店を出たユーディアは、マーケットの間を重い足取りで歩いていた。
石造りの建物だけでなく、テントを使って道沿いに出店しているところもある。主に食べ歩き用の食べ物を売る店だ。
活気づいたマーケットの中にいて、ユーディアの気分は沈んでいた。
一番の原因は、期待に応えられなかった自分にあるのはわかっている。教えてほしいと言われて、上手くできなかった自分が悪い。
そう思うのに、モヤモヤしてしまう。
(魔術としても中途半端で、売るための職人としても中途半端……なんだろうなぁ)
ローブの留め具となっている、糸と鉱物の装飾に触れながらため息をつく。
ユーディアの母が作ったローブの装飾には、魔術が込められていた。この留め具で閉じると、どんな服装だろうと、外気が寒かろうが暑かろうと、最適の状態に保たれる。濡れた身体や服も一瞬で「濡れていない状態」にしてしまうのだ。
この留め具は、ユーディアが生まれたときに作られ、母親が亡くなった後もユーディアを守り続けている。
母親から魔術を受け継いだはずのユーディアには、そこまで長く持続する魔術を使うことはできなかった。
(でも……作るのが好きなんだから、しょうがないでしょ)
心の中で言い訳じみたことを思いつつ、歩いていたときだった。
「──鍛錬ばっかりの剣術バカだから、副団長は出世しないんですよ」
騒がしいマーケットの中で、軽蔑するような声がやけにしっかりユーディアの耳に届いた。声の主が背中を預けていたのが、ちょうどユーディアが通り過ぎようとした、路地裏への入り口だったからというのもあるかもしれない。
だが決して、それだけではなかった。
『こっちが見てるのなんてお構いなしに、ものすごい速さで黙々と編み続けてたからねぇ』
先ほど女店主に言われた言葉と、ユーディアの頭の中で結びついてしまったからだ。
元々ゆっくりだった足取りがさらに遅くなり、声の主を通り過ぎた辺りでぴたりと足が止まった。
ユーディアがこっそり振り返ると、声の主らしい人物の姿が目に入った。ユーディアの視線には気づいていないようだ。
声の主は茶髪の青年で──王立騎士団の騎士服と軽装鎧に身を包んでいた。
王立騎士団。オールドートル国所有の騎士団で、主に城の警備や王都の巡回、状況によっては辺境の村々に出向くこともある。現在は部隊によって配属先や仕事も違うようだが──王都暮らしではないユーディアは、現在の騎士団のことはよく知らない。
ユーディアにとっては、あまり関わりたくない相手ではあるのだが──
「ちょっ……先輩! またそんなこと言って……」
慌てた様子で声を上げているのは、金髪の青年だ。顔つきも少し幼く、ユーディアとそう年は変わらないくらいの金髪青年は、茶髪の青年とべつの方向を交互に見ている。ユーディアからは、茶髪と金髪の青年が話しているように見えた。
「それなりの地位があっても、本人が剣術以外興味ないですーって態度じゃ、志低すぎでしょ。だから万年副団長なんですよ」
自分の話をされているわけではない。そんなことは、ユーディアにもわかっていた。
だが今、一方的に悪く言われている人間──茶髪と金髪の上司にあたる副団長が、他人のように思えなかった。
(地位があるからって、上を目指さないといけないの? 好きなことを一番やりたいって思うのは……そんなに悪いことなの?)
そう思ったとき、ユーディアの足は動いていた。
「先輩! さすがに侮辱罪でクビ切られますよ!」
「部下から悪口言われて侮辱罪だーって喚くくらいなら、オレにこんなこと言われたりしないっつーの。部下にこれだけ言われたって、どうせだんまり──」
「──市民にとっては」
金髪と茶髪の前で立ち止まったユーディアは、無理やり口を挟んだ。
「え、何、いきなり」
「市民にとっては、有事のために真面目に鍛錬してくれている人はありがたい存在だと思うのですが……それをなぜ、あなたは悪いように言うんですか」
「は? え?」
いきなり見ず知らずの女に話しかけられた上に抗議されたことに戸惑ったのか、茶髪の青年は金髪の青年とユーディアを交互に見て、目を白黒させている。
「あなたのような、組織の中で上に行くことしか考えていない人ばかりなんですか──王立騎士団というのは」
「なっ」
ぎょっとする茶髪の青年の顔を見ながら、ユーディアは思い出す。
『教えるよりも、自分で作るほうが好きみたいだから……ねぇ? ユーディアさん』
『まるで、取り憑かれてるみたいだったよ。糸を握って編み続ける姿がさ。周りには他に何もありません、って言われてるような気分だったね』
女店主からの言葉を思い出すと同時に、ユーディアは我に返った。
(これ……完全に八つ当たりだ……!)
一気に申し訳なさが押し寄せてくる。しかもよりによって、なるべく関わりたくないと思っていた、王立騎士団員相手だったことが、ユーディアの背筋を凍らせた。
「これは……先輩が悪いですね。国の治安維持を担う騎士が、上に行くことが正義みたいに言われれば心証が……」
「ぐぬ……」
茶髪の団員は言い訳をしなかった。どうやら失言だったと認めたらしい。
それでも、ユーディアの「まずい」と思った気持ちは収まらなかった。
「す、すみません……普段から治安維持に努めてくれている方々に向かって、失礼でした。申し訳ありません」
二人に深々と頭を下げ、足早にその場を立ち去った。
(さっさと仕入れだけして、宿に戻ろう……)
振り切るように背を向けた騎士たちが唖然としていることに、ユーディアが気づくことはなかった。
「本人が何も言わないのに、まさか市民から文句を言ってくるなんて……」
放心しながら呟く茶髪の隣で、金髪の視線は路地裏に続く細い道に向いていた。
そこにいたのは──同じ騎士服姿の黒髪の男だった。
その後、何事もなく必要なものを買い揃えたユーディアは、翌朝移動する馬車に相乗りし、ダソス村へ戻った。ダソス村からと違い途中で降りることになるが、人通りがない場所で別れれば魔術を使い放題なので、特に苦もなくダソス村まで帰ることができた。
相乗りした馬車でも作業をして気持ちを切り替えたのもあって、家に帰る着く頃には、あまり関わりたくなかった騎士に詰め寄ってしまったことも忘れていた。
次にそのことを思い出すのは――王都から戻った数日後のことである。
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