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つい最近まで、全然小説を書いていませんでしたね。復帰作みたいなものでしょうか。
単純に仕事が忙しいのと、とある鯨人達にハマってしまいそっちの推し活に力入れてたのもあります。あとあまり読まれなかったのにもショック受けてたのもあるかな。文才も語彙力もないもんね俺。
さて、全く関係のない前置きは置いといて、今回なぜ筆を取ろうかと思ったわけですが、最近とあるタレントが自殺してしまいましたね。
名前は伏せさせていただきますが。
まあ、あれだけ死ね死ねTwitterで言われていれば誰だって死にたくもなりますよ。俺だってそうだ。
しかしですね、俺自身、このニュースを聞いて考えたんですね。
自殺したくなる気持ち、いわゆる希死念慮について。
自分自身、このタレントと年が近いんですね。なので今回の自殺はかなり身近に感じたんですよ。自分も自殺未遂の経験が何回かあるんでね。ちょっと語らせてくれ。
そもそもなぜ希死念慮、自殺したい、死にたいという気持ちが現れるのか、俺なりの意見だが、人間ってそもそも少しでも楽な方へ考えがちだと思うんだ。どういう場面でもそうだと思う。ちょっと言葉にできてないな。うん。
自分でも解決できない、やりようがない、やらかしたとか、もう何も解決方法がない時に、ああもう死んでしまいたいと考えることはないだろうか。それもれっきとした希死念慮と言える。
また、何かしらの場面で絶望したり、誰かに、またSNS上でのトラブルに対して、もう死んでしまった方がいいのでは?自分は死んだ方が良いのでは?と考えることもまさに希死念慮と言えるのではないだろうか?実際、後者に関しては俺も経験がある。
少し自分語りをさせて頂こう。
俺は以前、自殺未遂をした経験がある。一昨年、昇進試験を受けたのだが、落ちてしまった。他のメンバーが受かっていく中自分だけが落ちた。それがわかった日、俺は会社の更衣室で首に充電コードを巻いて死のうとしていた。
希死念慮を抱いたのだ。
所謂、自殺未遂というやつである。
もちろん死ぬことは出来なかった。
その後、適応障害、境界知能、自閉症スペクトラム疑いなど、いろいろな診断が下った。
もちろん、希死念慮とは今も戦い続けている。
自分で死を選び、自ら手を下す。どれだけの覚悟がいるのか、安易な気持ちで死を選んだ自分にはあのタレントの最期の苦しみが想像できない。したくない。したら自分もまた、死を選んでしまいそうだったからだ。
少なくとも、今俺は10人以上いる推し達と暮らしているから幸せではあるだろう。だが、それでも希死念慮は消えないのだ。
つまり、こんなに長々書いておいてなにが言いたいのかというと、どんなに幸せでも一度希死念慮を抱いてしまうと永遠に戦い続けていかなくてはならなくなるのだということ。
今回、亡くなったタレントさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
レイン。