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夜の部屋。時計はない。
窓もない。
だけど、呼吸と沈黙だけが“時間”を教えてくれる。
その夜も、美咲は鍵をテーブルに置いたまま、部屋を出た。
そして……
わざと戻らなかった。
丸一日、連絡もしない。
食事も与えない。
部屋の明かりも切ったまま。
––-–—「……さすがに、何か反応するよね?」–––––
彼の狂気を、もう一度見たかった。
追ってきてほしかった。
『美咲さんがいないと、死ぬ』と言ってほしかった。
檻の中で暴れて、泣き叫び、嘆いてほしかった。
けれど……
次の日の夜、美咲は家に戻った
しかし……
良規くんが暴れ回ったり、泣き叫んだりした様子はなく、ただただ静かだった
『……美咲さん、おかえり。』
淡々とした声。
やつれた顔には、怒りも恨みもなかった。
『……ひどいよ、って思ったよ。でも……俺、ここから出たいって思わなかった。待ってたら、きっと帰ってきてくれるって信じてたから……』
美咲の中で、何かが冷めた。
–––––––「違う……それじゃない……。」––––––-
それはまるで、家畜(かちく)のような従順さだった。
違う……。
欲しかったのは……
人間のエゴと執着と欲望だった。
彼が彼女を追いかけ、ストーカーになってまで欲しがった、あの“熱”。
それを、もう一度返してほしかった。
でも今の良規は、まるで壊れたおもちゃのように、ただ微笑んでいる。
「ねぇ、怒ってもいいんだよ。私を責めても、逃げようとしても」
『……怒る理由なんてない。美咲さんは、俺をここに“居させてくれてる”んだよ。』
「……違う」
『……えっ?』
「私は良規くんを閉じ込めたの。鎖で繋いで、逃げられないようにした。それなのに、どうしてそんなふうに……私を許すの……?」
言葉に詰まったのは、美咲の方だった。
心の奥で、何かがねじれ始めていた。
––-––—「どうしてこんなにも、苦しい?」––––––
–––––--「全部、手に入れたはずなのに……」–––––
その夜、美咲は眠れなかった。
ベッドの上で何度も寝返りを打ち、頭の中では“過去の良規”が浮かんでは消えた。
尾行してきた日。
駅で突然現れた日。
『君は俺のものだ』と、目を血走らせて言ってきた日。
怖かった……。
心底、気持ち悪かった……。
でも……
今となっては……
あの時の良規くんの方が“生きていた”気がする。
今の彼は、ただの影。
言葉を返すだけの、カラの抜け殻。
欲しいのは、従順さじゃなかった。
美咲の狂気と、良規の狂気が……
共鳴することだった。
「ねえ、良規くん……」
朝、部屋に入った美咲がそっと言う。
「もし、私がいなくなったらどうする?」
彼はしばらく黙っていた。
そして、こう答えた。
『……生きていけないと思う』
「死ぬ?」
『……うん。多分、そうなると思う。』
「本当に?」
『うん。』
美咲は微笑んだ。
けれど……
その微笑みはどこか…… 哀しげだった。
––-—「君の“死にたい”は、どこまでも私のため」–––-
–––「だけど私は、“生きたい君”が、私を壊すほどに求めてくれる未来が欲しかったのに」–––
愛が、すれ違い始めていた。
それでもふたりは、離れられなかった。
だって……
もう戻れる場所などなかったのだから……。
数日後。
美咲は、彼に“過去のスマホ”を渡した。
監視機能も、位置情報も仕掛けられていない古い端末。
「これ、良規くんに渡すよ。……もし、外に連絡したいなら、してもいい」
それは、試しだった。
まだ彼の中に“自由”が残っているのかどうか。
もし、ここで誰かに助けを求めるようなら、彼は“彼自身”を保っている。
でも良規は、スマホを見つめ、そして静かに床に置いた。
『要らないよ……。』
「……どうして?」
『ここが“俺の世界”だから』
その瞬間、美咲はふっと目を伏せた。
ああ、やっぱり彼はもう、完全に“私のモノ”になってしまった。
欲しかった結末は……
こんな風に“静かに満たされる愛”じゃなかったのに。
もっと、痛くて、熱くて、狂っていて、ぐちゃぐちゃで、どうしようもないくらいに執着しあう、そんな愛を夢見ていたのに。
夜。
美咲は、何度も手に取っては見送ってきたあの鍵を手にした。
「ねぇ、もしこれを今、良規くんの手に渡したら……どうする?」
『何もしない。……美咲さんが持ってて。』
「……でも私は欲しかったの。追いかけてくる良規くんが……。」
『……もう、追わないよ。追わなくても、美咲さんはここにいるから。』
静かな絶望だった。
ふたりは確かに“愛し合っている”。
でも、それはもう“燃える愛”ではなかった。
狂愛は、どこかで終わりを迎える。
それは“幸福”か、“虚無”(きょむ)か……
まだ誰にも分からない。