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「元貴、着替えてくれ」
夕闇が町を包み始めた頃、滉斗がふいにそう告げた。
その身には、銀の刺繍が施された深い紺色の着物。普段の質実剛健な装いとは異なるどこか厳かな佇まいに、元貴は瞬きを繰り返した。
「え? ああ、分かったよ。……少し待っていて」
急ぎ足で袖を通したのは、淡い青色の着物。光の加減で水面のように色を変えるその布地は、再会して初めての逢瀬の折、滉斗が「お前に似合う」と選んでくれた大切な一着だった。
支度を終え表へ出ると、滉斗はすでに荷物を整え、静かに佇んでいた。
「悪い、急かしてしまったな。……足元が暗い、気を付けろ」
「ありがとう。……ねえ、ひろぱ。こんな時間に、どこへ行くの?」
「秘密だ」
短く返した滉斗の横顔には、どこか少年のような硬さが混じっている。連れられるままに乗り込んだ馬車の窓の外では、昼間の喧騒を脱ぎ捨てた王都が、静謐な夜の帳へと沈んでいった。
「……着いたぞ」
馬車が止まり、低い声が鼓膜を揺らす。
先に降りた滉斗が、当然のような所作で手を差し出してきた。その大きな掌の温もりに導かれ、元貴が降り立った場所――そこは、都を一望できる断崖の展望台だった。
「……っ、綺麗……!」
思わず吐息が漏れた。
眼下には、宝石を散りばめたような街の灯火が揺らめき、見上げれば、地上を忘れるほどの星々が空を埋め尽くしている。王都にいた頃よりも、ずっと近く、ずっと鮮烈に。
「修行時代、北の国境へ向かう途中で見つけた場所だ。……お前に会えなかった頃、ここでよく空を眺めていた」
滉斗は淡々と、けれど慈しむように言葉を紡ぐ。
「いつか、お前を連れてきたいと……それだけを考えていたんだ」
夜風にさらされた彼の耳先が、微かに紅く染まっているのを元貴は見逃さなかった。
14年という気の遠くなるような孤独な夜、彼はこの星空に元貴の面影を重ね、剣を振るう糧にしていたのだろう。
二人が寄り添い、無言で天を仰いでいた、その時だった。
二つの流れ星が、互いの軌道をなぞるように寄り添って、夜空を滑り落ちた。
「ふふ……今の流れ星、まるで僕たちみたいだね」
元貴が小さく笑って見上げると、滉斗は繋いだ手に力を込め、静かに頷いた。
「ああ。……星は瞬き、いずれ消える。だが、俺たちだけは一生、隣にいる」
「うん。ずっと、ずっとね」
何十年も前、無邪気に笑って交わした「結婚しようね」という言葉。あの頃の二人には、それがこれほどまでに険しく、そしてこれほどまでに愛おしい未来に繋がっているとは、知る由もなかった。
けれど、あの日交わした約束という名の灯火があったからこそ、二人は暗闇を抜け、今この光り輝く場所に辿り着いたのだ。
二人の影が星明かりに溶け合い、夜風が優しく、新しい誓いを運んでいった。
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