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ごめんなさい
そんな拙い謝罪と後悔しかできない事に悲しみを覚えますが
残念ながら前を見ても、後ろを見ても、誰もいない水平線が続いているだけみたいです。
自分がいつもダメだと言っていること
誰かに対して不満に思っていること
気がついたのは それを自分が誰かにやってしまってからの事でした。
きっと相手の方は 私の為に言ってくれたのだと思います。たとえそうでなくても 言ってくれた事だけは事実です。
面と向かって、真剣な表情で。それでも自分は目を背けていました。
真剣な問いを真剣に聞き入れるはずが、気づけば自分のために聞き入れていたんだなと思った時には、既に定時を知らせるチャイムが鳴っていました。
咄嗟に出た言葉は「ごめんなさい」
これは一体誰に向かって言っているのでしょう?目を背けてしまったあの人でしょうか?それとも、都合の悪い結果を招いて、不快になった自尊心に対してでしょうか?
もし後者だとしたなら、最も愚劣な思想ですが最も可能性のある方向だということも否定できないのが、なんとも悲しいところです。
「明日になったら謝ろう」
「明日になったら忘れているのに?」
結局いつもの時間切れ。定時のチャイムは鳴ってしまった。きっとタイミングは分かっていました。けれどもその時にその言葉がでなかったみたいで
ごめんなさいなんて、拙すぎて言えないし、申し訳ありませんなんて、無様すぎて認められないし。
でも、最も愚劣で無様なのは、何も言えずに飲み込んで、その事をなんとか昇華《しょうか》しようと試行錯誤してしまうこと。
ヒビが入ろうとしている、いまにも壊れそうになってしまっている人の部品を修復しようとせずに、その気になれば修復は可能なのに
「仕方がなかった」の不良品ラベルを貼り付けて心の埃にしてしまうこと。
そしてきっと“これ”も、そんな消化《しょうか》作業の段取りの1つ
誰もいない帰り道。こっそり捨てられた「ごめんなさい」明日にはきっと自分の靴で踏んでいる。