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シンガポール港で万能艦隊各艦は三日間補給、補修を受け、おぼろづきは駆逐艦メコンに任務の引き継ぎを行った。
クラーケンは台湾島の北東沖で米軍の偵察衛星に姿を捕捉されて以降、海中に潜ったらしく消息不明となっていた。だが位置から考えて、万能艦隊の狙い通り上海に向かっているものと推測された。
三日目の夕方、おぼろづきの甲板上でペンドルトン提督により解任式が行われた。おぼろづきの任務は駆逐艦メコンが引き継ぎ、空母エヴィータが万能艦隊の正式な旗艦となり、ペンドルトン提督はエヴィータへ移る事になった。
六月初めの蒸し暑い空気の中、守山艦長、副長の雄平、他おぼろづきの幹部乗員が甲板に整列。守山艦長は暫定旗艦の印である国連旗を提督に手渡した。提督は珍しく神妙な表情で告げた。
「現時刻をもって、日本国海上自衛隊護衛艦おぼろづきを万能艦隊暫定旗艦の任より解きます。長期間に亘る協力に感謝します」
「提督に敬礼!」
守山艦長の号令とともに甲板上のおぼろづき乗員全員が最敬礼をする。敬礼を返した後、提督は守山艦長に握手を求めながら、いつものいたずらっ子のような顔つきに戻って言った。
「キャプテン・モリヤマ。ほっとしましたねえ。これで私のお守りからも解放されますねえ」
提督の手を握りながら守山艦長は苦笑した。
「まったく最後の最後までお人が悪い。いえ、しかし人生最後の艦長としての航海が、今となってはこの任務であった事を誇りに思います。大変意義深い航海でした」
「私としても、おぼろづきにアレを使わせる事にならなくて良かったです。何と言っても、カミカゼアタックは日本人が元祖ですからね」
守山艦長は一瞬ぎょっとした表情を見せたが、すぐに真顔に戻って、やや目を泳がせながら答えた。
「は? おっしゃっている事が理解できませんが」
「フフ、まあ、そういう事にしておきましょう」
それから提督はおぼろづきの乗員の見送りの声に包まれて、ラッタルを降りていき、迎えのジープに乗って去って行った。ブリッジに戻った守山艦長は日本への帰還を命じた。
「本艦はこれより、横須賀基地へ帰還する。万能艦隊の任務は終わったが、基地へ戻るまで気を抜くな。おぼろづき出航、微速前進」
おぼろづきがシンガポールから日本へ向かっているその夜、エルゼとラーニアを乗せた特別列車は上海に到着。二人は医療用特別車両で市内の港に近い人民解放軍の病院へ搬送された。
美奈とミューラー中佐は一抹の不安を抱えながらも、エルゼとラーニアの前ではそれをおくびにも出さず、黙ってついて行った。
用意された病室は、入院患者用の病室というより超高級マンションの一室と言ってもいい豪華な部屋だった。二人のための大型ベッドがある部屋には六十インチはあろうかという巨大なテレビが置かれ、専用のトイレ、バスルーム、キッチンまで備わっていた。
さらに病室の窓の外には大きな庭園まであった。小さな丘の斜面に寄り掛かるように立っている六階建てのビルで、二人の病室は最上階にあった。病室のガラス張りのドアを開ければそのまま庭園に出られるようになっていた。
そこは丘の頂上で、テニスコートが一面取れそうな程広い庭園に多くの樹木が立っていた。そのさらに奥にはヘリポートまであった。
エルゼとラーニアをベッドに落ち着かせ、二人の体を繋ぐポンプ装置の調整を終えたところで、一人の背の高い人民解放軍の士官らしき男が部屋に入って来た。
筋肉質の精悍な顔つきのその軍人は美奈とミューラー中佐の前に立ち、敬礼をして流暢な英語で名乗った。
「劉康永大佐と申します。中央警衛団より、エルゼ嬢とラーニア嬢のお世話をするよう派遣されて参りました」
部隊名を聞いた瞬間、ミューラー中佐は目を見開き、美奈は思わず日本語で「八三四一……!」と口走ってしまった。美奈はあわてて手で口を押えた。劉大佐はそれを聞いてかすかに笑った。どうやら日本語を解するらしいが、相変わらず英語で続けた。
「我が部隊の名を知っていただいているとは光栄です」
中国人民解放軍、中弁警衛局隷下、中央警衛団、通称八三四一部隊。それは中国軍の中でも特に厚いベールに包まれた秘密部隊とされていた。中国共産党幹部の護衛を任務とし、万一首都北京が敵に攻め込まれたりした場合、最後まで共産党幹部を守り抜く使命を与えられたエリート部隊と、美奈は聞いていた。
ミューラー中佐がさりげなく美奈と劉大佐に廊下に出ようと促した。エルゼとラーニアには聞かせたくない話があったからだ。三人で廊下に出てドアを閉めるやいなや、美奈は劉中佐に食ってかかるような勢いで言った。
「これはどういう事ですか? よりによってこんな海に近い場所になぜ二人を」
劉大佐はその反応を予期していたらしく、落ち着き払って答えた。
「現在、万能艦隊は上海へ向かっています。一隻の合流が予定より遅れていますが、上海沖でクラーケンとの決戦に臨む計画なのです」
「エルゼとラーニアを囮にする気なの?」
思わず声が高くなった美奈をミューラー中佐が「シッ」となだめる。劉大佐は冷静な口調で言葉を続けた。
「もちろん、万一の場合はただちに脱出できるよう、軍の輸送ヘリが二十四時間待機しています。他の手段も複数講じてあります。この先はあの二人のお嬢さんの前で説明した方がよろしいでしょう。とりあえず病室に戻りましょう」
再び部屋に入り、劉大佐がベッドに近づくと、ベッドの上で半身を起こしたエルゼとラーニアはクスクス笑いながら同時に右手を額にあてて敬礼の格好をし「ニーハオ!」と大声で言った。
それを見た劉大佐は相好を崩し、右手と右脚を大げさに振って敬礼の姿勢を返した。それからテレビのリモコンを手に取り、大型テレビに画面を映し出した。
夜の帳が降りた上海の町は人通りがなくがらんとしていた。その道路を筒状の物体を乗せた細長いトレーラーがゆっくり移動しているのが見えた。それを見たミューラー中佐が驚きの声を上げた。
「あれは……DF21-Dか? 劉大佐、空母キラーを何に使う気だ?」
劉大佐はテレビのチャンネルを変えながら答えた。
「空母を高高度から狙い撃ちにする中距離ミサイルなら、クラーケンを攻撃するのにも有効です。我が軍がどさくさに紛れて万能艦隊の空母を攻撃するとでもご心配ですか? そんな事をすれば国際社会での中国の立場はおしまいです。なぜなら……」
劉大佐がテレビの音響のボリュームを上げると英語の女性キャスターの声が部屋に響いた。
「中国人民解放軍は、東風21の新型、DF21-Dと呼ばれる対空母攻撃用ミサイルを上海沿岸に展開しています。私の後ろに停車している車両に積まれている物を見て下さい。あれが空母キラーと噂されるそのミサイルです。人民解放軍はこれをクラーケン攻撃の切り札にすると発表しており……」
そのニュースキャスターが手に持っているマイクには「CNN」と書かれていた。劉大佐がまたチャンネルを変える。今度は若い白人男性のニュースキャスターの声が響いた。
「上海市内には戒厳令が敷かれ、市民の外出は制限されています。上海沖がクラーケンとの決戦の舞台になる時が刻一刻と近づいています。BBCジェームズ・マクミランが、上海からお送りしました」
さらに劉大佐がチャンネルを変えると、世界各国のマスコミが上海市内に展開し、中国軍の動きをリアルタイムで報道していた。美奈が驚愕の声を出した。
「CNN,BBC,アル・ジャジーラ……日本のNHKまで!」
「お分かりいただけましたか?」
劉大佐がテレビのスイッチを切って言った。そして改めて美奈とミューラー中佐の前に立ち、今度は重々しく敬礼しながら言った。
「我が人民解放軍の、いえ、中華人民共和国の名誉にかけて、あなた方の安全は我々がお守りします」
二日後の朝、おぼろづきは伊豆半島の南三百キロの沖合を航行していた。日本列島の南の海域が例年より早い梅雨模様の天候になっていたため、雨雲を避けて大島の東で転進し横須賀基地へ向かう予定になっていた。
途中上空を海上自衛隊のP-1哨戒機が通過した。四基のエンジンを持つその中型ジェット機は、主翼を数回ゆらゆらと揺らして合図をし、その後パイロットからおぼろづきに通信が入った。
「こちら江田島哨戒隊三番機。現在定期パトロール中。おぼろづきの帰還を歓迎する」
船務長がにこやかな顔で返信する。
「あいさつに感謝する。任務ご苦労さまです」
「横須賀基地周辺は小雨模様なれど航行に支障なし。以上」
だが約一時間後、そのP-1からおぼろづきに奇妙な問い合わせの通信が入った。守山艦長が直接通信を受けた。パイロットは当惑した口調でこう質問してきた。
「おぼろづき、応答せよ。万能艦隊の潜水艦が随行しているのか? そのような連絡は受けていないが」
守山艦長も怪訝そうな顔で返信する。
「こちら、おぼろづき艦長、守山一佐。何の事だ?」
「こちら哨戒機、あれは……いや、違う、潜水艦じゃない、あれは……」
次の瞬間、P-1からの交信はぷっつりと途絶えた。守山艦長は通信員に位置の特定を指示した。ほどなく通信員が答える。
「本艦より二時の方向、距離約五百キロの地点と推定します」
守山艦長は念のため、おぼろづきをその方角に向かわせ、搭載ヘリを通信が途絶えた地点に飛行させた。
約四十分後、MCH101に搭載されたビデオカメラの映像がおぼろづきのブリッジの大型スクリーンに映し出された。海面の下に巨大な影が見えていた。ブリッジの全員の顔色が蒼白になった。
やがてその巨大な影は、ゆっくりと海面上に浮上した。島のような巨大な円盤状の物体。クラーケンに違いなかった。だが、その姿は違う意味で異様だった。
クラーケンの円盤状のボディには中心からちょうど百二十度の角度で、三つの箱型の物体が並んでいた。そして巨大な煙突のような三本ずつの物体が海の方向に向かって水平に突き出している。
ざわつくブリッジの乗員を尻目に、守山艦長は航海班の乗員に命じた。
「クラーケンが最後に目撃された地点から、今の位置をつないだ線をスクリーンに出せるか?」
「推定ですので帯状になりますが」
「構わん、表示しろ」
スクリーンに黄色い細い帯が台湾沖から銚子沖にかけて映し出された。さらに守山艦長は指示した。
「今から言う座標をその海図に重ねろ。北緯三十度四十三分、東経百二十八度ゼロ四分」
赤い点がスクリーンに追加された。それはさきほどの黄色い帯の中にあった。雄平がたまらず守山艦長に問いかけた。
「艦長、何ですか、これは?」
守山艦長は答えず、自分の座席の背もたれを拳でバンと叩いて、震える声で誰にともなくつぶやいた。
「化物め! 吸収したというのか? 戦艦大和を!」
次の瞬間、レーダーを見張っていた哨戒員が金切声を上げた。
「翼竜一体! 至近距離の水平線上から出現。距離二百メートル!」
砲雷長が同じく金切り声で叫ぶ。
「迎撃不能! 総員、ショックに備えろ!」
おぼろづきの艦首のファランクス対空砲が自動的に作動したが、プテラノドン級翼竜は被弾しながらも、おぼろづきのマストに衝突し、海面に落下した。
幸い航行用、戦闘用のレーダー類は無事だったが、通信用のアンテナが破損した。守山艦長は国連海軍専用衛星通信回線で緊急通報を指示。続いて海上自衛隊基地に通信しようとしたところで、鈍い衝撃がブリッジ内部にまで伝わった。通信用アンテナが完全に破損したようだった。
「通信員! 送信は完了したのか?」
守山艦長の緊迫した声に、通信員は沈痛な面持ちで答えた。
「国連海軍専用回線の通信は確認しました。その後の送信については、確認不能です」
哨戒長がまた大声を上げた。
「クラーケン、十一時の方向に転進。日本沿岸に向けて進行中」
守山艦長は続けざまに支持を出す。
「予想進路を計算しろ」
一分後、哨戒長が真っ青な顔で報告した。大型スクリーンの海図にクラーケンの現在位置と、そこからまっすぐに伸びた赤い線が表示される。哨戒長が震える声で言う。
「奴がこのまま直進したらという前提ですが、これを……」
スクリーン上で赤い線の到達する位置が大写しにされる。それを見た守山艦長が凍りついた表情でつぶやく。
「福島第一原発……」
一瞬ブリッジから全ての音が消えたように思えた。凍りついたような沈黙をなんとか破ろうとするように、雄平が声を絞り出した。
「いや、でも、あの原発は廃炉になったんでしょう。それほど心配する事ではないのでは?」
「違う!」
守山艦長が怒鳴る。
「廃炉作業はまだ終わっていない。あと最低でも三十年はかかると言われている。それにメルトダウンした核燃料は、まだ手つかずのまま三基の原子炉の中に残ったままだ」
「しかし、なぜクラーケンが原発なんかに向かって」
雄平がそうつぶやくと、守山艦長は数秒考え込んで、ゆっくりと言った。
「最初地球に現れた時、クラーケンはアメリカの核兵器のエネルギーを吸収した。もし奴のエネルギー源が核物質だとしたら、福島第一の核燃料を呑み込む気かもしれん。奴は今までの闘いでエネルギーを消耗し、戦艦大和を吸収した分も含めて、エネルギーを補給しようとしている可能性がある」
「そんな事になったら今度こそ福島は終わりだ! やっと、やっと、復興が軌道に乗ったのに!」
通信員の一人が悲痛な声を上げた。雄平は彼が福島県出身だったことを思い出した。守山艦長は航海長に顔を向けて言った。
「最大船速でクラーケンと福島第一の間に割り込む事は可能か?」
「三十秒下さい」
航海長は素早く計器を操作し、きっちり三十秒後に答えた。
「可能です。余裕で間に合います!」
守山艦長は艦内放送のマイクを手に取り、今までに見た事もない険しい表情で、おぼろづきの全乗員に告げた。
「総員聞け! 本艦は福島沖を移動中のクラーケンと遭遇。万能艦隊が急行しているはずだが、奴の狙いは福島第一原発の核燃料と推測される。原子炉がクラーケンに破壊されたら、あの2011年の惨劇の再来、いや、それ以上の大惨事は必至だ。総員、第一級戦闘配置。万能艦隊が到着するまで、本艦は単独でクラーケンの接近を阻止する。くり返す。総員、第一級戦闘配置。全員命を賭けても、今度こそフクシマを守り抜け!」
二時間後、最大船速で福島沖に到達したおぼろづきは、クラーケンと福島沿岸の中間地点、沖合百五十キロの位置にいた。艦首をクラーケンに向け、戦闘速度で前進。
シンガポールで補給を受けていたため、燃料、弾薬は満載だったが、たった一隻でクラーケン相手にどこまで戦えるかは予想不能だった。
クラーケンはマラッカ海峡で受けたダメージが完全に回復していないのか、移動速度は遅く、翼竜を散発的に飛ばす程度で攻撃を仕掛けてきた。
砲雷長と共にCICに移動した守山艦長は、対空ミサイルをケツァル級翼竜のみの迎撃に使用するよう指示。主砲には対空用フレシット弾を優先して装填。プテラノドン級に体当たりされても、二、三体なら艦体は耐えられると判断した。
さらに守山艦長は全対艦ミサイルを、大和型砲塔の中間の一点に集中して発射するよう命じた。本体外縁部を失ってやや小さくなっているクラーケンのコアを露出させる事を狙った作戦だった。
おぼろづきのVLSから一定の間隔をおいて対艦ミサイルが飛び立ち、クラーケンの本体の同じ場所に次々と着弾した。クラーケンは何度か大和型砲塔からマグマのような高温の金属の塊を撃ち出したが、吸収したばかりの砲塔の扱いに慣れていないせいか、命中精度はお粗末な物だった。
おぼろづきは翼竜を迎撃し、対艦ミサイルを撃ち込み続けながら、クラーケンを完全に目視できる距離まで迫った。そこで主砲の対空フレシット弾が底を尽き、対地対艦攻撃用の通常弾に換装。ミサイルと主砲弾を、クラーケンの同じ位置に打ち込みながら接近を続けた。
対艦ミサイルが集中的に命中したクラーケンの本体の一部には深い谷のような亀裂が生じていた。その奥に、ほんの一部分だが虹の様な光を発する物体が露出しているのが、おぼろづきのブリッジから双眼鏡の目視で確認された。
ペンドルトン提督が言っていた、クラーケン本体のエネルギー源、あるいはコアと呼ばれる部分である可能性が高かった。守山艦長はおぼろづきのさらなるクラーケンへの接近を命じた。
だが、それを待っていたかのように、クラーケンはケツァル級十体、プテラノドン級五十体の翼竜を一斉に放出。ケツァル級をからくも全て迎撃したところで、砲雷長が守山艦長に告げた。
「ミサイル残数ゼロ。主砲の砲弾も残りわずか」
ファランクス対空砲が残ったプテラノドン級を至近距離で迎え撃ったが、右舷後方の対空砲が失われているため死角があり、その方向から侵入したプテラノドン級に体当たりされた。
艦体装甲が三カ所破損、火災の延焼は食い止めたが、ダメコン班に多数の負傷者を出した。そしてついに、全ファランクス対空砲の弾丸が尽きた。
「刀折れ、矢尽きたか」
CICの中で静かにそうつぶやいた守山艦長は、艦内放送のマイクを握って厳かに命じた。
「総員退艦、くり返す。総員退艦。日野副長、脱出ボートの準備を急げ」
そしてCICの全員がブリッジに戻った。守山艦長はまだブリッジに残っている乗員を叱りつけるように怒鳴った。
「総員退艦だ。これは艦長命令だ。平成生まれのヒヨッコは、一人残らずただちに脱出しろ!」
甲板上では雄平の指揮で次々と脱出用のゴムボートが空気を注入されて海上に投げ出された。負傷者のうち重傷の者はMCH101に収容されて一足先に脱出。比較的大型のゴムボートには船外機が付いていて、ロープで一隻あたり三隻の小型ゴムボートを牽引し、艦から離れた。
最後の一人が海に飛び込んでゴムボートに乗り移ったのを確認して、雄平は近くの非常用艦内電話でブリッジの守山艦長に連絡した。
「艦長、総員、退艦しました。艦長も早く!」
だが返って来たのは意外な言葉だった。
「私には艦長としてまだやるべき事が残っている。日野副長、貴様もすぐに脱出しろ」
「しかし艦長!」
「これは命令だ! 乗員を必ず生きて帰せ。それが貴官の今の任務だ。行け!」
ぷっつり切れた電話の受話器を握りしめ、雄平はブリッジを見上げた。そちらへ飛び出しそうになる足を必死で反対側に向け、雄平は海面に向かって飛び降りた。
ブリッジで自分の席に戻った守山艦長は、気忙しくコンソールのスイッチを操作した。ふと人の気配を感じ目をこらすと、操舵席に玉置一尉が座っていた。守山艦長は玉置一尉の側に駆け寄って詰問した。
「玉置一尉! 何をしている。命令が聞こえなかったのか?」
だが玉置一尉は悪びれた様子もなく平然と言い返した。
「はあい、命令通りにしてますよ。命令は『平成生まれのヒヨッコは全員脱出』だったでしょ」
「だから何故そこにいる?」
「あたしの誕生日は一月七日なんです。1989年一月七日」
「それがどうした?」
「艦長、昭和天皇の崩御っていつでした?」
「それはその年の一月七日……あ!」
「そう。翌日の一月八日からが平成。だからあたしは最後の昭和生まれなんです。ああ、もう、親を恨むわよ。なんでもう一日遅く産んでくれなかったのよ。一日違いで艦長と同じ世代だなんて、ああ、やだ、やだ」
「それはこっちのセリフだ!」
そう怒鳴った守山艦長と不満げに頬を膨らませた玉置一尉は、数秒顔を間近に寄せてにらみ合った。そしてどちらからともなく頬が緩み、顔をそむけて同時にぷっと吹き出し、大声で笑った。
「まあ、それは分かったが、どうして残った?」
「ペンドルトン提督から聞いてますよ。あれを使うには二人は残っていないと不便でしょ? なにせ神風特攻は日本人が元祖ですからね」
「やれやれ、何もかもお見通しだったか。最後の最後まで、あの提督にはかなわなかったな」
守山艦長はシャツの下から鎖で胸に吊るしていた鍵を取り出した。操舵用コンソールの一か所にある蓋を開け、その穴に鍵を差し込んだ。そして玉置一尉に言った。
「よし、玉置一尉。そのエンジンスロットルを全開で押し続けろ。艦の動きは私が艦長席からコントロールする。昭和生まれの意地を見せてやるぞ」
脱出用ゴムボートでかなりの距離まで離れていた乗員たちの耳にもその音ははっきりと響いた。おぼろづきの艦首先端から小さな火薬の爆発音が響き、うっすらと白煙が上がった。
ぽっかり穴が開いたおぼろづきの先端から、銀白色の細長い物体が十メートルほど突き出してきた。それは骨組みだけの傘を少しだけ開いたような形に展開し、次の瞬間バリバリという音を立てて青白い稲光のような輝きをまとった。
「あれは電磁衝角!」
雄平と同じボートに乗っている女性乗員が驚愕の声を上げた。雄平が聞き返す。
「何だ、それは?」
「強襲揚陸艦用に開発中の、強力な電磁波の熱で海岸線上の障害物を切り裂くための装備です。まさか、おぼろづきに実装されていたなんて」
全てのミサイル、砲弾を打ち尽くしたおぼろづきは、エンジンの全パワーを振り絞ってクラーケンめがけて突進した。クラーケンは大和型砲塔から連続的に金属の塊を発射したが、ぎりぎりでかわしながら近づくおぼろづきを阻止できなかった。
ミサイルと主砲の集中攻撃を浴びて、谷のようにへこんだクラーケンの一か所を狙って、おぼろづきは艦首の電磁衝角を突き立てた。クラーケンの本体と電磁衝角の接する部分に、強烈な火花が上がった。
おぼろづきはそのままエンジンを全開にして艦体をクラーケンの本体にめり込ませていく。悲鳴を上げるかのように、クラーケンの全身が震え、大和型砲塔が狂ったように鈍く光る金属の塊を連続して吐き出す。
やがて大和型砲塔の一基がクラーケンの表面をゆっくりと滑るように動き、おぼろづきの正面に位置しようとする。三本の砲の一門が放った金属塊が、おぼろづきのブリッジをかすった。
かすっただけとは言え、その衝撃はブリッジの窓を吹き飛ばし、守山艦長と玉置一尉は強烈な熱風と衝撃波に襲われた。艦長席で数秒失神した守山艦長は、頭を押さえながら立ち上がり、玉置一尉に声をかけた。
「玉置一尉、無事か?」
返事はなかった。玉置一尉の体は操舵用コンソールの上に突っ伏すように横たわり、床に赤い液体がゆっくりと広がっていった。席に駆け付けた守山艦長は手首と首筋に指をあて、そして素早く艦長席に戻り、壁に掛けられていた日の丸の旗をはずし、それを持って玉置一尉の所に戻り、彼女の体を上から日の丸の旗で覆った。
そして守山艦長は靴のかかとを音を立てて鳴らして直立し、玉置一尉の横で最敬礼の姿勢を取った。
クラーケン本体表面の大和型砲塔は、ぎくしゃくした動きながら、少しずつおぼろづきの正面に移動を続けている。守山艦長は、エンジンのスロットルを握りしめたままの玉置一尉の手の上に自分の手を重ね、スロットルレバーを最大出力の位置まで押し直した。
おぼろづきの艦首はさらにクラーケン本体の奥深くにめり込み、電磁衝角の先端がクラーケンのコアに突き刺さった。クラーケンは手負いの獣の様にその巨大な本体を振動させ、そして遂に大和型砲塔がおぼろづきの真正面に移動した。
「平成生まれのヒヨッコども!」
ブリッジの正面の窓から見える三つの巨大な砲口を身じろぎもせずに見つめながら、守山艦長は誰にともなく叫んだ。
「後を頼んだぞ!」
次の瞬間、三本の砲身が一斉に火を噴いた。おぼろづきのブリッジを含む艦橋上構造物は、その根元から跡形もなく吹き飛んだ。