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(やっぱ、あん時……キスしときゃよかったか)
豪雨の中開かれた葬式には、職場の同僚や、空の高校時代の教師、同級生なども参列していた。
そいつらは俺を見るなり、可哀相な目を向け「大丈夫だからな」、「彼奴はいい奴だったよ」何て励まそうと必死になっていた。その姿が滑稽で、そう思われ心配している俺はさらに滑稽だった。
旅客機の墜落事故。
数日前に仕事の兼ね合いで飛行機に乗ることになった空は、数日後には戻ってくると笑顔で出て行き還らぬ人となった。死者は国内だけの移動ということもあってそこまでいなかったが、大きな事件となり、原因は何だったのか、事故が起らないように事前に防げなかったのかと今現在メディアは旅客機の墜落事故の話でてんやわんやしている。見るのも辛くて、俺は新聞もテレビもつけずにいた。それよりも、空の母親から呼び出されたり、家に戻ったりと忙しく、しっかりと事件のことを終えていなかった。頭がついていかなかったと言っても過言ではないだろう。
誰よりも空を愛し、冗談だったんだろうが「死ぬなら空の上で死にたい」と言っていた男が、翼を折られ墜落死するなんて本当に笑えない冗談だと思った。
空が乗っていたとして、墜落を防げなかったのか……という話になってくると別である。何でも、最近過激派宗教団体が動いているという噂も耳にするし、マフィアのこともまだ絶えない。まあ、結局何がどうだったのかは、闇の中である。
分かったところで何か出来ることがあるのかと聞かれれば何もないだろう。
もし、犯人がいたとしたらそいつを捕まえてぶん殴るだけ。
カサカサと荒れた唇を弄りながら、俺は飾られた遺影を見る。バカみたいに笑っている空は、その長方形の四角におさめられるには早い気がした。あまりにも若すぎるし、似合っていない。
止まない雨が、アスファルトを叩く音が、耳から離れなかった。喧嘩したあの日も、こんな風に雨が降っていたなあとぼんやりと考えていた。
突然の死。
帰ってくると思っていたのに、帰ってこなかった親友。
「ハッ、マジで『親友』のままでよかったな」
乾いた笑いとともに、本当によかったと何処か安心している自分がいる。
あの時流れで「恋人」になっていたとしたら、どうなっていたか。きっと取り返しのつかないことになっていた。残されたくない。明智のようになりたくないとも思っていた。
だから、あれでよかったのだと「親友」でいることを選んだのは正解だと自分に言い聞かせた。その行為はただ愚かで、ただただ虚しいものだった。
年中無休で喪服だった彼奴と同じ、真っ黒な服に身を包んで淡々と執り行われる葬式を、お経を聞いている間、俺は何度も空の名前を心の中で呼んでいた。
そして、最後に棺桶に入った空を見たとき、俺は何を思ったんだろうか。辛いから、何も思わないようにしたんだろうか。空の親族の前では泣いてはいけないと思った。でも周りから見れば心もない奴だと思われたかも知れない。一番の親友だと周りに公言していたせいで、俺が泣かないことに不審がる人もいた。
「澪」
名前を呼ばれ振返れば、そこには姉ちゃんがいて、喪服に身を包んだ姉は俺の腕を掴むと大丈夫かと、親しい人が化けて出たような顔で俺を見た。
そんなに酷い顔をしているのだろうかと、鏡は無い為確認しようがないがそんなはずないと俺は姉ちゃんを見る。
「何んだよ?」
「……澪、アンタ」
姉ちゃんはそこで言い淀む。
きっと俺と同じで、俺の事を考えて何て言葉をかけるべきか悩んでいるんだろう。俺の家系は頭よりもまず身体が動く奴が多い。だから、直感的に、心にしたがって動き、でも何て声をかけるべきか分からなくなることが多い。姉ちゃんも例外ではない。
周りの悲壮感に居場所などないと隔絶された俺は、姉ちゃんの言葉を待った。
「無理、してるんじゃないか?」
「してねぇし……何か、もう慣れちまったというか」
「澪!」
慣れたなんて口では言うけど本心ではない。
ガッと姉ちゃんに肩を掴まれ、ミシりと骨が軋む音がした。相変わらずの馬鹿力だと思いながら苦痛に顔を歪めて、姉ちゃんを見れば申し訳なさそうなかおをしていた。だが、その手を離す気はないようだった。
「離してくれよ。今は、一人でいたい。『親友』をちゃんと見送ってやりてぇんだ」
「……アンタ達はそうあることを選んだんだ」
「そうあるって、何だよ」
姉ちゃんの言葉に引っかかりを覚え、突っかかれば、姉ちゃんは眉間にシワを寄せた。
それから、姉ちゃんは呆れたとでも言うようにため息をついた。
行動がいちいち理解できずに、俺は頭痛を覚えた。今は、空の事を考え、空の事を考えないようにしたいのに。矛盾を抱えながら、どうにか意識の外に恋心を追いやろうとしている。彼奴との思い出だけを抱えて、現実を受け止めようと。いいや、まだ受け止めきれていないからこそゆっくりと現実を租借しているのだ。
しかし、姉ちゃんはそのまま続けた。
「アタシ、知ってんだよ」
「だから、何を」
「アンタの友達が空君の前に、二人死んでること。そこで、アンタ泣かなかったこと、アタシ知ってるんだから」
握られた姉ちゃんの拳は震えていた。
怒りに耐えているのか、悲しみに耐えているのか分からない表情で俺を見る。俺と同じ、赤い瞳が俺をしっかりと映した。
「アンタと仲がよかったって言う、警察学校時代の同期の子のことも、アンタが苦手そうなのに仲良くなった亜麻色の髪の子も……空君も。私、見たことがあるんだよ。アンタは、そこまでアタシ達に話さなかったかもだけど、偶然街で見かけたんだ」
「……」
「アンタすっごく楽しそうな顔して、中学生ぐらいの男子みたいなバカやって楽しい、みたいな顔してた。凄く、空君含めた三人のこと大事だったんでしょ」
と、姉ちゃんは言う。
本当に何処で見られていたんだと思うぐらいに、しっかりと特徴も言って、姉ちゃんの言っていることが嘘ではない事が分かった。
だが、それを言って何になるのだろうかと。
確かに、家に喪服を取りに行くために戻ったことはあったが誰の葬式とも、まず鉢合わせないように、顔を合わせても喪服を持って出ていくことをバレないよう配慮した。なのに、何故あの神津と明智が死んだことを知っているのだろうかと。
「アンタは隠してるつもりだっただろうけど、こっちは全部知ってんだからね。知ってて何も言わなかった。そりゃあ、面識がなかったからさ。でも、弟であるアンタによくしてくれた友達とあれば、葬式にも通夜にも出ただろうね」
「何が言いたいのかさっぱり、俺にはわかんねぇ」
そういえば、姉ちゃんは「だから」と続ける。
今度こそ、俺は言葉を失った。
姉ちゃんは泣き出しそうな、でも泣くまいと堪えるような声で言った。
俺よりも辛くて、苦しくて堪らないと言うように。俺はその言葉をただ聞いていることしか出来なかった。だって、その通りだったから。
「アンタが泣かなかったの、腹立ったの。アンタが泣き虫なこと知ってるから」
「ああ……」
そんなことか……と俺は視線を逸らした。
神津の時は、明智が一番悲しいだろうと思って泣かなかった。明智の時は、空が悲しむだろうと思って泣かなかった。今回、空の時は、空の家族に申し訳ない気がして泣かないと決めていた。
涙が枯れた非情な人間ではない。ただ我慢しているのだ。
それを真っ正面から指摘され、俺は面倒くさいと思った。姉ちゃんの熱いところは俺も似ているし、逆の立場だったら言っただろう。だが、この立場だからこそいって欲しくなかった。泣きたい気持ちでいっぱいなのを、どうにか溢れないようにそっと抱いているのだから。
「ああって、アンタが無理してるのを見るのがこっちは辛いの。アンタ達は『親友』であることを選んだかも知れない。でも、アンタは後悔してるんでしょ」
「後悔……?」
「それだけじゃない。もっと色々沢山、後悔してもしきれないぐらいにいっぱい」
と、姉ちゃんは必死に言った。姉弟喧嘩でもしているのかと白い目で見られたが、姉ちゃんは止らなかった。
姉ちゃんの言うとおり、後悔など数えだしたら止らなかった。
神津の時も、明智の時も、空の時も。
沢山後悔してきた。かけたい言葉、気づけばよかったこと、しておけばよかったこと……そんなの数えだしたら切りがない。沢山後悔して、我慢して、前を向こうと泣き虫な自分を殺そうとした。でも――
「――後悔なんていっぱいしてるに決まってんだろうが!」
俺は叫んだ。
塞き止めたものがあふれ出したように、あの喧嘩の時よりも酷く感情があふれ出す。
「当たり前は当たり前だと思っていた、ずっととか永遠もあるものだと思っていた。でも現実はあそんな甘くなかった。あの時、神津とダチになれてよかったとか、明智のいつもと違う様子に気づけばよかった、空をもっと抱きしめて、キスすればよかった。本当はなれるのなら恋人にだってなりたかった! 俺は、俺は……何で俺だけ置いていかれなきゃいけないんだよ!」
それは、ずっとずっとしまい込んでいたものだった。
出てくるなと釘を刺していたもの、だがそれが一気に決壊して、止まることなく流れていく。
空がいなくなった事実を受け止めきれていないのは自覚している。
もう会えないと分かっている。
でも、認めたくなくて、受け入れたくなかった。
だから、こんなにも苦しいのだ。
空がいないことが、こんなにも寂しい。
神津に言えなかった言葉を後悔してる。明智の変化に気づいていればもっと頼って貰えたかもと後悔している。彼奴らにかけたい言葉は沢山あった、伝えたい思いも沢山あった。でももう何も届かない。
俺を置いて三人とも逝っちまった。
泣かないと意地を張っていたくせに、叫び散らかした後には涙で視界は歪み、目からも鼻からも水が洪水のように流れ出ていた。それは止ることもなくて、俺は親とはぐれてしまった子供のように泣いた。
「アンタは、無理に我慢しなくていい。誰かが悲しむから泣かないとか、そんな頑固にならなくて良い。元々アンタは、格好悪いから。格好つけなくていい。澪、泣けば良いんだよ」
ギュッと正面から姉ちゃんに抱きしめられ、周りの目なんて気にせず俺は年甲斐もなく泣いた。
溢れた思いは止らなかった。でも、それをすくってくれる人はもういない。
「空ぁ、空ぁああ――――ッ!」
俺はその日、火葬が終わるまで泣き続けた。赤く目は充血し腫れ、声もからからに枯れてしまっていた。
雨は優しく、静かに降り続けていた。