テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
制服の第一ボタンを閉めたまま、遥は少し猫背で教室の隅に座っていた。肩口がぴり、と痛む。
──爪。
蓮司の指が、昨夜、わざと残した痕。
拒否ではなく、了承の合図として刻み込まれた“しるし”。
隠せていると思っていた。
けれど――
「……遥、おまえさ、」
唐突に名前を呼ばれて、遥はぴくりと肩を跳ねさせた。
目の前には日下部。
手には教科書、表情は変わらない。
でも、目だけが鋭く、焦点を一点に定めていた。
「なに」
声が少し掠れた。
ごまかすように笑ってみせる。
「その首の……それ、なに?」
遥の動きが止まった。
第一ボタンの隙間。
襟の奥からわずかに覗いていた赤い筋を、日下部は見逃さなかったらしい。
「……寝違えただけ」
「嘘が下手すぎ」
日下部の声に、少しだけ怒気が混じる。
それを悟られたくなくて、遥はさらに軽薄な笑みを浮かべた。
「嫉妬?」
その一言に、日下部の表情がわずかに揺れた。
「──本気で、あいつと付き合ってんの?」
「……さあね」
笑ってごまかそうとした。
けれど声は震えていた。
「だったら……あんな目、するなよ」
「……は?」
「昨日、おまえ──笑ってなかった」
その言葉に、遥の視界が少しだけにじんだ。
でも、それが何に対しての感情か、自分でももうわからない。
「演技かと思った。でも、おまえの目……本当に、泣いてた」
遥は、口を開きかけて、閉じた。
反論する言葉も、ふざける余裕も、今はもうなかった。
「……だったら何?」
絞るように出した声に、日下部は一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「俺は、別に……ただ」
ただ――何だ?
その続きを、日下部は言わなかった。
いや、言えなかったのかもしれない。
沈黙が落ちた。
遥はふいに立ち上がる。
そして、ドアの方を向いて言った。
「もういい。見んな」
その背中には、どこか“壊れた笑顔”が貼りついていた。
演技か、本音か。
遥自身ですら、もう区別がつかない。
──でも一つだけはっきりしていることがある。
日下部の視線が、自分の“嘘”を剥がしかけている。
そして、それを誰よりも恐れているのは、
――蓮司ではなく、“遥自身”だった。