テラーノベル
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オフィスの窓から見上げた空は、高く青く雲はなく絶好の受賞式日和だった。
宵の灯屋のテーブルで向き合ったのは、まだ夏と秋との境目の日曜日の朝のことで、暖人はパンケーキを黙々と食べて時々空を見上げていた。
『晴れの日っていいですよね』
初めて聞いた暖人の声は、とても落ち着いていて結は驚いたものだった。
「代表、そろそろお時間です」
扉が開いて顔を覗かせた工藤が言う。結は頷き襟元を整えて、胸元の恩師から贈られたあのブローチに触れた。
会場には既に大勢の人が集まっていて、結は暖人と夏夫の姿を見つけると二人の側へ歩み寄って声をかけた。
「こんにちは。暖人さん」
「こんにちは。結さん」
暖人は緊張している様子はなく、いつもどおりの笑顔を結に向けてくれた。
「こら暖人。代表と呼びなさいと何度も言っただろう」
夏夫が暖人の肘の辺りを軽く掴んで言う。
「いいんですよ。呼び方なんて気にしませんので。ね、暖人さん」
「はい、結さん」
眉間に皺を寄せながら、夏夫はすみませんと頭を下げ結は軽く首を振った。
「それよりお願いしていたことですが」
毎年授賞式では、受賞者からひと言挨拶をしてもらうことになっていた。例外なく、暖人にも挨拶してもらえないかと頼んでいた。
「まあなんとか。短い挨拶ならできそうです。暖人、挨拶の練習をしたよな?」
夏夫が聞くと暖人はどこか自信がある面持ちをして、大きな声で言った。
「大丈夫です。できます」
暖人の元気な声に安心して、ステージの裾まで戻り、後ろを振り返ったとき結ははっとした。暖人たちの側に翠が来ていた。
黒いロングドレスを着て、髪を一つに結上げていた。暖人に何か話しかけている姿は、離れてところから見ても華があった。結にはそう見えた。
時間通りに授賞式は始まり順調に進んでいく。受賞者一人一人に、主催者で会長の小塚貴一から賞状と副賞が手渡された。
「続きまして本年度グランプリに選ばれました日下部暖人様のご挨拶です。暖人さん、お願いします」
結が暖人に呼び掛けて、ステージに上がるように促した。そのとき翠と目が合うと、翠が軽く頷いて暖人に声をかけて背中を押した。
一段、 一段ゆっくりステージに上がり、結のところまで来てくれた暖人にマイクの前を譲った。
「日下部暖人です」
大き過ぎた暖人の声に、マイクからキーンという耳障りな音が出て会場がざわめく。
マイクの音に暖人は耳を塞ぎ、身体を微かに前後に動かして、動揺してしまっている。
結が暖人の側に駆け寄ろうとしたとき、黒い人影が動くのが視界に入った。
気づけば翠がステージのすぐ近くに来ていて、暖人を見上げて手を振っていた。それに気づいて暖人が翠の方を見る。
「ゆっくり話せば大丈夫。暖人ならできる」
囁き声で言い、大きく深呼吸をする仕草をすると、暖人も真似をして深呼吸を繰り返す。翠が頷くと、再びマイクの前に立った暖人は真っすぐ前を向いて話し出した。
「日下部暖人です」
今度はキーンという音はしなかった。暖人は続ける。
「僕は絵を描くことが好きです。これからも見てくれる人に喜んでもらえる絵を描きたいです。今日はありがとうございました」
暖人がお辞儀をすると、会場に温かい拍手が沸き起こった。挨拶がうまくできた達成感から満面の笑みを浮かべて、翠と夏夫のところ戻っていく。手にした賞状を誇らしそうに二人に見せていた。
受賞式の間、暗かった会場に灯りがつくと、結がマイクの前に立って丁寧にお辞儀をした。
「これよりささやかではありますが、軽食をご用意しておりますのでお楽しみください。なお午後十七時より一階のロビーにてクリスマスツリーの点灯式を行います。そちらもぜひご覧になってください」
ステージの袖に戻ってきた結は客席を見ると、夏夫に頷き暖人と笑っている翠の顏が見えた。
翠の顔を見るのは、あの雨の夜以来だと思うと結の胸は疼く。降り出した雨の中でキスしてほしいと願った。紅く艶やかな翠の唇を、いっそう結の方から奪いたいと思ったくらいだ。こんなにも我が儘に、何かを欲しいと願ったことは初めてかもしれない。
翠たちのところへ向かおうとしたとき、後ろの扉が開いて一人の男が会場に入って来るのが見えた。
コメント
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「翠が暖人さんに手を振って深呼吸を促す場面、すごく印象的でした。あの優しい所作ひとつで、結さんが『翠の顔を見るのはあの雨の夜以来』と胸を疼かせる流れ——もう本当にもうっ。キスしてほしいと願った日の記憶が、暖かな授賞式の空気の中でふとよぎる切なさがたまらないです。グランプリおめでとう!という晴れやかさの裏に、結さんの恋心がじわりと滲む構成が素敵でした。」
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