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出演者ラウンジの奥では、人気グループのメンバーたちが談笑している。
美夏は、その中に白い衣装をまとった青年を見つけた。
──いた!
月城律(つきしろりつ)がそこにいた。柔らかな笑みに、凛とした立ち姿。テレビの中から抜け出してきた王子様のような存在感。変わらない。本当に、何一つ変わっていない。歴史はもう揺らいでいるのに、彼だけは二年前と寸分違わぬ場所にいる。
律がこちらに顔を向けた。そして自然な足取りで歩き始める。
White Noiseのメンバーが一斉に姿勢を正した。
「Polarisの月城さんだ」
「センターに挨拶かな」
スタッフも、他グループの出演者も、誰もがそう思った。センターである朝霧舞白(あさぎりましろ)の前で立ち止まる──それが当然だと疑わなかった。舞白も営業用の笑顔を浮かべ、一歩前に出る。しかし、律はそのまま彼女の前を通り過ぎた。
「え……?」
舞白の笑顔が凍り付く。彼女の反応は、回帰前の記憶とは違う。しかし律は変わらない。彼は歩みを緩めることなく、美夏の前まで近づいて、そこで静かに立ち止まった。右手を胸に軽く添える。舞台の上の王子が姫に礼を捧げるような、美しく洗練された所作。律は柔らかく微笑んだ。
「やぁ、麗しの歌姫」
その声を聞いた瞬間、美夏の心臓が大きく鳴った。
「あなたにお会いできるのを楽しみにしていました」
律の言葉は、美夏の記憶の中にあるものと同じだった。
一言一句が、回帰前とまったく同じ。
信じられないものを見るように美夏は律を見上げた。
何を言えばいいのか、美夏には分からない。ただ、この現実が何かの間違いではないことを確認しなければならないと思った。
「……私、ですか?」
ようやく絞り出した声も、あの日と何も変わらなかった。
中身は別人なのに。あの頃と同じ夢は見れないし、あの頃のようには笑えない。それでも律が美夏に向ける視線も言葉も同じだった。そして美夏も。中身は変わってしまっても、表面上はあのときと同じ。
律は肩をすくめ、悪戯っぽく笑いながら、美夏の問いに答えた。
「ええ。星凪美夏(ほしなぎみか)さん、あなたです」
「本当ですか……?」
「ええ。間違えるほど方向音痴ではありませんから」
周囲から小さな笑いが起きる。場を和ませるための、計算された軽口。王子様らしい、自然なユーモア。それすらも二年前と同じだった。律が右手を差し出す。その手は白く、しなやかで、まっすぐ美夏へと伸びていた。
その瞬間、美夏の視界が揺らき、パラレルワールドの記憶が繋がる。廃遊園地のバックヤード、血に濡れた床、失われていく視界、そして闇の中から現れた、一人の青年。アザゼル。
『私と契約すれば、復讐の機会を与えよう』
アザゼルもまた、このときの律と同じように手を差し伸べていた。
あのとき、どうしてあの手を取りたいと思ったのか、美夏はようやく理解した。似ていたのだ。初めて出会ったときの律に。だからあのとき、不可解な存在を見ても、恐怖を感じなかったのだろう。
美夏は震える指で、律の手を握る。
温かい。人間の体温だった。その温もりが現実を教えてくれる。
──私は、帰ってきた。
夢ではない。幻でもない。自分は本当に、二年前に戻ったのだ。失ったものを取り戻すために。奪われものを奪い返すために。その実感が、ようやく美夏の胸を満たした。
律は美夏の表情の変化に気づいたように、一瞬だけ目を細める。しかし彼は何も尋ねず、穏やかな笑みを崩さない。律が手を離すと、入れ替わるように番組スタッフが慌ただしく駆け寄ってきた。
「皆さん、リハーサル前に司会の神代(じんだい)さんにご挨拶をお願いします!」
その一声で、出演者たちが一斉に動き始める。
律は美夏に軽く会釈した。
「それでは、また後ほど」
「……はい」
律は王子様の笑みを残したまま、Polarisの輪へと戻っていく。
美夏は名残惜しそうにその背中を見送っていた。
◇
スタジオの中央では、出演者が順番に司会者へ挨拶をしていた。
その中心に立つ老人は、年齢を感じさせないほど背筋が伸びていた。
神代和茂(じんだいかずしげ)。七十代になった今も第一線で歌い続ける演歌界の大御所であり、この長寿音楽番組の顔として司会者を務めている。彼は穏やかな笑みを絶やさず、一組一組の出演者へ丁寧に声を掛けていた。
「初出演かな」
White Noiseの番になると、神代は優しく目を細めた。
昭和、平成、令和の三代に渡って芸能界を見続けてきた重鎮の目。
グループを代表して舞白が頭を下げる。
「はい! White Noiseです。本日はよろしくお願いいたします」
「うん、よろしく」
神代は全員の顔をゆっくり見渡した。新人だからと軽く流すような視線ではない。一人ひとりを覚えようとする眼差しだった。
「生放送は緊張するだろうけど、お客さんに歌を届けようという気持ちを忘れなければ大丈夫」
「はい。ありがとうございます」
「歌というのはね、競争じゃない。誰かを負かすものでもない。一曲終わったあと、『いい歌だった』と思ってもらえたら、それで十分なんだ」
神代は穏やかに笑いかける。彼のその言葉は、White Noiseのメンバー全員に向けたものだった。芸能界の重鎮でありながら、少しも偉ぶるところがない。美夏は自然と頭を下げていた。
(この人も……変わらない)
回帰前もそうだった。誰に対しても礼を尽くし、立場で人を測らない。だから多くの歌手に慕われているし、スタッフやスポンサーに信頼されているのだろう。
◇
「White Noiseさん、本番スタンバイです!」
美夏はメンバーと共に舞台袖に立つ。客席のざわめきが、暗闇の向こうから波のように押し寄せてくる。イントロが鳴る。照明が落ちた。次の瞬間、無数のスポットライトがステージを白く照らし出す。舞白がセンターに躍り出る。歓声が上がる。それはWhite Noiseだけを目当てにした声ではない。番組全体を盛り上げるための拍手と歓声だ。それでも舞白は完璧な笑顔で応えた。
美夏も所定の位置へ滑り込み、音に身を委ねる。回帰前なら、もっと前に出ようとした。少しでもカメラへ映ろうと、少しでも自分を覚えてもらおうと、必死だった。だが今は違う。視線を奪うことよりも、歌を崩さないことを選ぶ。フォーメーションを乱さず、舞白を支え、グループ全体が一つに見えるよう踊る。その一歩引いた立ち位置が、不思議と美夏の存在を際立たせていた。舞白の光が強いからこそ、その周囲で静かに歌う美夏の憂いを帯びた横顔が、カメラに映るたびに独特の余韻を残した。
収録が終わり、出演者たちはそれぞれの楽屋に戻っていく。
廊下の向こうでは、Polarisのメンバーがスタッフに囲まれていた。律も一人ひとりに穏やかな笑顔を向け、誰かに呼び止められるたび足を止めている。その姿は、誰もが知る月城律だった。礼儀正しく、誰にでも優しく、決して嫌な顔をしない人気アイドル。しかしその理想的な『王子様』の仮面の下には、父を奪われた少年がいる──
美夏は静かに律から視線を逸らした。
回帰前は違った。番組で顔を合わせるたび少しずつ話すようになり、仕事帰りに偶然を装って会い、悩みを打ち明け合うようになった。その結果が、あの結末だ。そして今日、回帰前の記憶では、律はこのあと美夏に声をかけてくる。
美夏は荷物を抱え直し、誰にも気づかれないように足早に廊下を歩き出した。
律との関係を、回帰前と同じにするわけにはいかなかった。天導隆一(てんどうりゅういち)に見せられたあの写真のせいではない。律はUSBメモリを自分に託し、そして回帰後も変わらない姿を見せてくれた。それだけで充分だ。今はただ、彼を守りたいと思っている。そして彼を守るためには、近づきすぎない方がいい。そう考えての判断だ。
とはいえ美夏は闇雲に未来の記憶から逃げているわけではない。
美夏には、策があった。
◇
都内の一室で、一冊の書籍が静かに閉じられた。
ページの余白には、びっしりと付箋が貼られている。
向かい合って座る二人の男は、互いに顔を見合わせ、小さく頷いた。
「やはりヒロインはこの子しかいない」
「だが、あの老害が認めるだろうか」
「仕事をしない奴に口出しはさせない。配役を自分で決めたいから、わざわざ俺が作者だと会社に明かしたんだ」
「黙ってた方が儲かっただろうに。独立したいんじゃなかったのか?」
問われた男は答えずに、穏やかな笑みを浮かべながら自著をそっと机に置いた。
コメント
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しらなみさん、第6話読みました! 律くんの登場シーン、すごく胸が熱くなりました……「麗しの歌姫」って、もう完璧な王子様じゃないですか。でも、その手を取ったときにアザゼルの記憶が蘇る構成が切なくて。美夏が「近づきすぎない方がいい」と距離を取ろうとする気持ち、すごくわかるけど、それでも彼女の律への想いが伝わってきて切ないです。 そして神代さんの「歌は競争じゃない」という言葉、じんわり沁みました。この温かい大人がいるから、美夏ももう一度頑張れるんだろうな。 次が気になります!
専業プウタ
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