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その人に会ったのは、母親の墓前だった。
今日は習い事はなく、明彦は夜遅くまで帰ってこない予定なので、麗は久々に母親の墓参りに行ったのだ。
姉が建ててくれた小さな墓。もっと豪華にしていいと姉は言ってくれたが、遠慮もあったし、華美なものが似合う人ではなかったので断った。
掃除をして帰ろうと柄のついたタワシを持っていた麗は、先客の存在に気づくまで時間を要した。
一部の隙もないまとめ髪にしゃんとした後ろ姿には着物がよく似合っている。
「お久しぶりです、綾乃さん」
麗が声を掛けると綾乃が振り向いた。
「あんた、麗?」
振り向いた彼女の顔には皺はあるが若々しく、エクステだろうか長い睫毛と赤いネイルがよく似合っている。
「はい、お久しぶりです。子供のころはすごくお世話になりました」
「テレビ見せてただけよ」
綾乃は子供の頃、父がアパートに来て部屋を出されている間、面倒を見てくれていた人だ。
「いえ、マナーとか色々と教えていただけて本当に助かりました。その上、母のお墓参りまでしてくださってたんですね。ありがとうございます」
麗は頭を下げた。
「水かけて帰るだけよ」
麗の預かり知らぬところで花や線香が供えられていれば、気づけない事のほうが多いだろう。
結果、花を枯れさせたり、線香の燃えカスでお墓を汚してしまうことになる。
だから、それもまた配慮してくれたのだろう。
「母を気にかけて下さり、ありがとうございます」
「たまのたまにね。近くに用事があるときとかに。今日来たのは、この前、あの男が死んだのをワイドショーで見て、百合のこと思い出したからってだけだし」
露悪的な態度を取る女性に麗は首を横に振った。
「私以外に、母を覚えている人がいてくれて嬉しいです」
口ではそう言ったが、本当に嬉しいかは自分でもわからない。
「まあね。あんなに馬鹿みたいに一人の男を愛した女、なかなか忘れられないわ。やめとけって言ったんだけどね。もっとちゃんと止めてやるべきだった」
女性は母の先輩だった。女性が母に忠告してくれていたのは麗も覚えている。
それが二人の決裂のきっかけだったから。
「すみません」
「あーー、悪かったわ。あんたの父親悪く言って」
女性が頬を掻いたので麗は微笑んだ。
「いえ、どうしようもない人でしたから」
「あんたは母親とは違う生き方ができたのね、よかった」
「え?」
麗は綾乃の言葉の何に引っかかったのかそのときはわからなかった。
「この業界、母親が水商売やってたら娘も、孫娘もってのが多いけど、あんたはやってないんでしょ、水商売。結婚指輪をして、地味だけど高価な服着てるんだから」
「あ、ああ、はい。していないです。ついこの前まで父の会社で働いていました」
結婚指輪は仕事をしていたときは落としたら怖いのでしていなかった。だが、専業主婦になってからというもの、ずっとつけている。その方が明彦が喜ぶから。
服もメイクもそうだ。明彦が似合うと言うものを選んでいる。
それはまるで、父の顔色を死ぬときまでうかがい続けていた母のよう。
(ああ、私、母さんと全く同じ生き方をしているんだ……)
「あんた、幸せじゃないのかい? そんないい格好して、いかにもどこかの金持ちの上品な奥様って身なりをしてるのに」
麗が考え込んでしまったからだろう、綾乃が眉をひそめている。
「いえ、そんなことはないです。明彦さん……夫にはとても幸せにしてもらっています」
麗が微笑みをつくると、綾乃はため息を吐いた。
「幸せは誰かにもらうもんじゃないよ、自分でつかみとるもんだよ」