18歳になるまで私にとって
まさに人生は楽しむべきものだった
ところが、18歳になった時
母が乳がんで亡くなった
乳がんが発覚してから母は三年間
生と死の間を彷徨っていた
病人を抱えた家の特徴で
わが家に侵入した陰気な雰囲気は
静まり返った家の中で暗い影を落とした
私が美しい母に似なく
見栄えしない不器量な少女であるのは
早いうちに自覚していた
私の硬いくせ毛の髪は剛毛で
目も二重ではなくごくありふれた一重
学校でも地味でモテなかった
母が闘病中は家の中が急に変わった
父は大きな段ボール工場を動かさないといけなく
母の三番目の妹、美知恵おばさんが私達の
面倒を見るために住み込みで
暮らしてくれるようになった
美知恵おばさんは
時々きつい口調でものを言う
そして息苦しい消毒薬の臭い
母は白い大きなベッドの中に、急に小さく、
黄色くな ってしまったようにみえた
そしてある日なぜかはわからないが
急にわたしは母が死ぬことを
死は逃れられないことを直感した
その日以後、私には母を見ることが
耐えがたくなっていた
いよいよ母の死が迫って
子供達がベッ ドのまわりに集まり
父が両手で顔を覆って母の傍に膝をついていた
母は最期の力を振り絞って私に顔を向け
冷たい手で弱々しく私の手を取り
「パパをお願いね・・・・」
とささやくように言った
そしてわたしは幼い心にあたうかぎりの熱をこめて
母に約束したのだった
父の事を母に任せられたのだ
私は精一杯
しっかりと父の役に立つ子になるように努めた
父をよろこばせるためなら何でもしようと思った
私は父を心から愛していた
そして実際、私は何もかも父を規範として生きた
感受性のもっとも豊かなあの年頃に
私は一切のものを父の目を通して見た
父のように厳しく
気高く
愁いを帯びた人になりたいと願い
自分も父のように真っ黒の髪に真っ黒の
瞳だったらよかったのにと思った
母が亡くなっても家はいつもの我が家なのに
どういうわけか何もかもバラバラに
なってしまったように感じられた
我が家は活気がなくなり
いつも寒々としていた
木は家におおいかぶさるように茂って
ひどく陰気になり
私達子供がめったに入らない
静かな部屋は喪の色に蔽われていた
しかし私は家の事を母に任せられた長女らしく
朝もキチンと雄二を起こして
美知恵おばさんと朝の大きなダイニングテーブルで
パパを迎えて、母がしていたように他愛ない
おしゃべりで父を慰めようとした
私は感覚的に、父が亡くなった
ママの喪に服しているのを感じた
私は愛情というものを子供らしい
誇張で考えていたので
母が死んで父は生きる意欲を無くして
しまったのではないかと思ったりした
事実、 父が仕事を続けていたのは
子供達に対する義務の気持からだけ
だったかもしれない
その証拠に父は時々私がいくら話しても
そこに私達の存在を忘れているような
時もあった
毎朝私達は、新聞をたたんだまま脇に置いて
ぽつねんとひとり朝食のテーブルに
坐っている父のところに行き肩を揉んであげたり
やたらと明るく話しかけたりした
雨の日は美知恵おばさんが父に傘を手渡し
私が父の鞄を持って玄関まで見送った
そしてその後中庭を一緒に渡って
「もうここでいいから」と
父が言うまで見送りをした
それから雄二が黒いランドセルを背負って
学校へ行き、私はセーラー服を来て
近所の女子高へゆっくりと自転車を走らせる
どういうわけか自転車は重く、力いっぱい
漕いでも、漕いでも、前に進まなかった
あの頃は何か責任が重く、大人っぽい
ことさら悲しみの不安に苛まれた
夜になれば風呂に入りパジャマを着て
夜遅く帰って来たパパとお話をする
私は父を笑わすことはできなかった
父は私がその日一日あった事などの
つたないおしゃべりを一生懸命話しても
聞いてさえいなかったのかもしれない
私は一生懸命おどけて見せたり
ピエロを演じたが、段々自分が笑わせられない
人気のないお笑い芸人になった
気がしてひどくみじめに感じた
それでも私は父を愛していたので
何とか父の役に立ちたかった
そしてある日父が夕食時に読む新聞の代わりに
ニュースをタブレットで読んであげることにした
父は私の読み上げるトピックスを
じっと聞いてくれた
それは二人の寂しさと解きほぐし
それから二人の日課になった
日曜日には、美知恵おばさんと父と雄二のみんなで
花を持って母のお墓へ行った
父は決して母のことを話さなかった
しかしお墓に供えた花は母の大好きな
白百合を持って行った
そしてみんなで外食して帰宅した
その頃私自身もとても寂しかったが
それでも父を勇気づけたくて
家の中でわざと明るく振舞っていた
ピエロになっていた
とにかく不自然な生活だった
だれをも訪ねることはなかったし
親戚も誰も遊びに来なかった
それでも私は自分の生活に
満足しているフリをした
わたしは精一杯しっかりと
役に立つ子になるように努めた
父を喜ばせるためなら何でもしようと思った
私は父を心から愛していた
そして実際私は何もかも父を規範として生きた
感受性のもっとも豊かなあの思春期に
私は恋人を作ったり
友人とはしゃいだりしないで
ただ美知恵おばさんと家にいて
弟の面倒を見ながら父の帰りを待ち
父の世話をすることに集中した
なぜなら父がどこかへ行ってしまう様な
気がいつもしていたから