そういえばこいつのポケモンもチラーミィだった。
忘れていた。
それにしても、今日はよく会うな。
会いたくないのに。
「チミィ、おいで」
チーノが眉間に皺を寄せながらチラーミィを呼んだ。
チラーミィはご主人が現れて嬉しそうに尻尾を振りながら駆け寄っていった。
「離れたらあかん言うたやろ、誰にでもすぐ懐いてまうんやから」
チーノの腕の中に戻ったチラーミィはよく分かっていないのか、笑顔でチーノを見上げていた。
「お前か、チミィをたぶらかしたんは」
チーノがこちらをキッと睨んでくる。
「たぶらかしてなんかないわ。ちゃんと見てない自分が悪いんだろ」
フン、と視線を外せば、チーノは押し黙ったままだった。
言い返してこないなんて、珍しい。
そう思ってチラッと視線を戻せば、チーノは無表情でこちらに近付いてきた。
そして机の上にあった問題用紙を手に取り、
「自分こんなんも分からへんの」
煽ってきた。
「勝手に見るな!」
取られた問題用紙をサッと取り返す。
「基礎の基礎やん。そんなんも分からんでよう俺と勝負しよう思ったな」
先程までの焦った様子とは打って変わって、飄々とした態度で見下してくるチーノ。
雪乃は赤ペンだらけの問題用紙を握りしめ、悔しそうに表情を歪ませる。
「しょうがないだろ、勉強なんてしてこなかったんだから!」
感情に任せてそう言い返せば、チーノは不思議そうな顔でこちらを見た。
「じゃあここ入るまで何してたん?」
あ、と雪乃は言葉を失う。
墓穴を掘った。
確かに、普通なら小学校とか行くのかもしれない。
それなりに勉強しているものなのかもしれない。
この学園に入学するなら、尚更。
「…別に、何でもいいでしょ」
「ふーん、ま、ええけど」
チーノはチラーミィを抱き抱えながら、眼鏡を押し上げる。
「どうせ草凪先輩が教えてくれるから、甘えてたんやろ」
その言葉に、雪乃は思い切り机を叩きそうになって、やめた。
怒りよりも、悲しみの方が強くなった。
ギュッと握りしめた拳を下ろして、俯いた。
「…春翔は、関係ない」
チーノは驚いて、目を見開いた。
机でも叩き割るのかと思ったら、急にしょげて泣き出しそうな声を出すから。
あ、と口を開きかけて、やめる。
出かかった言葉を、飲み込む。
謝るのは、おかしいと思った。
「………」
「…おい」
俯いたまま喋らなくなった雪乃の頭を、指先で小突く。
反応はない。
無視して立ち去ればいいものの、それも出来ない。
何故ならこいつは草凪先輩の妹だから。
困った、と頭を悩ませていると、抱えていたチラーミィが雪乃を見て、
「ちーららぁ」
よしよし、とそのふわふわの尻尾で頭を撫でた。
雪乃はその感触に、顔を上げた。
「おい、消灯時間だぞ」
そんな第一声と共に突然現れたのは、教師の林田だった。
どうやら林田もこの合宿に来ていたらしい。
「何してんだお前ら、こんな時間まで」
気だるげな林田はタバコをふかしながら2人を見る。
「僕は風紀の見回りです。彼女が残っていたので早く部屋に戻るように催促してました」
ニコッと笑顔を作り、滑らかな口調でそう返すチーノ。
雪乃はその態度の豹変と嘘にチーノをジト目で見上げた。
「…そうか、おつかれ。とりあえずお前も早く部屋に戻れ」
そう言われ「失礼します」と軽く頭を下げ、チーノは教室を出ていく。
「残って勉強してたのか」
教室を出たチーノは、廊下を歩きながら背後から聞こえてくる林田の声に耳をすませた。
そばに来た林田を見上げながら、雪乃が何か言っている。
遠ざかっていく2人の声に歩きながら後ろを振り返ると、林田が雪乃の頭に手を置く瞬間が見えた。
それを最後に、2人の姿は見えなくなった。
「………」
「ちらぁ?」
チーノは何も言わず、チラーミィの頭を撫でながら薄暗い廊下を1人、歩いていく。
月明かりがほんのり、2人を照らしていた。