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コインロッカーに封筒を入れて、指定された番号をメッセージアプリに送った。
「終わりました」
送信のあと、携帯を握る手がほんの少し汗ばんでいた。
ロッカーの扉がカチッと閉まる音。
それだけのはずなのに、スンホの胸には、妙なざらつきが残った。
――俺、いま何してるんだろう。
スンホは思わず足早にその場を離れた。
新宿の雑踏の中をすり抜けながら、誰かに見られている気がして、後ろを何度も振り返った。
ポケットの中で、スマホが震える。
「振込完了。おつかれさん。明日はゆっくり休め。」
その一文に、安心と、わずかな後悔が混ざって押し寄せてくる。
スンホはコンビニに寄り、安い酒を一本だけ買った。
家に戻ると、カーテンを閉めて、ベッドに倒れ込んだ。
財布の中にはさっきの1万円と、昨日の5万円の現金。
借金に比べれば微々たる額。それでも、生活が少しだけ楽になった気がした。
「……あと何回やれば……」
自分に問いかけても、答えはなかった。
数日後、いつもの男からLINEが来た。
「ちょっとだけ、ややこしい仕事ある。来れる?」
場所は池袋。喫茶店の個室席。
スンホが入ると、男は既に座っていた。
その隣には、初めて見る別の男がいた。無表情でスマホをいじっている。
「おつかれ。紹介するわ、こっちウチの“事務”担当。話早いからね。」
男は愛想笑いを浮かべて言ったが、隣の男は一度もスンホの目を見なかった。
「で、本題。」
テーブルにそっと置かれた、何枚かの紙と一つのスマホ。
「スンホ、お前の名義で銀行口座作ってきてくれ。」
「……俺の……名義で?」
「そう。身分証と保険証、持ってるよな? それ使って、ここと、ここの2行。ネットバンキング使えるやつ。」
スンホの喉が、ごくりと鳴る。
「それって、……なにに使うんですか……?」
隣の男が、初めて顔を上げた。
無表情のまま、淡々と答える。
「業務上の処理用。振込元になるだけ。」
それがウソか本当かは、聞くまでもなかった。
「もちろん、報酬はちゃんと払う。1件3万。今日中に5万振り込む。残りは開設完了後。」
スンホは視線を落としたまま、手を握った。
「……口座を……俺が作って、それを……渡すんですか?」
男は軽く笑った。
「“渡す”っていうか、まあ、ログイン情報はウチが管理するだけ。お前は使わないんだから平気。」
スンホはしばらく黙った。
そして、頷いた。
頷いた瞬間、男たちはまるで既にそうなると分かっていたかのように、次の書類を出し始めた。
口座を二つ作った翌日。
スンホは、近所のコンビニで昼飯を買った帰りに、自分のアパートのポストを覗いた。
そこに見慣れない封筒があった。
『〇〇銀行からのお知らせ』
文字を見た瞬間、心臓が一度止まった気がした。
なんでもない。
そう思いながらも手は震えていた。
部屋に戻り、封筒を開ける。
中には、取引確認のハガキと、銀行からの注意喚起が入っていた。
『第三者による不正利用にご注意ください』
それだけだった。
けれど、たった一行がスンホの喉をひりつかせた。
スマホを取り出す。
男からのメッセージ履歴を何度もスクロールした。
ーー大丈夫だ、って言ってた。
「……大丈夫だよな……」
小さく呟く声が部屋の壁に吸い込まれていった。
だが、数日後、スンホのスマホに知らない番号から着信が入った。
画面に『非通知』の文字。
電話は一度切れたが、すぐにまた鳴った。
なんの音もない部屋で、着信音だけがずっと鳴り響いていた。