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ユカリは合切袋をしっかり握って少女に問いかける。「あなたパピなの?」
その少女は無理に歪ませたような笑みを浮かべる。
「ご明察。よくも霊薬を台無しにしてくれたね。せっかくユーアを救う機会を潰してくれちゃってさ。僕、絶対にお前を許さないから」
「レンナを助けたことに後悔はないし、私はユーアを助けるつもりでいる」向かい風に逆らうようにはっきり言って、ユカリは一歩進む。「それに、あのまま霊薬を飲ませてユーアの声を取り戻せていたなら、パピ、もしかしたら君たちは消えていたかもしれない」
「は?」少女の顔が忌々し気に歪む。「何言ってんの? 何で僕たちが消えるわけ?」
ユカリは暗闇の向こうに潜む獣を見出す時のように、真っすぐに少女の目を見つめる。「だってあなた達はユーアの中にいるんでしょう?」
少女の眉間に皴が集まる。
「何でお前がそれを知ってるんだよ」
「心当たりがあったんだよ」
ユカリはクチバシちゃん人形が零した言葉を思い出す。気が付けばユーアの中にいた、というあの言葉を。
しかし心当たり、というか糸口になったのはそれだけではない。時々見る不思議な夢に出てきた『心の中に友達のいる少女』を思い浮かべる。自分自身にも覚えがある。そのようなことがある、とユカリは知っていた。
「ああ、そういうことか」とビゼは呟く。「心に傷を負った者の中には稀に複数の人格を宿す者がいるという。ユーアはそれだと?」
「はい。私も聞き覚えがありました」どこで聞いたのかユカリは覚えていない。あるいは前世の記憶かもしれない。
「ただ、私の記憶によれば、別の人格が現れるというよりも、元の人格が複数に別れるという話でした」
パディアは不思議そうに確認を求める。
「それって、つまりパピたちは全員ユーア自身ってことなの?」
ユカリはしっかりと頷く。
「そういうことです。具体的にどういう仕組みなのかは分からないけど」
少女の瞳に湿り気を帯びさせて、パピはユカリに問いかける。「じゃあ、僕たちは消えなくちゃいけないのか?」
しかしユカリに応えられることはない。「分からない。ユーアがどうすべきなのか、あなた達がどうすべきなのか。どうすれば本当にユーアの幸せに繋がるのか」
少女の中のパピは気勢を失って、考え込む。するとユカリの合切袋の中からクチバシちゃん人形が怒鳴る。
「嘘つくな! パピも騙されるんじゃねえ!」
「何だよ。お前が話したのかよ」と少女が忌々し気に呟く。「嘘なもんか。僕たちがユーアの中にいることは本当じゃないか」
「そうさ。だが、あたしたちは役割があってユーアの中に生まれたんだ! ユーアの願いを叶えるのが先だろ!」
まだ腰を抜かしている他の客たちは人里で滅多に見ることのない魔性でも見かけたかのように、怒鳴り散らす合切袋の中の人形に釘付けになっている。店にやってきた少女の方はまるで意に介していない様子で当たり前に会話している。
少女は魂を抜かれたような表情で呟く。「まあ、いいや。ユーア自身が優先だろ」
「ちょっと待って」どこかへ行ってしまいそうな少女の中のパピをユカリは呼び止める。「クチバシちゃん人形、ユーアに返してあげて?」
合切袋からクチバシちゃん人形を取り出そうとするユカリに、抑揚のない声音で少女は言う。「それは自分で返しなよ」
少女の表情がまるで別物になる。パピの操る力が失われ、ただの少女が戻ってきたのだ。
困惑する少女にユカリは駆け寄る。
「大丈夫? どこも痛くない?」
少女は視線を彷徨わせ、頷く。食堂のことはビゼとパディアに取りなしてもらい、ユカリは少女を連れて店の外で待つ。
少女が落ち着くのを待ってユカリは尋ねる。「名前を聞いてもいい?」
少女は恥ずかしそうにもじもじしながら答える。「えっと、あたし、メア」
ユカリはあまり強圧的にならないように質問を続ける。
「こういうことは何度かあったの?」
メアは勢いよく首を横に振った。
「ううん、今日が初めて。話には聞いてたけど」
「話って? パピのこと?」
「えっと、ショーダリー様の教えで。神様が心にいらした時は身を委ねなくてはならないって。そうしないと神様を怒らせてしまうって」
グリュエーが耳元で囁く。「ショーダリー、生きてたんだね」
思い返せば迷宮都市ワーズメーズでショーダリーは体を操られて連れて行かれたのだ。
「なるほどね。卑怯な手段だけど、子供たちに勇気を奪う魔法を使われるよりはまだましか」ワーズメーズで聞いた地獄から響いてくるようなショーダリーの叫びをユカリは今も忘れられなかった。「ショーダリーはどこにいるの?」
「幸せの国」とメアは答える。
「え? どこ?」
メアは気まずそうに辺りを見回してからユカリに耳打ちする。「えっと、聖市街のこと」
「ああ、ごめんね。あそこのことか。やっぱりそうなんだ」ユカリは丘の上の神殿を見上げる。ここから見てもあまりに大きな建築物だ。「あそこは、子供だけが出入りを許されているんだってね」
少女は頷く。「はい。あ、でもショーダリー様とネドマリア様は特別なの。二人は大人だけど自由に幸せの国を出入りしても良いの」
「そういえば門番がいたね。でも無理に幸せの国に入ろうとする大人なんているの?」
この国の子供たちを人質に取られては下手な反抗も出来ないはずだ。
「うん。一度、悪い魔法使いが盗賊たちを連れて、聖市街に泥棒に入ったって」
この国の子供たちと何の関係も無い悪人ならば、気にせずユーアたちに挑むということだ。既に魔導書使いだと目されているならば、そういうこともあるだろう。
「でもどうやって?」とユカリはメアに続きを促す。
「月も星もない夜に幸せの国ヘイヴィルの聖市街に三人の盗賊たちがやって来ました」少女は物語でも暗唱するように話す。「彼らは邪悪な知恵を巡らせて、それぞれに三つの手立てでもって侵されざる聖なる壁を超えようとしました。一人目の盗賊は正面の門から、勇ましき門番に眠り薬の入った酒を差し入れし、彼らが眠った隙に門を通り抜けようとしました。一人目の盗賊の考えていた通り、抗える者のいないお酒の力で門番たちは立ちどころに深い眠りに落ちました。しかし盗賊が神殿に入る暇もなく、門番たちはすぐに目を覚まし、その盗賊は捕えられ、パピ様に捻り潰されました。二人目の盗賊は悪賢い魔女に倣って空飛ぶ切り株に乗り、聖なる壁を乗り越えようとしました。しかし雲を割って天から眩い光が差し、すぐに兵士たちに見つかって、ケトラ様に踏み潰されました。三人目の盗賊は門とは反対の壁を破壊し、これは街に入ってしまいました」
しばらく待っても続きを聞けなかったのでユカリはもう一度メアを促す。
「それでどうなったの?」
「特に何もないよ」メアは肩をすくめる。「それ以来、誰も盗賊を見ていないって」
ユカリの首筋を恐怖が冷たい指でなぞる。ネドマリア、そしてヒヌアラがあそこにいるのだろう。盗賊たちは今も聖市街の中を彷徨い続けているのかもしれない。本当の話ならば、だが。
パディアとビゼが店を出てくる。
パディアは苦笑いをする。「お待たせ。幸い怪我人もいなければ、壊れた物もなかったわ。今後、この店には近づけないけどね」何か言おうとしたメアに先回りしてパディアは答える。「あなたのせいじゃないわ。気にしないで」
「さて、どうしたものか」とビゼが辺りを見渡す。「誰が人形遣いの魔法にかかっているか分からない。あれにかかっていると、体を操られていなくても盗み見されるのが厄介だね」
ユカリもビゼに倣って辺りを見回す。「この街は人の形をしたものが多すぎますね」
沢山の偶像が街角に安置されている。あれら全てに目と耳があると考えなくてはならない。
「裏路地で話そうか」とビゼが食堂の横の路地へ入っていく。
「ちょっと待ってください」とユカリは言って、クチバシちゃん人形を取り出す。「メア。ちょっとこれを預かっててくれない?」
メアは黙って頷く。クチバシちゃん人形は抵抗どころか、少しも動かずされるがままにメアの胸の中に納まった。
ユカリは皮肉っぽく微笑む。「そのまま捨てちゃえばいいのにって言わないんだね、グリュエー」
グリュエーはさやさやとユカリの頬を撫でる。「ユカリのしたいようにすればいいよ」
「グリュエーはしたいようにしなかったね。人形をどこか遠くへ吹き飛ばすとか」
「ユカリがして欲しくないことをしたりしないよ」
「風じゃなかったら抱きしめるのに!」
ユカリの全身を包み込むようにあちこちから風が吹きつける。