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「あー疲れた」
脱力して九曲橋の欄干にもたれた麗霞は、大きく息を吐いた。
お茶出しの時間に遅れたせいで、姜弘の機嫌がすこぶる悪い。壁画の制作が進まなくなったので、ここ数日はなだめるのに必死だ。
煜峰が、自分が麗霞を引き止めてしまったからだと説明しても、表面上頷き返すだけで全く納得してくれていない。
「煜峰殿下のせいなんだから、殿下が何とかしてくれたらいいのに。まったく」
あの時鐘が鳴ってくれて良かった。
もしそのままだったなら、一体どうなっていたのやら。
急に体をなんて、何を考えているんだか。煜峰は宦官なのに。
思い出したらまた顔が熱くなってきた。手をうちわ代わりにしてパタパタと仰いでいると、後ろから「よっ!」と声を掛けられた。
「誰かと思えば麗霞じゃない! 」
「葉青!」
葉青は調香をする官女として働いていて、官女としては2年先輩。麗霞とは同い年ということもあり、宮中では最も仲の良い友達だ。
麗霞が描いた男女の絵を気に入り宮女達に広めたのも、『恋恋』の筆名をつけたのも彼女だったりする。
「やだもう、そんな疲れた顔して。あの爺さん画人のせい?」
「まあね。お茶出しに遅れてへそ曲をげちゃったのよ」
「あんたも大変ねぇ。丁度今、緊張緩和にいい香包をもってるからあげるわ」
「ありがとう」
房飾りの付いた青色の香包に鼻を近付けると、薫衣草を中心としたいい香りがしてくる。
「はぁー、安らぐー」
「いくら気難しい人がいるとはいえ、そんなにストレス溜まるかね」
「なんで?」
「だってあんな素敵な男が職場に二人もいたら、ストレスなんて溜まりようがないじゃない。毎日煜峰殿下と雲嵐様を拝めるなんて眼福すぎるわ」
雲嵐という人は画院にいる画人の一人。若いながらもその才能を見出されて画院に呼ばれただけではなく、容姿も煜峰には及ばないもののなかなかの美男子という、宮中でも人気の高い御方だ。
「それにさぁ、見たわよ」
「なにを?」
「煜峰殿下とやけに親しげじゃないの。いつの間にあんな仲良くなったのよ」
「そ、そうかしら」
「そうよぉ。あんな気軽な様子でお喋り出来るなんて。宦官になられたとはいえ皇族よ? 凄いじゃない」
どうやら葉青は、どこかで麗霞と煜峰とが二人で話している所を見かけたようだ。
他の人がいればこれまで通り、事務的で無機質なやり取りしかしないが、2人きりの時の煜峰は随分と砕けている。
まぁ実際には、脅されているだけなんだけど。とは言えない。
「あーあ、あれで宦官じゃなきゃ完璧よね。完璧過ぎたから切り落とされちゃったんだろうけど」
「なによそれ。どういう意味?」
煜峰が宮刑に処された理由は、後宮の妃嬪に手を出したからだとされているはず。完璧とは程遠い。
「ん? 麗霞は知らないの? 煜峰殿下が宮刑になった本当の理由」
「本当の理由?」
ニヤリと笑うと葉青は、他の人に聞かれないよう麗霞にピッタリとくっ付いた。
「私が官女になって宮中に来た頃煜峰殿下はまだ十代でお若かったけれど、政務を既にこなされていて、数いる皇子達の中でも抜きん出ていたのよ。文武両道だし容姿も含めてね」
「ええ、その話なら聞いたことあるわ。もし暁明殿下がいなければ、煜峰殿下が皇太子に選ばれたんじゃないかって」
暁明は皇后の子であるし、非常に良く出来た御方。煜峰をはじめとして、他の弟皇子や皇女達からも慕われていて、皇太子にふさわしいのは間違いない。ただ、もし暁明がいなければ、煜峰が皇太子の座に付いていてもおかしくなかったと言われていた。
「それでね、年老いてきた皇帝陛下が嫉妬したって話しよ」
「嫉妬?」
「煜峰殿下の姿が見えれば、女性達の目はくぎ付けでしょう? 若く麗しい息子と、老いていく自分。皇帝陛下は出来のいい煜峰殿下を嫌っていたことは、皇宮に入りたての私の耳にすら入ってきたくらいよ」
煜峰がこの前、『どうにもならない相手』と言っていた人ってまさか……。
「皇帝陛下が煜峰殿下に嫉妬して、宦官にしちゃったって言うの?」
「好色家だもの。有り得なくはないって思わない?」
空いた口が塞がらないとはまさにこの事。
信じられない。
でも葉青の言う通り、有り得なくはない。
天子とはいえ歳を取り、衰えていく自分を認めるのは辛いもの。むしろ天子だからこそなのかもしれない。多くの皇帝が怪しげな術や薬に手を出して、不老長寿を夢見た歴史がそれを裏付けている。
「それに煜峰殿下一人失ったって、皇子は沢山いるんだもの。後継者には困らないでしょ」
「皇宮は陰謀蠢く凄いところだって知っていたけど、まさかこれ程だなんて」
「まっ、あくまでそんな噂もあるってだけだけどね」
うわさ話を終えてスッキリした顔の葉青が、「ああそうだ」と改めて麗霞を見た。
「ねえ、恋恋画伯? 煜峰殿下と言えば、今度描いて欲しい絵があるんだけど」
「なに?」
ごにょごにょと葉青に耳打ちされた麗霞は、リクエストの内容に目を見開いた。
「葉青ってそういう趣味もあったの?」
「描ける?」
「もっちろんよ」
これまでの麗霞の守備範囲からは完全に外れたリクエストではあるが、ちょっと妄想を膨らませてみるとワクワクしてきた。
「じゃ、頼んだわよ」
「りょーかい。またね」
コメント
1件
第8話読みました!麗霞が煜峰の本当の境遇を知ってしまう衝撃的な回でしたね…。「皇帝の嫉妬」って、まさか父親にそこまでされるなんて、煜峰の過去が重すぎる。それでも葉青との軽いやりとりで日常に戻るところが、逆に胸に刺さりました。麗霞がリクエスト受けた時の「もっちろんよ」で笑顔になれたのも良かったです。続きが気になる…!
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