テラーノベル
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「――そういえば……。――これの事も、すっかり忘れてたわね……」
法雨と若いオオカミたちの密会が、完全なる終幕を迎えてから数か月ほど経つ頃には、梅雨もすっかりと明けていた。
そして、亜人たちの尾の毛並みもようやっと湿気から解放され、風は夏を思わせるようになってきたその日――。
いよいよとやってくる夏に備え、店のワインセラーへと向かうべく、デスクから鍵束を取り出した法雨は、ふと、引き出しの中で佇む小さな紙に目を留めた。
それは、法雨が雷と初めて会った日に手渡された、雷の名刺であった。
その名刺には、雷の名や連絡先と共に、“円月探偵事務所”という印字が添えられている。
“円月”――とは、雷の姓であるが、――その名刺によれば、雷は探偵業を営んでいるらしい。
そして、そんな雷の様々な情報を法雨に伝えてくれるその名刺が、“何故、法雨に手渡されたのか”――を、法雨は今しがた思い出した。
「――う~ん。――修理代、ねぇ……」
そんな法雨は、そう言いながら名刺を手に取ると、それからしばしばかり、印字された“雷”の名を眺めた。
― Drop.010『 The EMPEROR:U〈Ⅰ〉』―
法雨は、その名刺を渡されてから数か月経過した今も、雷への連絡はしていない。
そして、あの日以来――、雷への連絡はおろか、その顔すらも見ていないのだが――、実のところ、“雷の話だけは”――散々と聞いていたりはする。
――と云うのも、法雨が一切尋ねていなくとも、店にやってきた京たちは、雷の話を勝手にし始め、それを散々と法雨に聞かせてくるのだ。
どうやら彼らは、数か月を経た今も、雷とはよく会っているらしいのだが――、そんな彼らは、店に来る度、毎度、こう切り出すのだ。
――雷さん。マジかっこいいんすよ!!
そして、そんな決まり文句から、日々様々な雷の話題が法雨へと共有されるため、法雨は、一切会っていないのに、まるで毎日会っているかのように、雷の事を掌握してしまっているのであった。
だが、そのような中でも、当の本人――雷はと云えば、やはり、一向に顔を見せる気配はない。
(――“私立探偵”って云うのが、あの子たちにはかっこよく見えるのかしら……? ――まぁ……、外見がイイのは認めるけど……)
あの日――、照明も点いていない――明け方の薄暗い倉庫の中でのやりとりではあったが、――幾つか会話を交わした短い間に見ただけでも、雷の容姿が端麗である事は、はっきりと見て取れた。
さらには、あのがっしりとした体つきに高身長ときているのだから、外見的な魅力は文句なし――と言ったところだ。
また、身に纏う漆黒の毛並みも、魅力的な彼にはまさに最適な毛色でもあった。
そんな雷の容姿をしばし想いながら、その優しく低い声色をも思い出したところで、法雨はひとつ思う。
(――正直、修理代なんて請求するつもりは一切なかったけれど……、お礼はちゃんと伝えたいのよね……。――それと……、お詫びも……)
そして、そこで意を決するようにした法雨は、すっとスマートフォンを取り出すが――、雷の名刺を見やりながら、電話にするべきか、メールにするべきか迷っている途中で、連絡をとる事自体を保留とする事にした。
もしかしなくとも、雷が法雨の前に姿を現さない理由は、雷が法雨に対して気分を害したままだから、ではないか――。
雷の名刺を見やりながら、法雨はふと、そんな事を思ったのだ。
(――もし、そうだとしたら、お詫びの機会を頂く事自体が迷惑よね。――ううん。でも、そうじゃなかったら、このままにしておきたくないし……。――と云っても、アタシがどれだけ念じたって雷さんの気持ちは分からないし……。――まずは、アタシが連絡しても迷惑じゃないかって事だけでも、あの子たちに訊いてもらおうかしらね……)
そして、そんな結論に至った法雨は、中空にやっていた視線を再び名刺に戻し、雷の名を見つめる。
――オオカミ族の彼。
――見ず知らずであるにも関わらず、一切の迷いなく助けに駆けつけてくれた、法雨の救世主。
そう云えば、子供の頃に読んでいた絵本では、囚われの姫には、そんな、――姫を救うべく悪の城へとやってくる、勇敢な王子様や勇者がつきものだった。
そして、そんな勇敢な者たちには、ライオン族やオオカミ族などの亜人が抜擢される事が多かった。
(――王子様ねぇ……。確かに、勇敢で救世主らしくもあるけれど……、でも……、――あの人のイメージは……王子様でも勇者でもないわねぇ……。――……あぁ、そうだわ。――あの人のイメージは、王子でも勇者でもなく、――狩人って感じじゃないかしら)
雷を想い起こしたついで――、幼い頃を楽しませてくれた絵本たちと彼の“イメージ”について相談した後、そんな結論に至ると、法雨は、ふふ、と小さく笑った。
(――“狩人”……。――そうね。――オオカミにも、あの人にも、――そのイメージがピッタリだわ)
💎
「――お客様。お水を失礼いたします」
「――あぁ。有難うございます」
季節の移り変わりは相変わらずと気が早いもので――、梅雨が駆け抜けていったと思えば、その夏らしい気候はついに夜にまで届き始めていた。
そんな初夏の夜――、店内の賑わいも少しばかり和らいできた頃合いに、バーのスタッフであるユキヒョウ族の桔流は、妙に見覚えのある顔立ちの客に、レモンの香るグラス水を提供すると、続けて問うた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
すると、その客は、丁寧にメニューを指し示しながら、低く穏やかな声で言った。
「――そうですね。――じゃあ、コチラを」
「サマーレインですね。かしこまりました。――ご注文は、以上でよろしいですか?」
「えぇ。――とりあえず、それでお願いします」
桔流は、その季節限定のクラフトビールの名を読み上げ、客の注文を受け取ると、改めて一礼をし、テーブルを離れようとした。
その時――。
そんな桔流を呼び止めるようにして、その客がひとつ声をかけた。
「――あの、――ひとつよろしいですか?」
桔流は、それを不思議に思いながらも、笑顔で応じた。
「――はい。――なんでしょう?」
すると、その客は、桔流にとある事を尋ねた――。
💎
「――あの、法雨さん」
桔流は、その――妙に見覚えのある顔立ちの客の対応を終えた後、店の裏に入り、法雨が仕事をする事務室を訪れていた。
ノックから挨拶を交わした後、桔流に名を呼ばれると、法雨はノートパソコンから目を離し、首を傾げるようにして応じた。
「ん? ――何かしら?」
桔流はそれに、しばし考えるようにしながら紡ぐ。
「――えっと、――実はさっき、お一人でいらした男性のお客様に、――“法雨さんはお元気にされてますか?”――って、尋かれたんですけど……」
「え? アタシ?」
「――はい。――で、よければお呼びしますかって言ったんですけど、それは断られたんで……、――一応、伝えるだけ伝えておこうかなと思って、伝えたわけなんですけど……。――う~ん……」
「――? どうしたの?」
先ほどから、要件を伝えながらも何か別の事を考えている様な桔流に、法雨はまたひとつ首を傾げ、問うた。
そんな法雨に、桔流は、いかにも悩んでいますと云わんばかりに鳴いては、続けた。
「う~ん……実はですね……。――その、法雨さんの事を尋いてこられたお客様の顔……、――俺、――どっかで見た事があるような気がしてまして~……」
「“どっかで”?」
法雨が問うと、桔流は考えあぐねながら頷いた。
それに腕を組むと、法雨は言った。
「――アタシの事を尋くくらいなんだから、常連さんでしょ? ――なら、見覚えがあっても当然なんじゃないの? ――そんなに悩む事?」
「いや~、違うんですよ~。――実は、“店じゃないとこで”見た覚えがある感じなんですよね~」
「えぇ~? 何よそれ~。 ――もう~……、変に悩んで見せるから、アタシまで気になってきちゃったじゃない。――これじゃ仕事に集中できないじゃないの……。――早く思い出してよ」
「いや~……思い出したいのは俺も一緒なんですけどねぇ~……う~ん……」
法雨は、それからしばらくしても思い出せないらしい桔流に溜め息をつくと、助け舟を出すことにした。
「も~、しょうがないわね~。――いいわ。手伝ってあげる。――まず、そのお客様はどんな方なの?」
「――あぁ、えっと、――オオカミ族の方で~、結構かっこよくて~、体つきもがっしりしてる感じですね~。――で、毛並みは黒ですね。――因みに、その色がすっごく似合う感じの方です」
法雨は、その桔流の回答にはっとするなり、思わず急ぎ足で問う。
「え? “オオカミ族”……? ――し、身長は?」
「え? 身長ですか? ――う~ん。――とりあえず、俺よりは全然高かったですね。――だから、190以上はあるんじゃないですか?」
「――まさか……、――ねぇその方って」
「――あ~っ!!」
桔流の回答に、法雨が重ねて問おうとしたところで、桔流は突然、何かを思い出したかの様に声をあげた。
それに対し、法雨は、驚きながらも窘める。
「――もう! 突然、何よ! びっくりするじゃない! お客様に聞こえたらどうするの!」
「あ……、すいません……」
そして、ぺこりと反省した桔流に、胸をなでおろしながら溜め息をつくと、法雨は続けた。
「――まったく……。 ――それで? ――もしかしなくても、思い出せたのかしら?」
「――あ、そうそう! そうなんですよ! ――ついに思い出せたんです! いや~スッキリした~……」
その中、晴れ晴れとした桔流と一連の事ですっかり呆れ、急く様な気持ちもついぞ萎えてしまった法雨は、デスクチェアの背もたれに身を預けると、腕を組み、半目がちに問うた。
「――そう。それは何よりだわ……。――それで? どこで見た事があったの?」
そんな法雨に、桔流は喜々として言った。
「――あれです! あれです! ――この前あった、――警視庁主催の講演会ですよ~!」
法雨は、その予想外の回答に思わず片眉を上げる。
「――……はぁ~? ――警視庁の講演会~?」
「――そうそう!」
法雨はそこで、そのスッキリ爽快なご様子の桔流とは反対に、一気に脱力すると、ここ一番の大きな溜め息をついた。
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