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「少し、落ち着かれましたか?」
空色が声を上げて泣かなくなったので話しかけた。「私の話、少し聞いて下さい。そのままで結構です。妹の話をしましたよね?」
俺は空色に母親の実体験話をした。母親とは言えないから妹とごまかしたけど。
残された家族がいかに辛いか、というところまで詳しく話した。少しでもこの思いが届いてくれたらいい。
「酷なことを言いますが受け止めてください」
経験した者が言うのだから、きっと俺の言葉は空色に届く。
わかってくれると信じて。
「きちんとお腹の子を誕生させ、この世に生きるはずだった証を刻んであげましょう。それができるのは律さんだけです。貴女には愛する家族がいるのです。彼らに絶望を見させるようなことをしてはいけません」
辛い過去も、家族を失った悲しみも、全ての想いを彼女に訴えた。
その時、ベッド脇に置かれた彼女のハンドバッグの中から音がした。メッセージの着信音だ。
連絡してきたのは旦那か、家族あたりか。彼女を心配してのメッセージやと思う。
俺はもうお役御免か。仕方ない。ここまで寄り添えただけでもよかった。少しは白斗時代に受けた恩を返せたかな?
空色はハンドバックからスマートフォンを取り出し、泣きながらメッセージを読み、それに返信していた。
涙を拭うためにそれを置いた時、送信前のメッセージ画面が見えた。
――連絡ありがとう。出産の準備のために早めに入院することになった。病院だからあまり連絡できないよ。検査も多くて大変だけど、病院だし心配ないから両親たちには連絡しないでね。ライブ頑張って! 出産近づいたら連絡するね。
空色。
死産したこと、旦那に黙っておくなんて。
しかも、ライブ頑張れみたいなメッセージを送るなんて、どうして……。
彼女はメッセージを送信した後、スマートフォンを握りしめ、再び声を上げずに泣いた。涙だけが空色の頬を伝って暗くなった画面の上に落ちた。
「お子様のことは伝えないのですか? 光貴さんときちんとお話された方がいいですよ。ここは個室ですから電話の許可は下りています。お話もできますよ」
「光貴には言えません。ライブが終わるまでは伝えるつもりはありません」
「律さん……」
「今、詩音のことを光貴に伝えたら、最高のギターが弾けなくなります。彼だけの問題ではありませんから。サファイアのメジャーデビューのライブなんです。もし光貴が最高のプレイを見せないと、大勢の人に迷惑かかります。家族に知らせたら絶対に光貴に伝えてしまうでしょう。私の気持ちを理解してもらえるとはとても思えません。ですから家族にも知らせません。一人で頑張ります」
こんな最悪な状況やのに、旦那どころか家族にも頼れないなんて!!
考え直してもらうよう説得を試みた。「無理しないでください! 一番辛いのは律さん、あなたですよ!?」
「………でも私、もう嫌なんです! 光貴と組んでいたバンド、素人の私がボーカルを引き受けてしまったから、メジャーに行けずに彼の夢を頓挫させてしまったんです。けど今、メジャーデビューできるチャンスをやっと掴んだんですっ」
すごい。
こんな辛い時に、旦那のメジャーのチャンスの方を優先されられるなんて。
ふつう無理。泣きわめいて、縋り付いて、助けてくれって声を上げるだろう。
「軽い気持ちだったんです。RBのコピーバンドして、ただ楽しく音楽したいってそれだけだったのに………辞め時がわからなくてずっと活動して……光貴とバンドを組んでたことを何度も後悔しました。…………ずっと負い目に感じていて……もう嫌なんです。断ち切りたい!!」
彼女の心の叫びを聞いた。旦那の成功のために、死産した事実を秘密にして一人で抱えるなんて、とんでもないことや。
アーティスト思考は一般の人間には考えられない行動を平気で取ってまうから誤解されてしまう。
なにをさしおいてでも成功の道を優先し、どんなに苦しく辛くても、決して知られることの無い悲しみを抱える――誰にでも出来ることではない。
「辛い気持ちをお一人で抱えないで下さい」
彼女を抱きしめた。「私が傍にいます。貴女を救いたい……」
お前がそう決めたなら。
地獄でたったひとり、苦しむ選択を取るというのなら。
俺が寄り添ってお前を助ける。
彼女が俺を抱き返してくれた。震える肩を抱きしめ、ただ優しく撫でた。
でも、俺は思う。
アーティストはどんなことがあっても、どんなに辛い思いをしても、
『舞台に立つ人間こそが苦しみを背負う』ものだ、と。
空色の異変に気が付かない旦那に苛立ちを覚えた。
自分が気持ちよくギターを弾けたら、彼女はこんなに苦しんでもいいのか。
ライブ終了後に事実を知っても、もう遅い。
まさに今、彼女の横で支え、夫婦で乗り越えなければならない時なのに!!
俺の母は父がいなかったせいで、潰れてしまった。
全く同じや。母が妹を死産した時、大物アーティストのバックでピアノを任されていた親父への連絡は、ライブ終了後となった。彼も繊細な人だから、母が父には連絡するなときつく言っていたのを覚えている。
俺は幼かったゆえ、母を慰めきれなかった。
一人きりの病室で半狂乱になった母はそのまま命を絶った。どんな風に絶ったのかは知らせてもらえなかった。気が付いたら母の葬儀をしていて、父が憔悴していく毎日になり、美しい音で溢れていた俺の家からそれが消えた。
家族を支えられない人間が、世の大勢の人間を支えても仕方がない。
大切な者と一緒に苦しみ、それさえも乗り越える強靭な精神の持ち主であるからこそ、成功する。
でも俺がそんなことを彼らに言う権利は無い。
だからただ、寄り添うしかできないけれど。
空色。お前がもう一度笑えるように
俺が傍にいるから――