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りた🤍☁️
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#闇
ruruha
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がびょ
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瀬名 紫陽花
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第1話『風の音を連れてきた青年』
午後の陽射しが、ゆるやかに町を橙色へ染め始めたころだった。
昼と夕方の境目。
まだ空には明るさが残っているのに、道の端には少しずつ長い影が伸び始めている。
町外れの細い路地裏。
人通りの多い大通りから一本、二本と道を外れていくと、やがて古い石畳の道へ辿り着く。
その先に、一軒の小さな喫茶店があった。
古い木造の建物を丁寧に改装した店。
瓦屋根の軒先には風鈴が吊るされ、風が吹くたびに涼やかな音を響かせている。
季節の花が並ぶ植木鉢には、小さな蝶が羽を休めていた。
木製の看板には、丸みを帯びた優しい文字で、こう書かれている。
――喫茶猫又亭。
引き戸には「営業中」の札。
そして、そのすぐ横。
小さな座布団の上では、一匹の黒猫が気持ちよさそうに昼寝をしていた。
名前はクロ。
この店の看板猫である。
……ただし。
普通の猫ではない。
クロがふと寝返りを打った。
ふわり。
二本の尾が揺れる。
けれど、店内にいた客たちは誰一人として驚かなかった。
いや。
気づいてすらいない。
この店では、人間には妖たちの姿が自然と受け入れられてしまう。
不思議な店。
けれど、不思議だからこそ居心地のいい店。
それが、喫茶猫又亭だった。
今日もまた。
誰かの悩みを乗せた風が、この店へ吹いてくる。
――ちりん。
扉につけられた鈴が、澄んだ音を響かせた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥から顔を上げたのは、この店の店主――たまだった。
白いブラウスに黒いエプロン。
肩まで伸びた栗色の髪。
見た目は二十代ほどの女性。
けれど、髪の間から覗く猫耳が風鈴の音に合わせるようにぴくりと動き、その背後では二本の尾がゆったりと揺れている。
たまは、いつものように柔らかな笑顔を向けた。
「どうぞ、お好きなお席へ」
客は一人の青年だった。
黒髪に白いシャツ。
ネクタイは少し緩み、ジャケットは肩へ掛けられている。
二十代半ばくらいだろうか。
整った顔立ちをしている。
けれど、その瞳だけはどこか遠くを見ていた。
疲れている。
そんな言葉だけでは足りないほどの、重たい空気をまとっていた。
青年は店内を見回す。
木目の温かなテーブル。
壁際には古い時計。
本棚には小説や絵本。
窓際には陽射しを浴びる観葉植物。
そして、どこからともなく漂ってくるコーヒー豆の香ばしい香り。
青年は、ほんの少しだけ足を止めた。
そのときだった。
窓辺に、小柄な少女が一人座っていることに気づいた。
白いワンピース。
膝の上には一冊の本。
少女はページをめくりながら、時折楽しそうに笑っている。
「ふふっ」
小さな笑い声。
青年は、なんとなくその少女を見つめた。
その笑顔が、この店によく似合っていると思った。
けれど――
青年が一度カウンターへ視線を戻し、再び窓辺を見る。
「……あれ?」
そこには誰もいなかった。
椅子だけが残されている。
青年は目を瞬かせた。
確かに、そこにいたはずなのに。
「どうかされましたか?」
たまが尋ねる。
「あ……いえ」
青年は少し困ったように笑った。
「さっき、あそこに女の子がいた気がして」
「そうですか」
たまは否定しなかった。
ただ、少しだけ笑う。
「この店は、時々そういうことがありますから」
「……そういうこと?」
「ええ」
たまは、それ以上何も言わなかった。
青年も深く聞かなかった。
なぜだろう。
普通なら不思議に思うはずなのに。
この店にいると、そんな小さな違和感さえ妙に心地よく感じる。
青年は再び窓の外へ目を向けた。
木々の葉が風に揺れている。
軒先の風鈴が鳴った。
――ちりん。
「窓際のお席、風が気持ちいいですよ」
たまが声をかける。
「……じゃあ、そこに」
青年は静かに頷いた。
窓際の席へ腰を下ろす。
椅子が、小さく音を立てた。
たまは木製のメニューをテーブルへ置いた。
「ごゆっくりお選びください」
「……ありがとうございます」
青年はメニューを開いた。
けれど、文字を見ているだけで、何一つ頭に入ってこない。
視線は何度も窓の外へ向かった。
しばらくして。
青年はメニューを閉じた。
「何か……おすすめ、ありますか?」
たまは少し考え、にっこり笑った。
「でしたら、『猫又ブレンド』はいかがでしょう?」
「猫又ブレンド?」
「少し苦めです。でも、心には優しい一杯ですよ」
「心に?」
「はい」
たまは楽しそうに笑った。
「この店では、そういうことにしているんです」
青年は一瞬きょとんとした。
それから、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……変わった喫茶店ですね」
「よく言われます」
二人の間に、小さな笑い声が生まれた。
それだけだった。
けれど。
青年の張り詰めていた肩が、ほんの少しだけ下がった。
「じゃあ、それでお願いします」
「かしこまりました」
たまが頷く。
「それと……焼きたてのシフォンケーキもおすすめですよ。今日は蜂蜜を少しだけ入れて焼いたんです」
「じゃあ、それもお願いします」
「ありがとうございます」
たまは嬉しそうに厨房へ向かった。
コーヒーミルを手に取り、豆を挽く。
ゴリゴリ、ゴリゴリ。
静かな店内に、豆を挽く音が響く。
やがてポットから湯が注がれる。
ふわりと豆が膨らんだ。
香ばしい匂いが、ゆっくりと店内へ広がっていく。
青年は、その香りをぼんやりと感じていた。
最近は、何をしても楽しいと思えなかった。
好きだったものさえ、見るのが怖かった。
それなのに。
この香りを嗅ぐとそんな事も忘れてしまう
やがて、たまがカップと皿を運んでくる。
「お待たせしました」
白いカップから、細い湯気が立ち上っている。
隣には、ふわふわに焼き上がったシフォンケーキ。
蜂蜜の甘い香りが、かすかに漂っていた。
「ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
青年はカップを両手で包んだ。
温かい。
冷えていた指先へ、じんわりと熱が伝わってくる。
ゆっくり一口。
「……」
苦み。
けれど、不思議と嫌な苦さではない。
少し遅れて、柔らかな香りが広がった。
「……美味しい」
思わず口からこぼれた。
たまは嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます」
青年はシフォンケーキにもフォークを入れた。
ふわりと沈む。
一口食べる。
「……これも、美味しい」
「よかったです」
たまは嬉しそうに微笑んだ。
「よろしければお名前を伺っても?」
「……風間です」
少し間を置いて、
「風間 翼といいます」
「風間さんですね」
「もしよければ、少しだけお話しませんか?」
「え?」
「この店では、コーヒーだけじゃなくて、お話もお出ししているんです」
風間は少しだけ笑った。
「……変わった喫茶店ですね」
「よく言われます」
今度は、二人とも自然に笑った。
その笑いだけで、張り詰めていた空気が少しほどけた。
風間はカップへ視線を落とす。
しばらく何も言わなかった。
たまも急かさない。
話したいことがある人は、自分から話し始める。
だから、たまは待つ。
沈黙もまた、その人に必要な時間だから。
しばらくして。
「……夢を、諦めたんです」
風間がぽつりと言った。
たまは黙って耳を傾ける。
「もう、自分には無理だと思って」
「どんな夢だったんですか?」
「……音楽です」
その言葉を口にした瞬間。
風間の表情が少しだけ変わった。
懐かしさと、痛み。
その二つが混ざったような顔だった。
「ピアノを弾いていました」
「子どもの頃からずっと好きで……いつか演奏家になりたいって思ってたんです」
幼い頃。
初めてピアノに触れた日のこと。
一つの音を鳴らすだけで、世界が少し違って見えた。
鍵盤を押せば音が生まれる。
音を重ねれば、知らない景色が生まれる。
だから、もっと知りたかった。
もっと弾きたかった。
もっと、自分だけの音を作りたかった。
「昔は、それだけで楽しかったんです」
風間は苦笑した。
「でも、賞をもらって……周りから期待されるようになって」
次はもっといい曲を。
次はもっと上を。
君ならできる。
期待されることが、最初は嬉しかった。
自分の音を認めてもらえた気がした。
けれど。
「いつからか……怖くなりました」
風間はカップの縁を指でなぞる。
「評価されるたびに、次は失敗できないって思うようになって」
楽しいはずのピアノが。
いつの間にか、点数をつけられる場所になっていた。
「何を弾いても、これじゃ駄目なんじゃないかって思って」
「……」
「次はもっといい曲をって言われるたび、自分の音が分からなくなっていったんです」
そして。
ある日。
ピアノの前に座ることさえ、怖くなった。
「鍵盤を見るだけで……手が動かなくなって」
風間は小さく笑った。
けれど、その笑顔は寂しかった。
「だから、辞めました」
店内は静かだった。
時計の針が進む音。
遠くから聞こえる町のざわめき。
そして、風鈴の音。
――ちりん。
たまは何も否定しなかった。
「……そうだったんですね」
ただ、それだけ。
「頑張ればいい」とも。
「諦めちゃ駄目」とも言わない。
風間は少し驚いたようにたまを見る。
「……責めないんですね」
「責める理由がありませんから」
たまは立ち上がった。
「少し待っていてくださいね」
カウンターの奥へ向かう。
棚の奥から、古びた小さな木箱を取り出した。
蓋には猫耳の模様が彫られている。
長い年月を過ごしてきたのだろう。
ところどころ色が褪せていた。
「これは……?」
たまが木箱をテーブルへ置く。
「オルゴールです」
蓋を開ける。
小さな金属の部品が姿を見せた。
「よかったら、巻いてみませんか?」
風間は戸惑いながらも、ゼンマイへ手を伸ばした。
カチ。
カチ。
カチ。
そして――
小さな音色が流れ始めた。
派手ではない。
力強くもない。
ただ、静かで優しい旋律。
窓から吹く風に溶けるように。
店の空気に馴染むように。
風間は目を閉じた。
「……綺麗だ」
「でしょう?」
たまは微笑む。
「昔、この店によく来ていた男の子がくれたものなんです」
「男の子?」
「作曲家を目指していた子でした」
風間が顔を上げる。
たまはオルゴールを見つめた。
「その子も、途中で音楽を辞めてしまったんです」
「……そうなんですか」
「でも、最後にこのオルゴールを置いていってくれました」
たまは少しだけ遠くを見る。
「そして、こう言ったんです」
風間は黙って耳を傾けた。
「誰か一人に届く音なら、それで十分なんです――って」
風間の指が、わずかに震えた。
胸の奥に、何かが触れた気がした。
音楽は。
評価されるためだけにあるものじゃない。
賞を取るためだけでも。
誰かより上へ行くためだけでもない。
たった一人。
名前も知らない誰かの心に届くだけでも。
その音には意味がある。
そんな当たり前のことを。
風間は、いつの間にか忘れていた。
「……僕は」
声が少し震える。
「何のために音楽を始めたんだったかな」
たまは答えなかった。
その答えを決めるのは、風間自身だから。
オルゴールが静かに音を奏でる。
その旋律を聞きながら、風間は目元を拭った。
「……すみません」
「謝らなくて大丈夫ですよ」
「泣くつもりなんて、なかったのに」
「涙も、ちゃんと心の音ですから」
風間は少し笑った。
「……変なこと言いますね」
「よく言われます」
二人で笑う。
今度は、さっきより自然だった。
やがてオルゴールは最後の音を鳴らした。
――ぽろん。
そして、止まる。
店内には再び風の音だけが残った。
「風間さん」
「はい」
「夢って、一度諦めても……また歩き出せるものなんですよ」
たまは窓の外を見る。
木々の葉が風に揺れている。
「今すぐ戻らなくてもいいんです」
「……」
「ピアノに触れなくてもいい」
「……はい」
「音楽のことを考えない日があってもいいんです」
そして、穏やかに微笑んだ。
「でも、いつかまた弾きたくなったら、その時に弾けばいいんですよ」
風間は窓の外を見た。
風が吹いている。
どこから来たのかも分からない。
どこへ行くのかも分からない。
ただ、確かに吹いている。
「焦らなくて大丈夫ですよ」
たまが言う。
「風は、ちゃんと吹きますから」
風間は、その言葉を胸の中で何度も繰り返した。
やがて。
空が少しずつ夕暮れ色に染まっていく。
風間は立ち上がった。
「……今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ」
「僕……もう一度、ピアノに触れてみようと思います」
たまは嬉しそうに笑った。
「それは素敵ですね」
「まだ、弾けるか分からないけど」
「弾けなくてもいいんですよ」
「え?」
「最初は、一つ音を鳴らすだけでも」
風間は少し考えた。
それから、小さく頷く。
「……そうですね」
財布を取り出し、会計を済ませる。
そして、扉へ向かった。
その背中は、来たときよりほんの少しだけ軽く見えた。
――ちりん。
扉の鈴が鳴る。
外から春の風が吹き込んできた。
風間の髪を揺らし、背中を優しく押す。
「いってらっしゃい」
たまが静かに言った。
風間は扉の前で立ち止まった。
そして振り返る。
「……また、来てもいいですか?」
「もちろんですよ」
たまは微笑んだ。
「いつでもお待ちしています」
風間は小さく笑って、店をあとにした。
石畳を歩いていく。
すぐに何かが変わるわけじゃない。
明日になれば、また怖くなるかもしれない。
ピアノの前に座っても、音が出せないかもしれない。
それでも。
今日、自分の中に小さな風が吹いた。
それだけは確かだった。
* * *
夜。
店の営業時間が終わった。
照明を少し落とした店内で、たまは食器を片付けていた。
カウンターの端では、昼間窓辺にいた座敷童――ちとせが、読んでいた本を閉じる。
「たまさん」
「はい?」
「今日のお客さん、元気になったね」
「ふふ。少しだけね」
「少しだけ?」
「ええ」
たまは窓の外を見た。
風間が歩いていった石畳。
そこには、もう誰もいない。
「全部が元気になったわけじゃないと思います」
「うん」
「でも、一歩だけ前へ進めたんじゃないでしょうか」
ちとせは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、よかったね」
「そうですねぇ」
そのとき。
店先で眠っていたクロが、
「ふぁ……」
と、大きなあくびをした。
「クロ、今日もお疲れさま」
たまが声をかける。
クロは返事をする代わりに、尻尾を一度だけ揺らした。
その二本の尾が、窓から差し込む月明かりをふわりと受ける。
窓の外。
夜の風が吹いた。
風鈴が鳴る。
――ちりん。
その音を聞きながら、たまはカウンターの上に置かれた古いオルゴールを見つめた。
「……また一人、風を連れて帰っていったね」
誰に言うでもなく、たまが呟く。
ちとせが首を傾げる。
「風?」
「ええ」
たまは微笑む。
「人はね、心の中に風を持っているんですよ」
「風?」
「嬉しいときも、悲しいときも。迷っているときも」
たまは窓の外へ視線を向けた。
「そして、どこかで立ち止まってしまったとき……誰かがそっと扉を開けてくれると、また風が吹き始めるんです」
ちとせは少し考えてから、
「じゃあ、猫又亭って……風が集まるところなの?」
と尋ねた。
たまは笑った。
「そうかもしれませんねぇ」
夜風が、もう一度吹く。
風鈴が鳴る。
――ちりん。
今日も誰かの悩みを少しだけ軽くして。
今日も誰かの心に、小さな風を残して。
喫茶猫又亭は、静かな夜を迎える。
明日になれば、また扉を開く。
人も。
妖も。
そして、まだ自分の居場所を見つけられていない誰かも。
ここへやって来る。
コーヒーを飲むためだけじゃない。
話をするためだけでもない。
ただ、少しだけ立ち止まるために。
そして、また歩き出すために。
――ちりん。
風鈴が、優しく鳴った。
その音はまるで、
「また、おいで」
そう誰かに語りかけているようだった。
喫茶猫又亭。
そこは、人と妖が同じテーブルを囲み、疲れた心を休める、小さな居場所。
今日もまた一つ。
コメント
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あ〜〜読み終わった!!!😭💕 第1話からもう心掴まれすぎてヤバいよ…!風間くんのピアノへの想いとか、夢を諦めた痛みがひしひし伝わってきて、胸がぎゅーってなった🥺 でもたまさんの「焦らなくていい」「風はちゃんと吹く」って言葉に、私まで救われた気持ちになったよ…。 オルゴールのエピソードも尊すぎるし、「誰か一人に届くならそれで十分」って言葉、めっちゃ刺さった…😭✨ 続きが待ち遠しいよ!黒音さんの優しい世界観、大好きです🌸