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鉄扉が閉まる音が、やけに響いた。昼休み。屋上。人気はない。
金網越しの空は、薄く曇っていた。
風が少しだけ吹いて、遥の乱れた前髪をめくった。
日下部が先に屋上に立っていた。
遥は少しだけためらって、しかし扉を閉めてしまった以上、引き返せず──そのまま近づいた。
「……お前、最近……」
日下部の声が、風に溶けるように落ちた。
「サボること、増えたな」
遥の肩が、一瞬ピクリと動いた。
けれど、顔は逸らしたまま、金網の向こうを見つめていた。
「……サボってねぇ」
「そうか?」
「……オレ、サボりたくて……サボってるわけじゃねぇ」
喉の奥から絞り出すような声。
だが、かすれたその言葉には、濁った焦りと苛立ちが混ざっていた。
「身体が……動かねぇんだよ」
そう言った瞬間、自分の弱音が空気に放たれたことに、遥自身が眉をしかめた。
「──あっそ」
それだけで、日下部は軽く笑った。
「……で?」
「……何が」
「動けなかったって言い訳して、また“何か”逃げんのか?」
遥が、ようやく顔を向ける。
目は赤くなっていた。
怒っているのか、泣いているのか、自分でもわからなかった。
「……お前さ、結局……」
「何が言いてぇんだよ」
睨むように投げられたその一言に、日下部はわずかに唇を曲げて応えた。
「言ってねぇよ。何にも。……ただ、知ってるだけだよ」
「お前が、昨日も、一昨日も、途中で来て途中で消えて、なのに“耐えてるフリ”してることくらい」
遥の胸の奥が、一瞬、痛んだ。
“知ってる”という言葉の中に、自分の必死な嘘が溶けていくような錯覚。
「お前、昔はもっと静かだったのにな」
日下部が、何気なくつぶやいた。
「喋るようになったの、意外だったわ。中学んときから?」
「……それが、何だよ」
遥の声が、乾いた。
「別に。……変わったんだなって思ってさ」
「変わってねぇよ」
即答だった。
「喋らなかっただけで、何も変わってねぇ。今も、“喋りたくて喋ってんじゃねぇ”」
「……じゃあ?」
「勝手に、口が動く。止めても、こぼれる。抑えてんのに」
視線を落とした遥の唇が、わずかに震えていた。
「それだけだ」
沈黙が、短く落ちた。
──日下部はその沈黙の中で、ふと、スマホを取り出した。
遥が警戒するように視線を走らせる。
「……は?」
「何してんだよ」
「……べつに」
日下部は画面を見ながら、わざとらしく呟いた。
「いやー、どうすっかなー、昨日のこと。お前んちの話とか……どっかで言おうかなぁ〜って」
──ズン、と空気が変わった。
遥が、一歩、日下部に詰め寄った。
「……それ、脅してるって自覚、あんのかよ」
「え? 違うよ。オレ、ふざけてるだけなんだけど?」
軽く笑ったその声が、遥の中で何かを逆なでした。
「なあ、お前……そうやって……」
遥の言葉が、途中で詰まる。
喉の奥に、昨日の痛みが蘇ってきた。
喋るだけで、喉の筋が痛んだ。
「……っ、ふざけてるって……お前は、軽くても……オレは……」
──こぼれそうになる。
怖いのは、家庭がバラされることじゃない。
「オレは……“可哀想なやつ”にされるのが、嫌なんだよ」
日下部が、そこでようやく表情を止めた。
「“あの家庭なら仕方ない”──って思われるのが……一番、終わる」
「理由がついたら、誰でも許されるって、思われたら……オレの痛みが、他人のもんになっちまう」
沈黙。
風だけが吹いていた。
日下部はスマホをしまった。
遥はその音にも、びくつくように肩を揺らした。
「……あんま、本気で取んなって」
「……脅すなよ」
「いや、だから、冗談──」
「冗談って言えば、何言ってもいいと思ってんのか?」
その言葉に、初めて日下部の顔が固まった。
「──お前、ほんと……変わったな」
「勝手に変えられたんだよ」
遥はそう言って、屋上のドアのほうを振り返った。
何も言わずに、ドアを開ける。
少し強く、風が吹いた。
──遥の背中は、あまりにも、細くて、折れそうだった。
けれど、その背中には、まだ怒りが残っていた。