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刑が執行される日がきた。
多くの民が見守る中、オラシオは笑顔すら浮かべて、絞首台へと上がる。
「いよいよだ。私とウルスラの、新しい人生が始まる。今日をどれだけ、待ち望んだことか」
すがすがしい気持ちで、首に縄をまかれる。
その様子を、忸怩たる思いでダビドが見ていた。
「国王としての最後の仕事だ。……やり遂げなくては」
そう独り言ちて、さっと右手を掲げる。
合図を確認した処刑人が縄を引くと、それに合わせてオラシオの立つ床板が落ちた。
刑場に、悲鳴とも絶叫ともしれない、大きな声が沸く。
ぶらりと垂れ下がるオラシオの体からは、もう生命の躍動は感じられない。
恍惚とした表情で、神童ともてはやされた美貌の元宰相閣下は、この世を去った。
よろり、と群衆の中から、一人の貴婦人がまろびでる。
それは蟄居を命じられていたブロッサだった。
オラシオの死に際を見るため、屋敷を抜け出してきたのだ。
「オラシオさま……、一人では逝かせないわ」
胸元をまさぐり、そこから美しい小瓶を出す。
蓋をねじれば、無色透明の液体が中で揺れた。
「すぐに追いかければ、間に合うはず」
躊躇わずにブロッサは、ぐいっと、中身をあおった。
ほんのりと甘い毒が、喉奥を通っていく。
「他の女には、渡さない。来世のオラシオさまも、私のものよ」
どっと砂埃をあげ、ブロッサの体が地面に倒れる。
それに気づいた民が、大変だと声を上げるが、すでに口から大量に喀血していた。
「今……おそばに……」
閉じた瞼の裏に、デビュタントで出会った、若かりしオラシオの端正な姿が浮かぶ。
(神様だって、あんなに美しくはないだろう)
そんな罪深い考えに、ブロッサの口は弧を描いた。
それが、カーサス王国の貴族の頂点に立っていた、アラーニャ公爵夫妻の最期だった。
◇◆◇◆
ダビドの退位は、ブロッサの葬式が終わるまで、延期となった。
両親を亡くしたホセとエバの、これからの生活環境を整えたり、新たに次期国王に指名した元公爵へ、政務の引継ぎを行ったり。
その間、ダビドは精力的に働いた。
多くの悲しみや苦しみを、置き去りにして。
――新たな国王が戴冠し、いよいよ旅立ちの瞬間がくる。
「後のことは、よろしく頼む」
宰相となったトマスにそう言い残して、ダビドはペネロペとレオナルドを連れて王城を出る。
これからは家族三人で、五百年前に廃れた東の古城へ移り住み、世間から隔離された中で余生を過ごすのだ。
そこでなら、ようやく全ての状況を、受け止められるだろう。
いつもよりも随分と質素な馬車の車窓から、流れる外の風景を眺める。
もうダビドが王都へ戻ることはない。
だからこそ、そこで生活する民の暮らしぶりを、この目に焼き付けておきたかった。
これまでトマスと一緒に、護ってきた国の姿を。
(だが、私は国や民より、ペネロペを優先した。それで護ってきたなど、おこがましかったのかもしれん)
これは神様からの罰だ。
そう思うと、腑に落ちた。
親子二代続けて、私欲のために、神様の恩恵の力を行使してしまった。
(だから王冠を、傍流の血筋に渡して、正解だったのだ。これから国に何かが起こっても、一度だけは助かる)
そんな何かが起きないよう、何十年間と気を張り詰めてきた。
ダビドの肩から、やっと大きな荷が下りる。
(安心すると共に、急に老けた気がする。この数日だけでも、どれだけ白髪が増えたことか)
トマスと並ぶ見事な銀髪だったが、今やそれは見る影もない。
輝きが消えた髪はまるで、神様からの寵愛を失ったようだった。
(国の安寧を祈り、静かに生きよう)
そう願うダビドだったが、果たしてそれが叶うかどうか――。
◇◆◇◆
ヘルグレーン帝国へ帰り着いたファビオラは、ヨアヒムの紹介でソフィと顔合わせをした。
「初めまして。カーサス王国グラナド侯爵家のファビオラと申します」
「こんにちは、ディンケラ公爵家のソフィです。お会いできて嬉しいですわ」
ファビオラの3歳年下のソフィは、美しい黒髪が腰のあたりまで伸びていた。
それがヨアヒムの胸のボタンに絡んでしまったのか。
まじまじと見ていると、ヨアヒムが弁解をする。
「近くにいたから絡んだのではなく、ちょうど風が吹いて髪がたなびいて――」
「そうなんです、誤解を与えてしまって、すみませんでした」
ソフィも申し訳なさそうに眉を下げた。
「私にとってヨアヒムお兄さまは、本当のお兄さまも同然なんです。小さいときからお世話になりっぱなしで、とても恋愛対象にはなりません」
ファビオラの胸のつかえが取れる。
ヨアヒムを信じていなかったのではない。
ヨアヒムの気持ちは聞いたが、それとソフィの気持ちは別だ。
もしかしたら、ソフィはヨアヒムを慕っているかもしれないと、心配していた。
「その……ファビオラお姉さまと、お呼びしてもいいですか?」
上目遣いでソフィに甘えられて、なんだかムズムズする。
妹がいたら、こんな感じなのだろうか。
ソフィに優しく接するファビオラに、ヨアヒムも胸をなでおろす。
「ディンケラ公爵令嬢には、もうすぐ5歳年下の婚約者ができるんだ。私に会いに来たのも、それを報告するためだったんだよ」
「だってヨアヒムお兄さまったら、パーティの日はお爺さまと話してばかりだったでしょう。本当だったら、その日のうちに伝えられたのよ?」
ソフィはぷくりと頬を膨らませる。
それを見たヨアヒムが苦笑した。
「婚約者の前では、お姉さんぶっていると聞いたけれど、そんな子どもっぽい仕草をしているんじゃ、本当かどうかは怪しいな」
ヨアヒムとソフィの遠慮のないやり取りを見て、ファビオラは納得する。
(私とアダンみたいだわ。正しく兄妹なのね)
その日からファビオラも、ぽんぽんと飛び交う会話に混ざることになる。
お姉さんになりたいソフィの、頼れる『お姉さま』として。
◇◆◇◆
アダンの婚約者が決まった、という知らせが届いたのは、ファビオラとヨアヒムの結婚式が間近になってだった。
「同級生なのね。しかも、政略じゃないって書いてあるわ」
現在、カーサス王国においては、トマスが宰相の職に就いたため、グラナド侯爵家の力が強くなりすぎていた。
これ以上の力の集中を望まないトマスの判断により、婚約者の決定はアダンの一存に任せることになったそうだ。
そんなアダンが声をかけたのは、ダンスの授業でよくペアになっていた伯爵家の令嬢だった。
「政略結婚をするとばかり思っていたから、急に婚約者を好きに決めていいと言われて、アダンもさぞや戸惑ったでしょうね」
これまで件の伯爵令嬢とも、あくまでも同級生として、節度を保った付き合いをしてきたはずだ。
「でもきっと、心のどこかで彼女に惹かれていたのね。そうでなければ、よくペアになるはずがないもの」
ファビオラは予知夢の中で、淑女科を受講したから知っている。
いつも同じ人と踊っていては、ダンスは上達しない。
「だから先生たちは、なるべく違う人と組ませようとするのよね」
アダンとその伯爵令嬢は、そんな先生の指導の目をかいくぐり、何度もダンスを踊った。
お互いになんらかの意図がなければ、そうそう同じ組み合わせにはならない。
「良かったわね、アダン。きっとその想いは、一方通行じゃないわ」
ファビオラはさっそく、お祝いの手紙をしたためた。
愛用している銀縁の便せんに文字を綴るうちに、ふと思い立つ。
「届けてもらうより、結婚式に参列するお父さまやお母さまに、手渡したほうが早いかもしれないわね」
そろそろ二人は、ヘルグレーン帝国へ入国している頃だろう。
たくさんのお土産を馬車に積むパトリシアと、それを微笑ましく見守るトマスの姿が容易に想像できる。
二人の結婚は政略だと聞いていたが、とてもそうは思えない。
ファビオラにとって、よい夫婦のお手本だった。
「ヨアヒムさまと私、本当に結婚するのよね。なんだか、まだ現実味がないわ」
ほう、と息をつき、ファビオラは左胸に手を当てる。
初夜の前には、打ち明けようと思っている。
この矢傷について、ファビオラは何ら負い目を感じてはいない。
だから、ヨアヒムも気に病む必要はないのだ、と伝えよう。
「どうせだから、ヨアヒムさまの肩の傷も見せてもらいましょう。私とお揃いなんだから」
ヨアヒムからも、大切な話があると聞いている。
「私に関する話だと言っていたわ。一体、何かしら?」
それは、ファビオラの予知夢についてだった。
いつ真実を伝えるのか、トマスとヨアヒムの間で何度も検討を重ねた結果、結婚後と決まった。
なるべくファビオラに負荷がかからないように、とヨアヒムはトマスに念を押されている。
どう切り出せばいいのか、今頃ヨアヒムは必死に考えているだろう。
だがそれをまだ、ファビオラは知らない。
「式の当日も、晴れてくれるといいわね」
窓から見上げたヘルグレーン帝国の青空は、陽光に満ちていた。
◇◆◇◆
カーサス王国では、シトシトと長雨が降っている。
このところ、あまり日が射さず、民は農作物の成長を気にしていた。
それは爵位を返上し、貴族から平民になった、元アラーニャ公爵令息のホセも同じだった。
「蒔いたばかりの種が、流れてしまうな。意のままにならない天候を相手にするなんて、農家とは外務大臣よりも難しい仕事だ」
慣れない庶民の生活を続ける内に、ホセの外見はかなり変わった。
社交界でもてはやされた、父親似の細身の美男子だったのが、野良仕事で日に焼けて、全身は埃っぽく薄汚れている。
それでも、ホセは二度と、貴族には戻りたくなかった。
「何も信じられない。あそこは怖い世界だ」
そんな場所に、エバを残してきたのが、ホセの気がかりだった。
「遠い親戚筋の養子にしてもらって、新国王陛下の戴冠にあわせて恩赦を受けたと聞いた」
謹慎が解けて、夜な夜なパーティに参加しているのだろうか。
ホセは恐ろしくてぶるりと震える。
「エバ、今度こそ、大人しくするんだぞ。もう私たちを庇ってくれる人は、誰もいないのだから」
しかし、そんな兄の心配は、エバには届かない。