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いちばん見られたくない人
翌日。
なにわ男子のメンバーは、
MV撮影に向けた
ダンスレッスンのために集まっていた。
今日は本番用の衣装を着ての練習。
グレーのシャツにベージュのニットベスト。
首元にはそれぞれのメンバーカラーが入った
リボンが結ばれている。
俺のリボンは、もちろん赤だった。
いつもなら衣装を着るだけで
気持ちが切り替わる。
自分はなにわ男子の圧倒的センターで、
アイドルで、応援してくれる人たちに
最高の姿を届けなければならない。
そう思えば、自然と背筋も伸びた。
けれど、今日は違った。
「はい、もう一回いくよー!」
スタッフの声が響き、音楽が流れ始める。
俺は振り付けに集中しようとした。
いつもどおりに踊ればいい。
身体は覚えている。
何度も練習してきた曲だ。
難しい振り付けだって、
何度も繰り返せば自然と身体が動く。
なのに。
ほんの少し、タイミングがずれた。
「あ、ごめん!」
すぐに謝って、もう一度構える。
今度こそ。
そう思ったのに、次は移動のタイミングを間違えた。
「大吾、そこ一個早い!」
「ごめん、もう一回お願い!」
自分でも分かっていた。
集中できていない。
いつもの自分なら間違えないような、
ほんの些細なミスばかりだった。
音楽が止まるたびに、
申し訳なさが積み重なっていく。
「大ちゃん、大丈夫?」
はっすんが声をかけてくれた。
「うん! 全然大丈夫!」
俺はすぐに笑って答えた。
大丈夫。
そう言うしかなかった。
だって、
昨日のことが頭から離れないなんて、
言えるわけがない。
丈くんの顔が浮かぶ。
「言うてくれて、ありがとうな」
「もっと素敵な人がおると思うで」
優しい声。
優しい表情。
何も悪くない丈くんの言葉が、
何度も頭の中で繰り返される。
——あかん。
今は仕事中や。
大吾は、ぎゅっと拳を握った。
——俺、何してんねん。
なにわ男子のセンターやろ。
アイドルやろ。
みんなで大事に作ってきた曲やろ。
それやのに、
こんなことで集中できへんとか。
ほんま、何してんねん。
自分が情けなかった。
恋をしたことが悪いわけじゃない。
丈くんに気持ちを伝えたことだって、
後悔したくない。
それでも、
今の自分はあまりにも格好悪かった。
いつもなら周りを見て、
メンバーを引っ張って、
何があっても笑顔で立っていられるはずなのに。
今日は、自分の気持ちひとつで、
こんなにも何もできなくなっている。
「……ごめん、もう一回お願いします!」
俺は顔を上げた。
笑顔を作って、もう一度音楽に向き合った。
けれど、心の奥ではずっと同じ言葉が響いていた。
——俺は、なにわ男子やのに。
——アイドルやのに。
——何してんねやろ。
ようやくレッスンが終わった頃には、
俺は心身ともに疲れ切っていた。
「お疲れさまでしたー!」
メンバーの声が重なる。
「いやー、今日めっちゃ汗かいたわ!」
「俺、腹減った!」
「また食べるん?笑 昨日も言うてたやん!」
いつものようなやり取り。
俺も笑わなければと思った。
「大吾くん、帰るでー!」
声をかけられ、慌てて顔を上げる。
「あ、ごめん! 俺、ちょっと忘れ物確認してから行くわ!」
「おう、分かった!」
メンバーが先に部屋を出ていく。
俺は誰もいなくなったのを確認してから、
静かに息を吐いた。
……しんどい。
身体が疲れているのとは違う。
胸の奥がずっと重くて、
何をしていても苦しい。
このままみんなと一緒に帰ったら、
きっと何でもない顔をして笑わなければならない。
それが、今はどうしてもできそうになかった。
俺は部屋を出て、近くの階段へ向かった。
誰もいないことを確認して、
階段の途中に腰を下ろす。
衣装のベストが少しだけずれた。
いつもなら、すぐに直していたと思う。
赤いリボンも、シャツの裾も、ベストのシワも。
本番で着る大切な衣装なのだから、
きちんと扱わなければならない。
けれど、
今はそんなことを考える余裕さえなかった。
俺は両肘を膝につき、俯いた。
昨日の告白。
丈くんの言葉。
今日のレッスン。
何もかもが頭の中で混ざり合って、
うまく整理できない。
「……っ」
喉の奥が詰まった。
泣きたくなんかなかった。
こんなところで。
こんな衣装を着たまま。
誰かに見られたらどうするんだ。
そう思うのに、目の奥に溜まった涙は、
もうどうにもならなかった。
一粒、頬を伝う。
俺は慌てて手の甲で拭った。
「……あかんって」
小さく呟く。
「泣くなや……」
自分に言い聞かせるように、何度も繰り返した。
けれど、一度溢れた涙は止まってくれなかった。
昨日からずっと、我慢していたのだと思う。
丈くんの前では笑っていた。
家に帰ってからも、誰にも連絡せず、
ひとりで気持ちを抱え込んだ。
今日だって、
レッスン中は何とか
普通に振る舞おうとしていた。
その全部が、
今になって一気に崩れそうだった。
俺は顔を伏せたまま、静かに泣いた。
そのとき。
階段の上から、足音が聞こえた。
コツ、コツ、と。
誰かが近づいてくる。
俺は慌てて顔を上げた。
涙で視界が滲んで、
誰なのか一瞬分からなかった。
けれど、見慣れた姿が目に入った瞬間。
心臓が、嫌なほど大きく跳ねた。
「……大吾?」
丈くんだった。
「……っ!」
俺は息を呑んだ。
なんで。
なんで、丈くんがここに。
丈くんは、
階段に座り込んでいる俺を見て足を止めた。
「……お前、どないしたん?」
いつものような、少し気さくな声。
けれど、その目は明らかに心配していた。
「……」
俺は何も答えられなかった。
涙を拭こうとしたけれど、
手がうまく動かない。
こんな顔、見られたくなかった。
いちばん見られたくない人だった。
昨日、自分の気持ちを伝えた相手。
自分の恋を受け入れられなかった相手。
それでも、今も大好きな人。
その人の前で、こんなふうに泣いている。
「大吾?」
丈くんが一段、階段を下りてきた。
「おい、どないしたん。しんどいん?」
その優しさが、
今の僕には耐えられなかった。
「……っ、」
大吾は勢いよく立ち上がった。
「大吾、ちょ——」
丈くんが手を伸ばす。
けれど、
俺はその手を避けるようにして、
階段を駆け下りた。
「大吾!?」
呼び止める声が背中に届く。
それでも、振り返れなかった。
振り返ったら、
きっと立ち止まってしまう。
立ち止まったら、泣いていることも、
苦しいことも、全部知られてしまう。
何より。
丈くんに、
こんな自分を見てほしくなかった。
俺はそのまま階段を下りきり、
廊下を走った。
衣装の裾が揺れる。
ベストが少しずれている。
赤いリボンが胸元で揺れている。
そんなことを気にする余裕もなく、
ただ逃げた。
丈くんの声が、
もう聞こえなくなるところまで。
階段を下りた先。
人気のない廊下の端まで来たところで、
俺はようやく足を止めた。
「……っ、は……」
呼吸が乱れていた。
走ったせいだけじゃない。
胸が苦しくて、息がうまく吸えない。
俺は壁に手をつき、
何度も呼吸を整えようとした。
吸って。
吐いて。
落ち着け。
落ち着かなあかん。
そう思うのに、
頭の中ではさっきの光景ばかりが繰り返される。
心配そうに自分を見ていた丈くん。
伸ばされた手。
呼び止める声。
そして、そこから逃げ出した自分。
「……なんで、逃げてもうたんやろ」
声が震えた。
丈くんは、
ただ心配してくれただけなのに。
何も責めていなかった。
何もからかっていなかった。
それなのに、
自分はあんなふうに逃げてしまった。
昨日、
普通にすると約束したばかりなのに。
明日からも、
いつもどおりにすると言ったばかりなのに。
「……っ、最悪や……」
俺は唇を噛んだ。
好きな人の前で、
あんなふうに逃げるなんて。
情けない。
格好悪い。
丈くんは、どう思っただろう。
自分のことを面倒だと思っただろうか。
告白したくせに、
顔を合わせることすらできないのかと、
呆れただろうか。
そんなことを考え始めたら、
もう止まらなかった。
「……っ、う……」
喉の奥から、押し殺した声が漏れる。
俺は慌てて片手で口元を押さえた。
誰かに聞かれたくなかった。
誰にも見られたくなかった。
なにわ男子の西畑大吾が、
こんなところで泣いているなんて。
知られたくなかった。
もう片方の手で、
階段を下り終えたところの手すりをぎゅっと掴む。
そのまま、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
膝に力が入らなかった。
涙が次から次へと溢れてくる。
拭っても、拭っても、止まらない。
「……っ、丈くん……」
名前を呼んだ瞬間、
胸がぎゅっと掴まれたように痛んだ。
会いたい。
でも、会いたくない。
声を聞きたい。
でも、今は聞きたくない。
そばにいてほしい。
でも、そばに来られたら、
きっとまた逃げてしまう。
矛盾した気持ちが胸の中でぶつかり合って、
どうすればいいのか分からなかった。
俺は口元を押さえたまま、肩を震わせた。
せめて声だけでも抑えようとした。
衣装にシワがつかないように、
きちんと立っていようとした。
こんなときまで、
アイドルとしての自分を意識してしまう。
けれど、今はもう、どうでもよかった。
派手な衣装じゃなくてよかった。
目立つ装飾もなくてよかった。
もしもっと綺麗な衣装だったら、
こんなふうにしゃがみ込むことさえ
躊躇していたかもしれない。
ベストが少しずれても。
シャツにシワがついても。
赤いリボンが歪んでしまっても。
今だけは、どうでもよかった。
俺は手すりを握りしめ、
ただひたすら泣いた。
誰にも聞かれないように。
誰にも見つからないように。
好きな人の前で逃げてしまった自分が、
どうしようもなく情けなくて。
それでも、
どうしても好きな気持ちが消えてくれなくて。
「……っ、なんで……」
声にならない声が、口元からこぼれた。
「……好きなんやろ、俺……」
分かっている。
そんなことは、
自分がいちばん分かっている。
好きだから、苦しい。
好きだから、
優しくされるだけで期待してしまう。
好きだから、
今までどおりに笑うことさえ難しくなってしまう。
そして、好きだからこそ。
丈くんにだけは、
こんな情けない姿を見られたくなかった。
なのに。
いちばん見られたくない人に、
見つかってしまった。
俺は顔を伏せ、手すりを握る手に力を込めた。
涙は、まだ止まらなかった。
コメント
1件
ああ、読み終えたよ……。もう、胸がぎゅっとなった。 大吾くんの「アイドルなのに」「センターなのに」って自分を律する気持ちと、それでも抑えきれない恋心の狭間で苦しむ感じが、痛いほど伝わってきた。 丈くんに見つかって逃げちゃうところ、読んでて「ああ…」って声が出たよ。いちばん見られたくない人に、一番見せたくない姿を見られてしまう。その切なさが、すごくリアルだった。 小夜(さよ)19さんの、キャラの内面の揺れをすくい取る描写、本当に素敵だな。続きが気になるよ。
163
佐倉真司
19
#思いつきで書いてみた
佐倉真司
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