※もう少し整理させて。スルーOK。
【前提】
遥の心理は、「日下部の想像を遥かに超えて、複雑で歪んでいる」
日下部は、遥がどこかに「被害者としての脆さ」「人に踏み込まれるのが怖いという繊細さ」を抱えているのは、なんとなく理解している。
だからこそ――
優しくしすぎず、でも見捨てず
沈黙で寄り添う
距離感を読みつつ、急に触れない
というバランスを模索していた。
しかし、遥の核にあるものはそれよりずっと深くて、「自分が誰かを壊す存在だ」という自己加害的な信念。
これを日下部は想定していなかった。
そのため、今回の「沈黙によって守ろうとした」判断が、遥にとっては“決定的な加害”として受け取られてしまった。
【今回】
日下部が「ややこしくなっている」
これは、「遥の気持ちに寄り添おう」とした結果、選択肢がなくなっていく状態。
声を出せば → 遥を晒す(=「見んなよ」のトラウマを抉る)
声を出さなければ → 遥の脳内では「肯定」に変換されてしまう
見て見ぬふりもできない → 蓮司の行動は看過できない
遥のことが好きだから → 間違えたくない
結果的に、「どの選択肢が正解か分からなくなった」状態=ややこしくなっている。
【もし遥が見ていなければ、日下部は声を上げたか?】
遥の視線がなければ、「自分が被害を受けた」という事実をもっと率直に扱えた
守るべき相手がその場に“いない”のなら、蓮司に対して正面から怒りを出せた
「晒してしまうかも」という二重構造を考えずに済む
つまり、日下部は“遥のため”に黙った。
しかし、それは“遥の中では完全に逆効果”だった。
・この食い違いの本質
日下部視点
行動:黙る
意図:遥を傷つけないように/場を荒らさず収める
結果:遥を決定的に傷つけた
遥視点
行動:見てしまう/逃げる
意図:自分が“壊した”証拠だと受け取る
結果:自己嫌悪・絶望
このすれ違いを面白いととってもらえるかどうか……
補足:日下部の誤算
日下部は「遥は傷つきやすいが、守られれば回復する」と思っていた。
しかし現実は……
遥は「守られる=憐れまれる」と受け取りやすい
優しさそのものが拷問になる
「欲しかった」と思った時点で、自分は加害者だと感じる
→ この認識のズレこそが、日下部がまだ知らなかった遥の“核の歪み”。