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注意
この物語にはキャラクターの死や心情の揺らぎを含む描写があります。読まれる際はご自身の心の状態にご配慮ください。
イロハとレンは、共に旅を始めた。
この世界は、静かに壊れつつある。
誰もが気づかぬまま、過去に囚われ、悔いに飲まれ、魂を軋ませながら生きている。
それでも日々は続き、朝は来る。誰一人、叫びを口に出せないまま。
イロハは、その歪みを見つける。
見つけてしまう。
そして、そこへ向かう。
彼女の歩みはまるで祈りのようで、レンはその背を黙って追っていた。
心の奥に芽吹きつつある、“魂とは何か”という問いを抱えながら。
一人目 悔いを刻む老人
黄昏時の公園。
老いた男が、古びたベンチに座っていた。
右手には、煤けた白黒の写真。左手には、封も切られず握りしめられた手紙。
「……わしは……あの子を、見捨てた……」
静かに揺れる声。風に混じるそれは、独白というより告白だった。
「火事じゃった。家が燃えててな……助けに行けなかった。孫娘が、中にいたのに……」
その背後に、影が立つ。
虚霊だ。男の悔いと恐れを吸いながら、じりじりと形をなしていく。
「もう、ええんじゃ……わしなんぞ、消えてしまって……」
その瞬間、風に煽られ、握りしめていた手紙が地に落ちた。
封は未開封のまま、けれど、その表に書かれていた文字だけが、イロハの目に映る。
『だいすきなおじいちゃんへ。』
イロハは、その手紙を拾い、男にそっと差し出した。
「あなたの罪、もう赦されているかもしれない。」
老人は、震える手で手紙を受け取る。目を凝らし、そこに書かれた幼い文字を見つけた瞬間――
虚霊が咆哮した。
怒り、悔い、赦しの予兆に怯えながら。
イロハは迷いなく剣を抜く。
光の刃が虚霊を裂き、男の背を縛っていた因果が解けていく。
「……夢の中で、会えたら……ちゃんと……謝れるかなぁ…」
涙を流している老人の表情は、少しだけ、安らかだった。
二人目 復讐に生きる者
夜の繁華街。
ネオンの奥、薄暗い路地で、ひとりの青年が刃物を握っていた。
「……兄貴を殺したあいつは、もうすぐここに来る。俺は、この手で……」
表情は怒りに染まり、目には涙の痕。
だがその怒りは、虚霊に蝕まれ、膨れ上がっていた。
イロハが一歩踏み出したその瞬間、青年が振り返る。
「邪魔するな……これは、俺のケジメなんだ……!」
虚霊がその背に覆いかぶさり、男の怒りを煽る。
イロハは剣を構え、虚霊だけを狙って一閃する。
すさまじい光のうねりの中、青年は地に崩れ落ちた。
「……これで……兄貴に、顔向けできるのかよ……」
イロハは傍にしゃがみ込むと、少しだけ優しい声で言った。
「あなたのその怒りは、愛の裏返し。守れなかったという痛みは、守りたかったという願いの証です」
青年は、声を上げずに泣いた。
少年のように、ぽろぽろと涙をこぼしながら。
レンはそれを見つめながら、自分の胸に手を当てた。
怒りと、悔しさと、どうしようもなさ――
それらすべてが、愛と呼ばれるものと、どこかでつながっている気がした。
三人目 死を願う少女
深夜の歩道橋。
制服姿の少女が、ぽつりと立っていた。
下には真っ暗な車道。
風がスカートを揺らし、髪を乱す。
「……もう、いいでしょ。誰にも、必要とされてないの」
その声は、どこまでも静かだった。
まるで、世界のことなどどうでもいいとでも言うように。
イロハは足音を立てず、彼女に近づいた。
そして、ただ一言だけ呟いた。
「本当に、誰にも?」
少女はぎくりと肩を震わせた。
「……うそ、じゃない。誰も……助けてくれなかったんだ」
その背後に、虚霊の気配。
少女の絶望に寄り添うように、優しげに手を差し伸べる影。
「あなたは、ずっと、誰かが気づいてくれるのを待っていた。違いますか?」
少女の瞳が、かすかに揺れる。
その瞬間、虚霊が激しく反応し、彼女を飲み込もうとする。
イロハは剣を振るう。
鋼の閃きが、虚霊と少女の因果を断ち切った。
少女は光に包まれながら、ふっと微笑んだ。
「……ほんとは……ほんとは、誰かに……気づいてほしかった……」
その言葉と共に、彼女の姿は淡く消えた。
沈黙の中、レンが小さく問う。
「……イロハ。君は、そんなふうに……人を殺せるのか?」
イロハは、静かに答えた。
「私は、命を終わらせているのではありません。魂を、帰るべき場所へ還しているだけです」
レンは俯き、ぽつりと呟く。
「…でもそれって、未来を奪ってるんじゃ…」
「……魂が、死を望むなら。その望みを、奪って生かすなんて……私には、できません」
その言葉は、レンにはまだ届かない。
届かないまま、どこかにひっかかったまま、胸の中に残った。
旅の中で、レンの中に問いが芽吹きつつあった。
魂とは何か。
人の苦しみとは何か。
赦しとは――どうして、こんなにも切なくて、求められているのか。
その夜、イロハは夢を見た。
月明かりの中、舞い落ちる桜。
白銀の髪の女王――母が、優しく微笑んでいる。
「イロハ……お前は、まだすべてを知らない」
その声と共に、胸の奥が軋んだ。
忘れたはずの記憶が、封じたはずの因果が、目を覚まそうとしていた。
そしてそのとき――
イロハの剣が、かすかに震えた。
それは、始まりの気配だった
第三章「眠れる記憶と因果の森」へ続く。