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第二話:始動
「静岡県の入江小学校から転校してきた大野けんいちです。これからよろしくお願いします。」
始業式が終わり、担任の先生に自己紹介を促された大野はそう言って軽く頭を下げる。
今年度の四年生を構成する全五つのクラスのうち、大野けんいちが振り分けられたのはベテランらしい女性教師が担任を務める四年五組だった。
これでも一クラスの人数が違っているようで、生徒数は入江小学校よりもずっと多いのだという。
新しい学校で最初に驚いたのは、集会中ことあるごとに挟まれる校長先生の世間話の長さだった。
清水にいた時でさえあれほど厄介なものはないと思っていたのに、それを遥かに上回る勢いに先が思いやられたのを大野は覚えている。
程度はどうあれ、先生の話が長いのは全国共通なのだろうか……?
これを今まで耐えてきたとはさぞ辛かっただろうと周囲の生徒たちに目を向けると、 意外にも立ったまま寝ている人が多くて器用なものだと大野は思わず目を見張ったのだった。
パチパチパチ……と拍手の音がして、大野は顔をあげた。
好奇心を目に宿した生徒たちの多くはいかにも真面目そうな印象である。
ーー何事も最初が肝心なんだ。
集まる視線の中心で、大野は練習した通りの笑顔を浮かべた。
「僕、小山 要っていうんだ。これからよろしくね。」
自分の席に座るとすぐに、隣に座る生徒に話しかけられた大野は小さく目を見開いた。
「あぁ、これからよろしくな!」
小声で話しかけてきた声に答えるべく、大野もまた小さいが明るい声で答えた。
番号順に並んだこの状況では二人のいる窓側の二列の一番後ろの席は幸いにも死角になっているようで、先生の視線が向けられないことを確認した大野は小声で話を続けた。
「その……名前なんだけど、なんて呼んでほしいとか、ある?」
例外的な数人を除けば何も考えず名字で呼び捨ててきた大野にとって、それは初対面での距離感を掴むために咄嗟に考えた一種の作戦だった。
「要でいいよ。みんなもそう呼んでるし……小山くんって呼ぶ人もいるけど。」
固唾を呑む大野の隣で、前の席から回ってきたプリントを受け取りながら要はそう言って笑った。
聞けばこの学年にはもう一人、小山という名字の女子生徒がいるために「小山さん」と「小山くん」で呼び分けられる場合があるのだという。
「そうなんだ。名字が一緒だと何かと大変だな……。」
「うん。特に去年までは同じクラスだったからさ……最近はなんかもう慣れてきた気もするんだけどね。」
それから少し間を開けて、趣味、好きな食べ物、得意な教科について……投げかけた話題は多少の会話を生んだものの、 ことごとく盛り上がらずに終わっていく。
とりあえず相槌をうちながらどう話を続けようかと大野が考えていると、躊躇いながらも先に口を開いたのは要だった。
「その……僕は君のこと、けんいちくんって読んでもいいかな?」
「え?あぁ、もちろん」
「よろしくね、けんいちくん」
けんいちくん、か……。
その無垢な笑顔からもわかるように、少なくとも悪い奴ではないのは確かなのだが……。
穏やかな笑みをうかべながら、こちらのことを悟られないことを大野は祈るばかりだった。
「では学校にお兄ちゃんかお姉ちゃんがいる人は手を挙げてください」
各世帯一部ずつのプリントを配る旨を話す先生を横目に教室を見渡すと、高学年に差し掛かったにもかかわらず、半分ほどの生徒が手を挙げていることに大野は少し驚いていた。
「要って上に兄弟いるんだ?」
「うん、二つ上の姉さんがいるんだ。」
「へぇー……。」
しかしその言葉を最後に、ついに二人の会話はそれ以上続くことはなかった。
こうしている間にも手元に配られたプリントは多く、暇を持て余した大野が試しに角をそろえて丸めてみると、それは二、三人ならそれなりに遊べそうな頑丈さを持っているようだった。
ーーまあきっとこいつはそんなことしないんだろうな……。
隣で黙々と作業を続ける彼はそんな視線にも気づいていないようで、ため息をついた大野を照らすのは雲の合間からようやく顔をだした暖かい日の光である。
ーーいや、あいつらだって新しいクラスで頑張っているはずだ。
深く息を吐いて前に視線を戻すと、先生の話を真面目そうに聞く似たり寄ったりな後ろ姿ばかりが目に入って大野はグッと唇を噛む。
何から何まで馬の合う奴がゴロゴロいるとは思わないが、こいつらはこんなにも退屈な時間を過ごしていて嫌気がさすことはないのだろうか。
今思えば明るすぎるあの教室が、この先の大野の生活をどうしようもなく暗示している気がして、どことなく気分が沈むのがわかる。
チャイムが鳴ると同時に誰かが先生に指名され、その号令で起立を促された生徒たちが一斉に立ち上がり始めた。
少し遅れて立ち上がった大野は半ば投げやりに礼をすると、再び席につくべく自身の椅子に手をかけたその時だった。
「ーーーー!」
大野の想像とは裏腹に、幸運にも先程までの静寂は打ち破られることとなった。
これからよろしく、趣味はある?家ってどの辺?好きな食べ物は?〇〇ってテレビ知ってる?……そんな質問の数々を並べながら押し寄せてきた生徒たちに、何が起きているのかわからないまま大野は気づけばその周囲をみっちりと囲まれていたのだった。
期待や好奇心に満ちた目が、一言たりとも聞き逃さない勢いで迫ってくる。
「えっと…好きな食べ物はラーメンだ!趣味はーー」
俺と一緒だ、ラーメン美味しいよね、じゃあ何ラーメンが一番好き?
一つ何かを答えるたびに豊かな反応で続きを迫る彼らに、大野の表情もしだいに明るくなっていく。
「俺、折原 大輝!俺もサッカーとか見るの好きでさ、大野は好きな選手とかいる?」
不意に投げかけられた活発そうな背の高い男子の質問に、大野の目が一際強く輝く。
……本当に何もかもが杞憂だったみたいだ。
再び鳴ったチャイムの音で渋々解散することになってしまったが、思いのほか家も近いらしいことが判明したこの少年とはこの先長く行動をともにすることになった。
「ほら、早くしないと置いていくぞ要!」
門出を祝う桜も緑の葉ばかりが目立つようになってきた頃、休み時間の開始とともに走り出した大野はもたもたと準備をする少年に振り返って叫んだ。
「ごめん、けんいちくん。これ準備したらすぐ行くから……!」
「どうせ要は後から来るって。それより早く行かねーと場所取られちゃうぜ、大野!」
「そうだな……じゃあ行くか、折原!」
先日の少年はニカッと笑うと、数人のクラスメイトを連れて二人は校庭へと急ぐ。
前とは違うことや知らないことに驚くことも多いが少しづつ慣れ始めたこの生活に、大野は満足していたのだった。