そして翌日。
昨日のクリスのことが気にかかるが、今日は文化祭本番だ。これまで準備を頑張ってきたクラスのみんなも気合が入っている。自分も今は余計なことは考えずに集中しなければと、ルシンダはエプロンのリボンをキュッと締めた。
全員カフェの制服に着替え、あとは開店時間を待つだけとなったが、そんな中、クラスではとあるものを巡ってちょっとした騒ぎになっていた。
「──この格好はなんだかいかがわしいような気がするんだが……」
レイが怪訝な表情でミアに問いかける。
「いかがわしい? どこがですか?」
ミアがきょとんとした表情で首を傾げる。
「この耳! どう考えてもおかしいだろう?」
レイが指差した先には、カフェの制服を着たルシンダがいた。もっと正確に言えば、頭に猫耳付きのヘッドドレスを付けたカフェ制服姿のルシンダがいた。
さっきミアから「仕上げにヘッドドレスを付けてあげる」と言われて付けてもらったのだが、まさかこんな恥ずかしいものだったとは夢にも思わなかった。
たしかに以前、衣装のデザイン画を見せてもらった時にヘッドドレスもあるようなことを言っていたけれど、猫耳は想定外だ。
というか、今まで隠していたのもわざとだろう。今思えば、あの時から何かを企んでいる様子だったような気もする。ミアもクラスのために頑張っているのだと感動した気持ちを返してほしい。むしろ自分の欲望のために頑張っていただけではないだろうか。
「なぜ猫の耳を付けるんだ。不要だろう」
健全なカフェの運営のため、真っ当な抗議をするレイをルシンダが心の中で応援していると、ミアが息をすぅと吸って反論し始めた。
「お言葉ですがレイ先生、これはクラシカルで正統なデザインの衣装ですし、変な露出も全くありません。動物の耳も『どうぶつの世界にある癒しのカフェ』という世界観の演出のために絶対必要です。それをいかがわしいだなんて……。ただの猫の耳じゃないですか。そんな風に感じる方がおかしいと思います」
「そ、そうか……?」
息継ぎもせずに早口でまくし立てるミアに、レイは押され気味だ。
結局、なぜかレイが「すまなかった……」と謝って、ルシンダは猫耳を付けて接客することになった。一体なぜ……。
◇◇◇
そしていよいよ文化祭開始の時間になり、カフェは開店直後から大繁盛だった。
美味しい紅茶に、可愛いどうぶつたちに囲まれる癒しの空間。人気の理由はいろいろあるだろうが、中でも一番は、執事姿のアーロンとライルかもしれない。
二人目当てと思われる女子生徒が、朝から列をなして訪れているのだ。
おかげで忙しくて仕方ないが、みんなで頑張って準備したこのカフェで楽しそうに過ごしてもらえているのを見ていると、とても嬉しくてやる気も湧いてくる。
「いらっしゃいませ!」
並んでいたお客様に笑顔で挨拶する。すると、急に目の前に知らない男子生徒が現れて、乱暴に手を取られた。
「オレ、君と話してみたかったんだよね。ね、一緒にお茶を飲もうよ」
「いえ、私は店員なので……」
ネクタイの色を見るに、一つ上の二年生のようだ。先輩だし、カフェの雰囲気も壊したくないのでやんわりと断るが、軟派な先輩は空気を読まずにぐいぐい迫ってくる。
「いいじゃん、少しくらい。そんな耳まで付けてさ。猫は人に可愛がってもらうものだろ?」
「ちょっと……困ります」
ちょうど近くにいたサミュエルが「や、やめないか」と助けに入ろうとしてくれたが、「一年のくせに先輩に楯突くのか?」と突き飛ばされてしまった。
「オレの家は侯爵家だぞ。そっちは伯爵家で、しかも君は孤児院から引き取られた養子なんだろ?」
「なっ……」
迷惑な先輩は、あろうことか身分まで持ち出してきた。隠していた訳ではないが、こんなに人のいる場所で公言しなくてもいいではないか。
悔しいけれど騒ぎにしたくなくて言い返せないでいると、横からサッと手が伸びてきて、強引な先輩の腕を掴んで離してくれた。
「カルバ侯爵家令息のゴードン先輩ですね」
礼儀正しく穏やかな声が響く。見れば、アーロンが口元だけの笑みを浮かべて先輩を見下ろしていた。その目は思わずどきりとしてしまうほど冷ややかだ。
「はあ? なんだお前……あ、で、殿下……」
最初は威勢よく噛みついたゴードンは、それが自国の第一王子であることに気付いて、一気に顔を青ざめさせた。
「貴方のことはよく覚えておきます。私のクラスメートに無礼を働いたことも」
「いえ、そんなつもりでは……。も、申し訳ありませ……」
「謝罪すべき相手は私ではなく彼女でしょう」
「あ、はい、ルシンダ嬢、無礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした……」
さっきまでの傲慢ぶりはどこへやら、ゴードンは深々と頭を下げ詫びてきた。
身分を持ち出して偉ぶっていた分、自分より遥かに上の地位の人物には分かりやすく弱いようだ。
「……はい、もう大丈夫ですので頭をあげてください」
ルシンダが許すと、ゴードンはほっとした表情で顔を上げた。
すると、アーロンが笑顔で声をかける。
「ではゴードン先輩、こちらのお席へどうぞ。ご注文は?」
「え、いや、あのオレは帰り……」
「ご注文は?」
笑顔なのに目は笑っていない。ルシンダは許しても、アーロンはまだ怒っているらしい。
「……で、では、この特製ブレンドティーを……」
「かしこまりました」
ゴードンはものすごく帰りたそうな顔をしていたが、アーロンの圧に押されて結局お茶を一杯頼んでしまった。
アーロンがキッチンへ行って注文を告げる。
「オーダー入りました。特製ブレンドティーひとつ、お願いします」
「サービスで茶葉二倍、特濃で淹れて差し上げてくださーい」
先ほどからキッチンで成り行きを見守っていたミアが、ゴードンへの特別サービスを指示する。アーロンもそれを止めることなく、濁り切った特濃紅茶を優雅にゴードンのテーブルへと運んだ。
「お待たせいたしました。ごゆっくりどうぞ」
ゴードンは苦み走った特製ブレンドティーを涙目になりながら一気に飲み干して代金を支払い、「お釣りはいいです……」と言い残してそそくさと帰っていった。
「アーロン、庇ってくれてありがとうございます。嬉しかったです」
ルシンダがそう伝えると、アーロンはほっとしたように優しく微笑んだ。そして、ルシンダの頭に手を添え、ヘッドドレスを留めていたリボンをシュルシュルと解く。
「猫耳姿も愛らしいですが、他の男には見せないほうがいいですね」
そう耳元で囁くと、アーロンは次の客を案内しに行ってしまった。
(び、びっくりした……。でも、さっきはどうなるかと思ったけど、アーロンのおかげで助かっちゃった)
ヘッドドレスも外してくれたし、これでもうあのおかしな猫耳を付けて接客しなくて済む。王子が外したのだから、ミアもまた着けろとは言わないだろう。
(それにしても、アーロンもあんな風に怒ることがあるんだなぁ)
礼儀正しくはあったけれど、どことなく有無を言わせない威圧感のようなものがあった。さすが王族だ。
(友達が絡まれていたから、怒ってくれたのかな)
なんと言っても、アーロンとルシンダは「友人の証」として呼び捨てで呼び合うほどの友達なのだ。自分への無礼に腹を立ててくれるほど親しみを感じてくれているのかと思うと、なんだかむず痒いような気持ちになってくる。
(トラブルはあったけど、お客様もたくさん来てくれて、クラスのみんなも盛り上がってるし、頑張って楽しい思い出を作ろう!)
フンッと気合いを入れ直し、ルシンダもまた別の客を案内しにホールへと戻るのだった。
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