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昨日と同じようにフェビタルテは仰々しく口上を述べ、昨日と違い、泥濘族の戦士たちはすぐさま拒絶した。昨日と違い、隊商がいないので、これが本来のいつもの流れなのかもしれない、とユカリは想像した。
しかし昨日の今日だ。まさか毎日これをやっていたのだろうか。ユカリは怖ろしさとも悲しさともつかない想像を一旦やめて、行動に移すことにする。
ユーアがユカリの袖を掴んだ。人形に顔を埋めながら。
「大丈夫。ユーア。私は死なないから、生き返らせる必要もない。心配しないで良いよ」
ユーアの細い指を無理にほどき、広場の中心へと進み出る。ユカリが似たような返答をすると、フェビタルテは同じような応答をする。結局は昨日と同様に、フェビタルテと共に荒野の丘を登る。昨日と同じ輿があり、昨日と同様に骸骨の玉座にバダロットが座っていた。
「どうやって蘇ったの? 他にも屍使いがいるの?」とユカリは憐れみを交えて問いかける。
ユカリの不遜な態度にバダロットが苛ついている。
「ああ、そうだな。いや」と言ってせせら笑う。「俺様があの程度で死ぬものか」
昨日のは見間違いだというのだろうか。ユカリの脳裏には今もあの時の生々しいバダロットの表情が浮かぶ。しかしどちらでも同じことだと思いなおす。現にバダロットはこうして目の前にいる。
「こんなことを何度繰り返したの? いい加減諦めてよ」
バダロットが何かを言う前に、ユカリは魔性の梟に変身し、宝石の翼をばたつかせてバダロットを掴む。殺意を持っていると思われるように強く、命令を出せないように口を覆うようにして。
屍の盗賊たちは手に手に剣を掲げ、しかしバダロットを助けるでもなく、鬨の声をあげることもなく、静かに泥濘族の集落の方へと雪崩れ込んだ。ユカリの存在もバダロットの存在も見えないかのように、丘の下へと攻め込む。
ユカリは、予想だにしなかった盗賊たちの振る舞いに呆然として変身を解く。ユカリの視界に、丘の麓の集落から迎え撃つように飛び出す戦士たちの姿があった。
そして自由になったバダロットは「くそ! てめえら! 何を勝手に!」と怒鳴った。
バダロットですら想定していなかったことが起きたというのだ。ユカリは目の前の光景を理解しようとするだけで精いっぱいだった。
ユカリが振り返ると、バダロットが懐から羊皮紙を取り出していた。
「グリュエー。あいつを吹き飛ばして!」
直ちに従順なる風が巻き起こり、屍使いの頭領に飛び掛かる。足を取られたバダロットはなすすべもなく転倒した。魔導書が盗賊王の手を離れて、風に巻かれて飛んで行く。
バダロットは直ぐに起き上がり、魔導書を追おうとするユカリに対峙する。そして輝かしい装飾の剣を抜き放つが、ユカリの後ろから飛び出してきた影に抑え込まれた。
パディアだった。大男といえど、パディアほどの巨体ではない。魔導書なしには、屍の手下なしには、とてもパディアに勝てそうになかった。完全に抑え込まれている。そして共に現れたビゼが二言三言呪文を唱えると、抵抗するバダロットの力が失われていった
ユカリは急いで魔性の梟に変身し、風に舞う魔導書をしっかりと捕らえた。魔導書は気づくか気づかないか程度に鳴動している。魔導書の気配と同じくらい微かなものだ。
再びユカリが丘の頂に戻ってくると、「大丈夫かい? ユカリさん」とビゼが息を切らして言った。
「はい。大丈夫です。それより、バダロットが魔導書を持っていたんです。ユーアじゃなくてバダロットが。バダロットがこの状況を作っていたのでしょうか? でも何のために?」
ビゼが冷静に答える。「どういう魔法なのかで、推測できるかもしれないよ」
「内容は……」そう言ってユカリは中身を多少大人っぽい言葉に翻訳しつつ音読する。「口笛、指笛の呪文で発動する魔法。人形を自在に操作することができる。これって、これが屍使いの魔法? 屍も人形と同じように動かせるってことですよね?」
「いや、違う」ビゼも読めない魔導書を覗き込みながら否定した。「屍使いの術はある程度屍が独自に動けるように意志を持たせるものだ。勿論生前の信仰や信念を奪ったうえで、だけど」
「でも、これは、これなら……」ユカリは言い淀む。
村の人々の復活も理屈は説明できる。
「それはそれで使えるんだぜ」とバダロットが吐き捨てるように言った。「何より、簡単に正確に死体を操れるからな。稼がせてもらったぜ」
ビゼも頷く。「うん。屍使いの魔法はどれも準備や維持管理に手間がかかるからね。魔導書とは比べるべくもない」
「でも」とユカリはバダロットに向き直る。「何で泥濘族の人たちを生き返らせるの?」
バダロットは嘲るように笑う。
「何を言ってやがる。俺様がそんなことをするわけがないだろ」
「わけが分からない」ユカリはビゼを見、丘の下の戦いを見る。「一体何が起こっているの?」
「いや、やはりユーアなんじゃないか」とビゼが言った。「少なくとも泥濘族を蘇らせているのは。彼女も口笛を吹いていたじゃないか」
「でも魔導書は今ここにありますよ? 魔導書を使っていたのはバダロットで……ああ、そうか。守護者の魔導書の時と同じってことですね。所持している本人以外の叫びの呪文まで反映されるのと同じで、ある程度の範囲にいれば誰でも魔導書の魔法を使えるのか」
魔導書の鳴動がいつの間にか止んでいることに気づく。丘の下の戦闘が終わっていた。昨夜と同じく集落が蹂躙されていたが、今日は全ての盗賊たちも倒れて動かない。
ユカリは集落に向かってありったけの力で叫ぶ。どこにいるのか分からないユーアに向けて叫ぶ。
「ユーア! もう死者を操るのはやめて! どうしたってみんなは戻って来ない! この魔導書を私が持って行ったらユーアは本当に独りぼっちになってしまう! 私と一緒に旅をしよう! ユーアの幸せを一緒に探そう!」
ユカリの叫びは穏やかな戦場跡に空しく解けていく。代わりに返ってきたのは、か細い口笛の寂し気な音色だった。死者たちが静かに起き上る。
「ユーア! お願い! もうやめて!」
「いや、待ってくれ。おかしいぞ」とビゼが呟く。
丘の下で、戦場で蘇ったのは泥濘族だけではなかった。屍の盗賊たちも起き上がり、戦士たちと共に集落の方へと入っていく。昨日とは違う。今までとは違う状況だ。
ユカリもまた別の異変に気付く。手に持っている魔導書。人形遣いの魔導書が鳴動していない。魔導書の魔法は行使されていない。
ユカリの疑念に応えるかのように集落で火の手が上がった。夜闇を押しのけて、赤い炎が生命に対する冒涜を明るみに追いやる。蛮族と呼びならわされる素朴な人々の営みの白い煙とは違い、破壊と殺戮の黒煙が昇り、暗い夜空に溶けていく。
泥濘族と盗賊たちが先程までの争いを忘れたかのように協力して火をつけて回っている。そして最後にはかつてそこに存在した魂を貶めるように、自らをもその火にくべていた。悲鳴も怨嗟の叫びも無しに人が燃えている。
言葉にならない無力感がユカリの全身を冷たく満たしていく。
燃え盛る火の中で、泥濘族の星釉が煌めいている。蝋燭の最後の灯火のように一瞬強く瞬いて消えていく。その住民の誰一人が愛し、愛された集落と共に火によって葬られてゆく。その貧しくひなびた集落が、かつて古き神々や精霊に愛され、かつて戦火に失われたどのような都よりも、荘厳にして勇壮な最期を遂げていた。
「うふふ」とバダロットが笑った。「あたしの人形を、あたしがどうしようと、あたしの勝手だろ」とバダロットは呟き、パディアを振りほどいた。
パディアの巨体を振りほどくバダロットの力は己の腕を容易くもいでしまっていた。
そしてバダロットは三人に目もくれず、「あはははは」と笑いながら身をくねらせて丘を駆け降りていく。幾度も血を飲んだ戦場跡を通り抜け、燃え盛る集落に躊躇いなく飛び込み、バダロットもまた無慈悲で平等なる火にくべられた。
「……どうして? ユーア。わけを聞かせてよ。ユーア」
そのユカリの囁きはグリュエーにしか聞こえていなかった。
パディアが呟く。「つまり、ずっとユーアとバダロットが同じ魔法を行使して、それぞれ泥濘族と屍の盗賊たちを使って戦っていた。そういうことですか? ビゼ様」
ビゼは頷き、答える。「うん。そういうことになるね。そういうことだと思う。そして、とうとう決着がつき、ユーアは立ち去った」
「立ち去った?」と言い、パディアはユカリに気を使ってか、声を潜める。「あの火の中にいるのかと」
「いや、ずっと、一人でも戦い、生き抜いてきた子が勝利の後に何を儚んで死を選ぶだろう。彼女は生きているよ。そういう子だと思う」
哀しみと虚しさに気づかないかのように、ユカリは別のことを考えようとしていた。
「ビゼさん」
「何だい?」
「さっきからおかしいんです」
ビゼが振り返り、新たに手に入れた魔導書を覗き込むユカリを見つめる。
「何がおかしいんだい?」
「ずっと魔導書が鳴動していません」
「鳴動? 何だい、それは」
「言ってませんでしたっけ? 魔法を行使している魔導書は微かに鳴動するんです」
「いや、何度か使わせてもらったけど、僕は気づかなかったな。パディアはどうだい?」と問われたパディアもビゼに同意するように首を振る。「魔導書の気配同様にその感覚はユカリさんだけのもの、なのだろうね。鳴動、するとして。それがどうかしたのかい?」
「さっき、泥濘族と盗賊の屍が起き上がった時、それにバダロットがユーアの代わりに喋った時、魔導書が鳴動していなかったんです。これって何ででしょう? ユーアは魔導書の魔法を使ったはずですよね」
ビゼは一人思案し、導き出した結論を答える。
「つまり、それは僕たちの思い違いだったというわけだ。もしそれが本当ならば、いや、ユカリさんを疑う訳ではないが。現状から分かることは一つ。あくまで突拍子もない仮説だけど……。ユーアは魔導書を使わずに、魔導書の魔法を使った、ということになる。やり方はどうあれ、ね」
「そんな事が……」とパディアは息をのんだ。
「うん。聞いたこともない」ビゼは深刻な表情だが、その驚異に打ち震えているようでもあった。「僕らの知らない秘密や仕組みが働いているだけで、僕らにもそれが可能なのかもしれないし。ただ単にユーアが天与の賜物を持っているのかもしれない。強力な秘密の力を持っているのか、魔導書の曖昧な法則性に何かを見出したか、あるいはそのどちらも」
ユカリは吹き付ける熱風に目を細め、全てを焼き尽くさん勢いで燃え盛る炎の中に、才に溢れる少女の影を探す。乾く唇を開き、おそるおそるビゼに尋ねる。
「魔導書の魔法を、魔導書に頼らずに使える人間がいたとして、その人はどう扱われることになりますか? つまり、世間の人はどう思うでしょうか?」
「前例はないが、それが世間に知られれば、おそらくは」と言ってビゼは溜息をつく。「魔導書と同様に扱われるだろうね」