暑さの和らぐ早朝、帝国南部にある港町シェルドハーフェン。その南にある町、黄昏。今黄昏北部において、帝国の常識を覆す戦いが始まろうとしていた。
リナ率いる猟兵の挑発を受けた領邦軍は、暁が決戦の地と想定した北部陣地へと誘引されていた。
領邦軍は総兵力三百。マスケット銃を装備した戦列歩兵が主体であり近代化が進む帝国では時代遅れの装備ではあるが、ガズウット男爵の領邦軍として権力を振るうため、これ迄抵抗を受けることがなかった。
貴族の身分を全面に押し出せば、平民は抵抗しない。そう考えた男爵は装備の更新に資金を投じることを止め、現場の将兵達も好き勝手にやれる現状に慢心していた。今回も少し脅せば町が手に入る。彼らはそう考え、許可された乱取りについて夢を膨らませていた。
一方暁は自警団の内実戦経験がある者、成績が優秀な者、並びに復帰兵を加えて二百名の戦力を用意。
彼らは普段身に纏っている制服ではなく貧相な衣服を身に付け、腰に質の悪そうな剣のみを差して塹壕の前に整列。その姿は農民をかき集めた貧相な軍勢にしか見えなかった。
主要幹部達は塹壕内でその時に備えて待機し、村娘の衣服を纏ったシャーリィとエーリカの二人が整列した部隊の前に立っていた。
領邦軍も三百メートルほど距離をおいて整列。複数の騎馬が前に出てきた。彼らはきらびやかな軍服を纏い、不遜な態度のまま接近。馬から降りることなく馬上からシャーリィとエーリカを見下ろした。
「栄えある帝国貴族が一つ、ガズウット男爵家の筆頭従士ニフラーである!村娘、昨日我らの使者が要件を伝えた筈だ。準備は出来ておろうな?」
「今の私達にそんな余裕はありませんし、魔物も撃退しています。今さら皆様のお手を煩わせるまでもありませんから、お帰りください」
シャーリィは馬上のニフラーを見上げながら拒否を伝えた。
「無礼な!」
「まあ待て」
激昂した将校の一人をニフラーが手で制し、その顔を歪めながらシャーリィを見下ろす。
「お嬢さん、魔物は何度も押し寄せてくるぞ?前回はたまたま数が少なくて諸君らでも何とか撃退できたのだろうが、奇跡は何度も続かない。我々が居た方が安心ではないかね?」
ニフラーの言葉はまるで無知な幼子に言い聞かせるような口調であり、エーリカも眉を潜めるがシャーリィは気にすることもなく言葉を返した。
「そうですか。アーマーリザード、アーマードボア合わせて三百以上の群れが少ないと。あなた方ならばそれを退けられたと仰るのですね?」
「「「ははははははっ!!」」」
シャーリィの言葉に一瞬虚を突かれた一同であったが、直ぐに大笑いを始めた。
「はははっ!冗談のセンスが良いじゃないか。だがな、村娘。嘘を吐くならもう少し現実的な数をあげることだ」
「そんな群れ、大都市でも防げないぞ?こんな小さな町が耐えられる筈もない。せいぜい十頭くらいか?」
「よせよ、子供は誇張して言いたくなるものさ」
将校達はシャーリィを嘲笑い、エーリカは握り拳を作り怒りに震える。
そんな親友の肩をそっと撫でて、シャーリィはニフラーを見上げる。
「真実を申し上げていますが、信じるかどうかはお任します。改めて、皆様のお手を煩わせるまでもありません。お帰りください」
「はっはっはっ!大したお嬢さんだ。だが、この町の警備と接収はガズウット男爵直々のご命令によるもの。我々はその崇高な使命を果たさねばならんし、出来れば手荒な真似はしたくないのだ。お嬢さんは村娘にしては賢そうだし、この意味が分かるね?」
「拒否すると言うことは、ガズウット男爵家に歯向かうことを意味する、ですか」
「さらに言えば我々が属する西部閥、レンゲン公爵家の威光に歯向かうと言うことになる。諸君も長生きをしたいだろう?」
あからさまな態度を取るニフラー。この言葉を出せば、どんなに反抗的な者も静かになる。これが帝国の常識であり、貴族の身分と言うものだ。
だが。
「繰り返します。昨日伝えられた要請は受け入れられません。お帰りください」
シャーリィのキッパリとした拒絶は、ニフラー達を唖然とさせる結果となった。貴族の名を出して命令し、拒絶されたのは始めての事なのだ。
「……正気かね?今の言葉、聞かなかった事にしても良いが?」
「聞こえませんでしたか?嫌です。この町も、住まう人々も、皆私の大切なもの。渡すつもりはありません」
「貴様!男爵様のご命令なのだぞ!?」
「例え皇帝陛下であろうと、私の大切なものを奪うことは許しません。もう一度言います。要請を拒否します。直ぐにお帰りください」
あまりの事態に、ニフラーは顔を真っ赤に染めた。
「腹立たしい小娘だ!その無表情!淡々とした喋り方!殺した小娘にそっくりではないか!これが最後だ!男爵様の……」
だが、ニフラーの言葉は続かなかった。彼の言葉を聞いたシャーリィが、まるで大好物を前にした童のように満面の笑みを浮かべていたのだから。
突然の変化に将校達も戸惑う中、シャーリィはゆっくりと口を開いた。
「……みぃつけた……」
まるで底冷えをするような声でニフラーを見つめるシャーリィ。その瞳はどこまでも吸い込まれそうな程歪んでいた。
ニフラーが言葉を返すより先にエーリカが動いた。腰に差していた剣を素早く抜いてニフラーの馬の脚を斬り付け、驚いた馬が暴れて彼を落馬させる。
「ぐふっ!?」
落馬したニフラーが起き上がるより先にシャーリィが近寄って彼の襟首を左手で掴み。
「ウインド!」
右手に握った魔法剣から風を発生させて味方の陣地めがけて一気に飛翔する。
「ぎゃあああっ!?」
「なっ!?」
「筆頭従士!?」
突然の出来事に狼狽える将校達を見て、エーリカも言葉を投げつけた。
「身柄は私達が預かりました!返してほしいなら、奪いに来い!」
それだけ言い放ったエーリカも全力で味方の陣地めがけて走り出す。
「あっ!」
「どうする!?」
「先ずは戻るぞ!筆頭従士を誘拐されたなんて知られたら、男爵様に殺される!」
狼狽えながらも彼らは馬を返して味方の隊列へ慌ただしく戻る。
一方塹壕陣地後方へ着地したシャーリィの元へ幹部達が駆け寄る。
「シャーリィ!そいつは!?」
「ルイ!直ぐに縛り上げて監禁を!ラメルさん、尋問を!私も終わらせたら直ぐに合流します!あの日の関係者である可能性が高い!」
「わっ、わかった!」
「了解だ、ボス、痛め付けない程度にやるから安心しな」
「離せ!下民風情が!こんなことをしてタダで済むと……!」
ルイスに取り抑えられながらも暴れるニフラーを見下ろしたシャーリィは、一言だけ伝える。
「申し遅れました。私はシャーリィ=アーキハクトと申します。アーキハクト伯爵家の長女ですよ」
「ばっ、ばかな!?皆殺しにした筈!」
青ざめたニフラーの言葉に、シャーリィはますます笑みを深めた。
「確定ですね。あとでゆっくりお話ししましょうね」
それは楽しい玩具を前にした子供のようにキラキラと輝く笑みであった。
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