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篠原愛紀
#独占欲
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──その頃の会社では。
私はアポなしで勢いのまま重役室に押し掛けた。
「ひよりん♡どうした? パリのデザイナーに急用か!?」
デスクで難しい顔をして書類を睨んでいたパパが、私の姿を見たとたん椅子を跳ね飛ばして駆け寄ってくる。
けれど、私が無言で「豪華すぎる結婚計画書」を机に叩きつけると、パパの動きが止まった。
「これ全部返すね。私にはもう必要ないから」
「な、なんだと? タワーマンションも、特注のドレスもか!?」
「私は陽一さんと、普通の賃貸で、自分たちの身の丈に合った生活がしたいの。それは誰であっても、絶対に邪魔させない」
パパは絶句した。
「ひよりん……本気か? お前はあの男のために、不自由のない生活を捨てるというのか?」
「私、人生で何より大切だと思える人に出会えたのは、初めてなの。専務令嬢としてより、陽一さんと目玉焼きを食べる毎日の方が、私には何億倍も価値がある。……私は、普通の幸せを選ぶわ」
静寂がオフィスを支配した。パパはガクッと肩を落とし、椅子に深く腰掛けた。その顔は、経営者のものではなく、どこか寂しそうな、けれど誇らしげな「父親」の顔になっていた。
「……ガハハハッ! まいった、こりゃあ一本取られたな!」
パパは机を叩いて豪快に笑い飛ばした。その瞳が少しだけ潤んでいるのを、私は見逃さなかった。
「何より大切、か。……あの小さかった、天使みたいに可愛かったひよりんが、男のためにわしに牙を剥くようになるとはな……」
「パパ……」
「だがな。もしあいつがお前を泣かせるようなことがあったら、その時は即座に全消去してやるからな! いいな!」
「ふふっ。……でも、その心配は無用よ。陽一さんは、世界一の『普通の幸せ』を私にくれる人だから」
私は、初めてパパに心からの「ありがとう」を告げ、軽やかな足取りでオフィスを後にした。
さよなら、お嬢様の私。豪華なシャンデリアも、港区の夜景も、もう必要ない。 欲しいのは、陽一さんが少しだけ焦がした目玉焼きと、「おはよう」という寝惚けた声。これからは、大好きな人の隣で、世界一幸せな「普通の人」として生きていくのだ。