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白山小梅
12
#借金
1,754
* * * *
慌てて着替えを済ませ、手に握っていたスマホで瑠維に電話をかけながら、社員用の通用口に向かう。
『はい』
コール音が鳴らないうちに通話状態になったため、春香は驚いて足を止めてしまった。
「あっ、佐倉です。今どこにいるかなって思って」
『通用口にいます』
そう話しながら通用口を出た途端、春香はとてつもない安心感に包まれた。通用口前の通路を挟んだ真正面に立っていた瑠維は、スマホを耳に当てたまま春香に向かって頭を下げていたのだ。
昼間に会った時と同じ服装だったのですぐに見つけられたが、あの時と違うのはここが人通りの多い場所のため、多くの女性が彼をチラッとみなが通り過ぎていくこと。さろ
春香も昼間にドキッとしたくらいだ。気持ちはよくわかる。これからこの人と並んで帰るのだと考えると、少し気が引けてしまう自分もいた。
大丈夫、ただ送ってもらうだけーー春香はスマホを下ろすと、瑠維の元まで駆け寄っていく。
「よく場所がわかったね! あまりにもざっくり伝えちゃったから電話しようと思っていたの」
「あぁ、近藤先輩に教えてもらいました」
「椿ちゃんに?」
瑠維は頷くと、スマホの画面を春香に見せる。そこにはこの辺りの地図に、通用口の場所をまるで囲われたスクリーンショットが映されていた。
時々心配だからと、仕事帰りにここで待ち合わせをしたことを思い出し、椿らしい丁寧な説明の仕方に思わず吹き出してしまう。
「ところでお店は決まりましたか?」
そう聞かかれて、春香は首を傾げてからハッとしたように口を開けた。
「あっ、忘れてた。あの……君は何か食べたいものはある?」
よく考えてみたら"瑠維"という名前しか知らず、苗字がわかないからといって下の名前でよんでもいいのかもわからず困ってしまう。
春香の気持ちが伝わったのか、
「すみません。ちゃんと挨拶をしていませんでしたね。|君島《きみじま》瑠維です」
「あぁ、そうなんだ! じゃあ君島くんって呼べばいいかな?」
「……良くないですね」
「ん? じゃあなんで呼んだらいいの?」
瑠維は口を閉ざし、春香をまっすぐに見つめた。少し口元が緩んだ気がしたが、一緒でキュッと結ばれる。
「高校の時から知っていますし、下の名前で呼んでください。」
「そうなの? じゃあ……瑠維くん、何が食べたい?」
しかし名前を呼ばれた瑠維は目を閉じて下を向いてしまった。
「瑠維くん?」
「いえ、なんでもありません。ちょっと目にゴミが入っただけです。もう取れました」
「本当? 目洗う?」
「いえ、それよりもそろそろ行きましょう。この場所は人が多いですし。先輩こそ、何か食べたいものはありませんか?」
「……実はカレーうどん気分。駅方面の道から一本入ったところにうどん屋さんがあってね、そこのが絶品なんだけど……」
「いいですね。そこにしましょう」
春香は心が弾んだ。食べたいと思っていたものが食べられるというのもあるが、帰り際にあの男性客に会ってしまっても、誰かがそばにいてくれれば不安にならずに済むに違いない。
あの時に彼が強引に押してくれたことに心から感謝した。でなければ、今も一人でとぼとぼと帰路についていたことだろう。
久しぶりに穏やかな気持ちになり、足取りも軽く二人はうどん屋に向かって歩き始めた。
皆が同じ方向へあるいていくので、二人はその人の流れに乗ってグイグイすすんでいく。しかし途中で春香が瑠維の腕を引っ張って、脇道に入った。
そこはメイン通りとは違い、暗闇に飲食店の看板が輝く一角にその店はあった。
ビルの一階部分の昔ながらの雰囲気のうどん屋からは、出汁のいい香りが漂う。春香が引き戸を開けて中へ入ると、瑠維もそれに続いた。
店の中は仕事帰りの会社員たちがひしめき合っており、どちらかといえば一人で来ている人が多く見られる。
「いらっしゃいませー。何名さま?」
レジカウンターにいた割烹着に三角巾姿の六十代くらいの女性が、笑顔で二人を迎えた。
「二人です」
「じゃあ奥の二人席でいい?」
「大丈夫です」
テーブルの間の細い通路を進みながら、壁際の二人席に座る。慣れた手つきでお品書きを開き、瑠維の前に差し出した。
「瑠維くんは何がいい?」
「……そうですね。じゃあ天ぷらうどんとカツ丼で」
それを聞いた春香は驚いたように目を瞬かせる。
「良く食べるね。昔からそうだった?」
「あの頃は剣道やってましたから、むしろもっと食べてました」
「そうなの? そっか……教室にくる瑠維くんしか知らないから、なんか新しい発見みたいで面白いね」
その時、女性が水の入ったグラスをお盆に載せてもってくる。
「お決まりですか?」
「えっと、カレーうどんと、天ぷらうどんと、カツ丼をそれぞれ一つずつお願いします」
「はーい、じゃあお待ちくださいね」
春香がお品書きを閉じると、二人は同時に水のグラスに手を伸ばした。
半分まで水を飲んでから、春香は瑠維の顔を見上げる。
「あの……今日は来てくれてありがとう」
瑠維は春香と目が合うと、気まずそうに下を向いた。
「いえ、見過ごせない案件ですから。全てではありませんが、近藤先輩から話は聞きました。実害が出ているわけではないですし、なかなか難しい問題ですね」
椿が話してくれたと聞き、春香は少し安心した。今からまたあのことを話すのは気持ちがのらなかった。
「そっか。椿ちゃんが話してくれたのなら安心だ」
「あの……少し話を聞いてもいいですか?」
「その人のこと? なんていうか、食事には誘われたけど、それ以外に何かされたわけではないんだ」
「でも待ち伏せされてますよね」
「それは……」
ただの偶然だと思い込もうとしている自分がいる。そうすれば大事にはならないし、いつかはまた何事もない日が戻ってきて、ただの勘違いだったで済ませられるはずーー。
「その人が現れる日に、何か共通点とかはないんですか? 例えば曜日が決まっているとか、時間が同じとか」
瑠維は引く気はないようで、自己紹介をした時と同じテンションで話し続けている。今日再会したばかりの先輩にこんなに親身になってくれることは、本当はすごくありがたいことだとわかっている。それでも重たい口がなかなか開かなかった。
春香が顔を上げると、瑠維はじっと春香を見つめている。その目を見ていると、高校生の時に戻ったような感覚に陥った。
高校生の頃、春香が博之や友人達と話していると、瑠維が話しかけるタイミングを窺うようにそばにいることが多々あった。表情を決して変えることはなく、無表情のまま話を聞いている。
そんな時、春香は瑠維と目が合うことがあった。真っ直ぐで真剣な眼差しについ引き込まれそうになる。ただその途端に、瑠維の方が目を逸らすので、ハッと現実に引き戻されたのだ。
なんだかその時の目に似てるかもーーそう思うと、彼の想いが決して軽い気持ちではなく、真剣なものであると察することが出来た。
でも私なんかのために……見た目通り、中身も真面目タイプなのかしら。
春香はため息をつくと、諦めたように口を開く。
「曜日はまちまちなの。だけど時間は……私が帰る頃だからほぼ同じかな。まぁ定時以降なら、帰る時間は調整出来そうだよね」
「確かにそうですね。話しかけてくる場所はどうですか?」
「うーん……駅のそばが多い気がする。改札に入る前の通路でバッタリあったり、声をかけられるの」
その時、
「はい、カレーうどんと天ぷらうどんとカツ丼ね!」
と頼んでいたものがテーブルに運ばれてくる。
二人は顔を見合わせ、とりあえず先にお腹を満たすことにした。
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