テラーノベル
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数日後。教室。昼休み。
いつも通り、遥は誰よりも早く教室に戻ってきた。
窓側の席でただじっと座っている──それしか、自分にできることはなかった。
空気は、変わっていた。
誰も口にしない。けれど誰も、目を逸らさない。
「……おい、見た?」
前方のプロジェクターが、不意に起動されたのは、そのときだった。
教師はまだ戻ってきていない。けれど、生徒たちはざわつき始めていた。
スクリーンに映し出されたのは、白地に黒文字の、簡素な匿名文だった。
「あいつら、やってるよ」
「守ってるふりして、共犯者。ああいうのが一番気持ち悪い」
「触ってるのも、見たことある」
「あいつが日下部に色目使ってるの、バレバレだった」
「ああいうの、共依存って言うんでしょ?」
「“かわいそう”に見せかけて、操ってるのはあっちだよ」
誰が再生したのかもわからない。
誰が流したのかも、特定されない。
それでもその“文”は、クラス全体に、十分すぎるほどの効果を与えた。
誰かが笑った。誰かが息を飲んだ。誰かがスマホを構え、誰かが目を逸らした。
そして遥は──動けなかった。
日下部が扉の外から教室に入ろうとした瞬間、空気が変わったのを彼も感じた。
誰も彼を見ない。だが、誰も無関心ではいなかった。
「あ……あのさ、日下部。ちょっと訊いていい?」
クラスのひとりが、何気ないふうを装って話しかけてくる。
「この前さ、屋上で遥と……ふたりだったの、何してたの?」
沈黙。
「別に、いいんだけどさ。気をつけたほうがいいっていうか。ほら、誤解されるとアレだし」
言葉はやさしい。だが、その内側には明らかに“確信”があった。
既に「何かあったこと」が前提として、周囲には共有されている。
遥が立ち上がろうとしたとき──日下部が、声を発した。
「……やってない。そういうことじゃない」
「えー、じゃあどういうこと?守ってるって言うけど、さあ……普通、あんなふうにする?」
静寂と嗤いが混じる。
この場の誰もが、“いじめ”ではなく、“空気”という形で彼らを切り離していく。
「てか、触ってたんだよね?この前」
「なんかさ、主従って感じ。ちょっと……こわいよね」
誰が言ったかも、わからない声たち。
──名前のない告発が、“かたち”になって広がっていく。
スクリーンは切られていたが、映像よりも強く、言葉が残っていた。
そしてそれは、遥の内部で──「自分が壊した」という認識をさらに深く焼きつける。
「日下部も……壊れてく」
遥は、心の中で、呟いた。
そのとき、ふと目をやると──教室の後方、扉の外に、蓮司がいた。
誰にも気づかれないように、壁にもたれて立つ彼は、ただ静かに笑っていた。
その笑みが、「ね、言った通りだろ」と言っていた。
遥は目を逸らすこともできなかった。
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