤人を誘う。自社ビルの屋上は基本的には開放されているが、風が強いし、狭いし、周りのビルが高すぎて圧迫感があるせいで、あまり人は寄り付かない。
それでも私は気分転換によくここに来る。残業で疲れたとき、都会の狭い星空に浮かぶ一等星に励ましてもらうため。
私は大きな貯水タンクの横で、篤人と話を始めた。「ねぇ、話って?」
「美濃さんが、俺に絡んできてる」
「……さっき、彩月が言ってた」
情報早っ、と篤人が驚く。
「もしかして、秘書課の佐藤さん情報かな」
「えっ!? どうして……」
秘書課の佐藤さんは、山田さんと並んでの人間スピーカーらしい。篤人もそれを逆手に取って、わざと人目につくところで燎子と話をしているというのだから驚く。
復讐計画の一環だと、わかっているのにあまりいい気がしない。分かりやすく篤人に背を向けて話を進める。
「やっぱり、美濃さんが花音を陥れたいのは事実だと思う」
「そう、だよね」
私は篤人の顔が見られなくて、背を向けたまま返事をした。
「花音?」
「あ、もうそろそろ戻らなきゃ」
私のためにやってくれているのに、妙な嫉妬をしていると悟られたくない。あわてて屋上のドアを開けて中へ入ろうとしたところで、後ろから抱きしめられた。
「なな、なに!?」
「俺、美濃さんのこと何とも思ってないよ」
そう言われて、胸がとくんとひとつなる。
「そんなんじゃない、よ」
「うそばっかり」
花音はすぐ顔に出る。そう耳元でささやかれて肩をすくめた。
「家に帰ったら、詳しく話すから」
「わかった……」
それを聞くのは、少し怖い気もする。でも聞かなきゃならない。それが私と篤人をつなぐ糸のようなものだから。
手をつないで、誰も乗っていないエレベーターに二人で乗る。私たちのが降りるフロアの一つ上の階で、エレベーターが止まって、パッと手を離した。
ドアが開いて、見えたのは燎子と伊吹だった。
「お疲れさまです」
篤人が何食わぬ顔で挨拶をする。伊吹は冷たい視線を送って、お疲れとだけ声をかけて乗り込んできた。燎子もその後ろから続いて乗り込む。
妙な緊張感に包まれたまま、ドアが閉まる。
明らかに、今までの燎子と伊吹の雰囲気と、違う空気が流れている。
これが何を意味しているか分からないけれど、復讐は確実に、じりじりと進行しているような気がした。
燎子以外の3人が同じフロアで降りて、それぞれの部署へ戻る。
篤人は自分のデスクへ、伊吹と私はフロア奥の商品企画部の島へと歩いていく。途中で伊吹は私の方を振り返って声をかけてきた。
「逃がした魚は大きかったかな」
「え?」
「なんでもないよ」
なんだかわけがわからないまま、自分のデスクに戻る。あわただしく午後の仕事に集中していると、あっというまに時間が解けて、終業時刻を迎えた。
篤人は取引先の人と食事会があるそうで、遅くなるとメッセージが入っていた。1時間ほど残業をして帰路につく。
一人だとどうも料理する気になれないくて近くのスーパーでお弁当を買い、篤人のマンションに戻る。
一人で食事をするのは初めてじゃないけれど、広いマンションに一人でいるのはなんだか寂しく思う。