◻︎新たな問題?
月曜日。
私は仕事が休みで、今日はひまわり食堂のお手伝い。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ。今日は里中さんだけ?」
「そう、あとの二人はそれぞれ用事があるとかで。あ、そうだ、これどうぞ」
そう言って手渡されたのは、大ぶりなダリアの花だった。
「うわっ!綺麗!早速飾らせてもらいますね」
花瓶を用意していると、キッチンから進も顔を出した。
「いつもありがとうございます、里中さん」
「いえ、誰かに見てもらえると花もよろこびますので。あの、それと今日は、進さんにお願いがあってきました」
「俺に?できることなら、やらせてもらいますよ」
「その…お二人は、未希さんと進さんは結婚はされてないんですよね?」
「ええ、同居人ですね」
「よかった。ならば、あの、進さん、私の恋人になってもらえませんか?」
まるで何かのセリフのように、軽やかに言った里中さんだった。
里中律子、69才。
ひまわり食堂のご近所さんで、常連さん。
お花の先生をしているとかで、背筋もピンとしていて上品ないでたちだ。
「恋人ってまたどうして?」
進より先に私が聞いてしまった。
「もちろん、フリだけでいいんですよ、こんなおばあちゃんの相手なんて無理なことは承知してますから」
少しだけ恥ずかしそうにしている律子。
「えっと、どういうことか説明してもらえませんか?」
お茶を持って進がテーブルに座った。
「なにから話せばいいかしらねぇ…、先にこの美味しそうなお茶をいただきますね」
ズズッとお茶を飲む。
「まずは、私は一人暮らしだってことは知ってらっしゃるわよね?」
「えぇ、戸建てに一人でお住まいで、お花の先生をなさってるんでしたよね?」
「そうです。もう何年になるかしら?主人が出ていってから…」
「ご主人、亡くなったんじゃなかったんですか?てっきり、お亡くなりになったからお一人なのかと思ってました」
「まぁ、そうね、亡くなったも同じようなものね。もうすぐ7年になるかしら?主人は60才で会社を定年退職しましてね、やっとこれから二人でのんびりと暮らしていけると思ってましたのよ。主人は私より二つ下でしたから当時私は62才でした。会社勤め最後の日でした。いつもと同じように背広を着て鞄を持って、自分の車で出勤しました」
またズズッとお茶を飲む。
「その日はお祝いと長年の会社勤めを労うために、ご馳走と好きなお酒を用意してたんですよ。なのに、帰ってこなくて。携帯に電話をしてもつながらなくてね。その夜遅くにメールが届きましたの、もう帰らないって一言だけの…」
「帰らないって?理由は?」
「わかりませんでした。思い当たる節が何もなくて途方にくれましたよ。その日はやはり帰って来なくて、私は隣の県に住んでる息子に連絡したんです。お父さんが帰ってこないのよって」
「息子さんも慌てたでしょう?」
「いいえぇ、それがね、知っていたようでした。あ、ホントに出てっちゃったんだってそれだけでしたから」
「息子さんには話してあったってことですか?」
「そうみたいですね。知らなかったのは私だけのようでした。それから2日して郵便が届いたんです。封筒の中に入っていたのは、主人の欄は記入済みの離婚届でした」
「は?なんの説明もなく、いきなりの離婚届ですか?」
「便箋にはーー『すまない、俺を自由にしてほしい。これからの生活には困らないように退職金は置いていくから、これで俺のことは忘れてくれーー』と書いてありました」
そのご主人から突然連絡が来て、約7年ぶりに会うことになったらしい。
その時に、進に恋人として振る舞ってほしいというのが里中律子のお願いだった。
「おそらく…夫は離婚届のことで話にくると思うんです。私は送りつけられた離婚届を提出していないので、法律上はまだれっきとした夫婦なんです」
「夫婦なのに、俺が恋人のフリしてそこにいたらヤバいんじゃないですか?」
進の言うことももっともだと思う。
「私の…なんて言えばいいんでしょうか?プライド、ですかね。夫に未練があって離婚届を提出していないんじゃなくて、他の女に渡さないためにそうしていると思わせたいんですよ」
「離婚届が出てなければ再婚はできないから、ですか?」
「そうです。たしかに離婚届を一方的に送りつけて来られたときは、そう思いました。きっと女がいて、その人と再婚するために家を出て離婚届を送りつけてきたんだと。けれど、いつまでたっても、早く提出してくれとの連絡は来なかった、だからこちらとしてももう意地になって、絶対提出してやるもんかってなって…」
お茶のお代わりを出す。
「で?何故恋人なんですか?」
「離婚届を出さなかった理由は、夫に執着していたからだと思われたくないんですよ、ただの嫌がらせだったと思われたいんです。その証拠に私にはちゃんと恋人がいるんですって見せつけたくて」
「あー、なんとなくわかります。女としてのプライドですね。もしかしたらいるかもしれないご主人の、愛人?に対しての」
私も、律子の立場だったら、そんなふうに考えてしまうと思った。
それが、周りから見たらちょっとおかしなことだとしても、そんなことは関係ないのだ。
女は、女には負けたくない、そんな生き物だと思う。
「よくわからないけど、別に難しいことじゃないみたいだし。俺でよければやりますよ」
「お願いします!助かります」
「それで、いつなんですか?ご主人と会うのは…」
「3週間後の22日の日曜日です。うちで会うことになってます」
進は、ひまわり食堂の壁にある大きなカレンダーに、印をつけた。
[律子の恋人]
「ちょっと、その予定表、変じゃない?」
「わかりやすくていいだろ?」
「そりゃまぁそうだけど」
私は律子に聞きたいことがあった。
「ね、どうして進君なんですか?ほかにももっといい男がいるのに」
「反対なんですよ」
「え?」
「うちの主人と正反対のタイプなんです。だからかな?」
_____正反対?ほぉ…
それからは、どんなふうにすれば恋人に見えるか?3人でレクチャーしあった。
無精髭もあって、髪も天パーでクシャクシャな進の横顔を見る。
_____恋人ねぇ…
なんだか不思議な気分だった。
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