テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
──放課後。
誰も触れてこない空気に、静かに塗り潰されていく教室。
音だけが残っていた。椅子の擦れる音。鞄のファスナー。
それすら、どこか遠くに感じた。
耳に届いているのに、鼓膜の奥で反響しない。
動けなかった。
教科書を開く意味も、鞄を手に取る理由も、もうなかった。
生徒という枠に自分だけが収まっていないような、そんな疎外感。
まるで、ここにいること自体が、間違いのようで。
窓の外ばかりを見ていた。
けれど実際には、どこも見ていなかった。
木目。埃。傷ついた机の縁。その一点に視線を固定させておかないと、
ばらばらになりそうだった。
名前が呼ばれる。
一瞬、心臓が跳ねた気がした。でも──顔は上げない。
あれは、きっと他人の名前だ。
自分のような人間に、あんな声は届くはずがない。
「……お前、今日のこと──」
その言葉に、内臓を掴まれたような感覚が走った。
今日のこと。
あの空気。あの言葉。あの視線。
それを知ってる顔で、こんなふうに声をかけてくる人間が、
まだ、この世界に残っていること自体が、痛かった。
爪が机を抉る。
指先にだけ力を集めないと、今にも崩れそうだった。
「“好き”とか、“守る”とか……そんなん、他人に言われるもんじゃねえだろ」
その言葉に、反応したのは身体だけだった。
微かに指が震える。
でも、それだけ。
——違う。
守られたいと思った。あのとき確かに、思ってしまった。
誰でもよかったわけじゃなかった。
あいつの声が欲しいと、願った瞬間が、確かにあった。
「勝手に決められて、勝手に潰されて──そんなの、ただの暴力だ」
暴力なのは、こっちの方だ。
そんなふうに思わせてしまう自分の方が。
汚れていると思っていた。
触れられたいと思った過去も、
無理だと思っていた癖に、信じたかった夜も──全部、自分の甘さだ。
間違った願いだった。
願ったこと自体が、加害だった。
「お前が“気持ち悪い”とか、“抱かれたかった”とか……そんなの、全部、嘘だ」
その言葉に、目の奥がぐしゃっと崩れた気がした。
違う。
嘘じゃない。
気持ち悪かった。
でも、望んでしまった。
それが、いちばん気持ち悪かった。
嫌悪と渇望を同時に抱いて、
それを抱えたまま、あいつを“救い”だと思ってしまった自分こそ──最悪だった。
なのに、それを「全部、嘘だ」なんて。
違う。
おまえの前でだけ、
本音も、汚さも、見せたかっただけなんだ。
信じてくれると言われて、
息が詰まった。
信じられたくなかった。
そんな資格はない。
何も言えなかった。
言葉を返すことすら、贅沢すぎた。
だから、鞄を取った。
無言で立ち上がる。
反応を返すこと自体が、図々しい気がした。
出口の前で、一瞬だけ迷う。
でも、振り返らない。
その瞬間に期待を含ませてしまいそうだったから。
あいつの視線が背中に刺さっているのを、知っていた。
それが、唯一の“温度”だった。
教室という冷却された牢獄の中で。
でも、振り返ることは、赦されない。
まだ、生きていてもいいのかさえ、自分では判断がつかなかったから。
——どうか、
もう少し、黙っていてほしい。
今はまだ、言葉が刺さる。
全部、全部、まだ……
心に入ってくるには、痛すぎるから。